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100万人割れ危機の原因は何か [ヅカ的近況]

「宝塚100万人割れ危機、子連れママ用割引開始」
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20110212-OYT1T00533.htm

「人気演目「ベルサイユのばら」を上演した2001年度は110万人、06年度は112万人を動員するなど、チケットの入手が困難な公演もしばしばあった。(中略)ところが修学旅行や企業の福利厚生利用が減り、長引く不況が追い打ちとなって、07年度以降は100〜101万人で推移。A席(5500円)とB席(3500円)は94年から価格を据え置き、期間限定で学割やシニア割引を実施したほか、今年度は全5組が観劇者向けにビンゴゲームを行ったり愛用品をプレゼントしたりしてファンサービスに努めたが、これまで約80万人にとどまっている。」

うーん、子連れママが託児所利用すると2300円割引って、たいした額じゃないよね…。「託児所無料!」ぐらいにしないとインパクトがない。(大体、A席据え置きって言っても、S席に変更した席がけっこうあるじゃんっ)

いくらなんでも、この一年で20%減は驚きだ(*報道からあと一ヶ月半あるのでそれを計算すると9%減ぐらい?)。いくら不況だと言っても、景気はそこまで落ち込んでいないよね? GDPとか景気動向指数とか指標はいろいろあって、読み解き方に詳しくはないけど、世の中の景気全体に比べたらちょっと異常な数値なんじゃないか。だから、こんなに減ったのは、(もちろん不況のせいもあるけども、)全部が全部不況のせいではない。(お、ちょうど相撲も本場所売り上げ10%減ってニュースが!)

「修学旅行や企業の福利厚生利用が減り」って書いてあるけど、たしかに、劇場で修学旅行の団体を見なくなった。もちろん、毎日行っているわけではないけれど、以前は目にしていたのが全く目にしなくなった。でも、不況でも(福利厚生はともかく)修学旅行はあるだろう。不況ゆえに海外をやめて国内にするだろうから、むしろ増えたっていいぐらいでは。

では何故、修学旅行客が減ったのか。明らかに裁判の影響でしょう。裁判の最中、2chで「子供の通っている学校に、修学旅行で宝塚を観劇しないよう働きかけます」という書き込みがけっこうあったから、裁判の影響は否定できないと思う。そこんところはスルーですかい。

で、子連れママを取り込んで席を埋めよう、というわけなんですね?

子連れママというのは、確かに、まだ手をつけていない分野かもしれない。かつてファンだったけどお休みしている子連れママもいるし、新規で興味を持っているけど子育てに忙しいというママもいるだろう。最近の劇団のターゲットは、お休み中のオールドファン(再演でアピール)、一般客(ゲームや映画、漫画の舞台化でアピール)だということはわかる。その一環の発想なんだろう。

でも、それでは客席は埋まらないよね。だって、子育てで忙しい子連れママが、減った9%もの席を埋められるわけがないもの。

そもそも、一般受け自体はよくなっていると思う。2004年頃から、少なくとも裁判の影響をのぞけば、一般受けは急上昇している。雑誌やメディアでの取り上げられ方が、以前より好意的。モデルの美香とか、蜷川実花とかが「宝塚に夢中です」と言ってくれることで、「キモい団体」イメージが払しょくされた。デコラティブなものが流行しているという素地もある。私自身、「宝塚観てみたい」「連れてって」と言われることが多くなった。新たにヅカファンになる人も何人かいた。

そして、男性客が増えた。実感として。劇場で周辺の男性率を数えるというのはよくやっているのですが、確実に増えている。私がディープにはまりだした2002年は25人に一人。4%。だけど今は少なくても15人に一人はいる。6〜7%。なんと、1.5倍ですぞ!(注:於東京宝塚劇場 竜眼調べ)

一般受けするタカラヅカ。ふつーの娯楽タカラヅカ。チケットが取りにくいとか、異常な女たちが観るものだとか、そういう先入観なく、観てもらいたい。そんな前理事長の願いが叶いつつあった。

なのに、2007年頃からすでに客席の減りは目立っていたよね(ちょうど今回の報道内容と時期が一致する!)。ヅカファンなら誰でも知ってる、寒〜い状況。男性客が増えるほど一般的になった。なのに、客席は埋まらない。これは一体どういうことなのか。

答えは簡単だ。お休み中のファンでも、一般客でもない、今観に来ているリピーターが減ったってことだ。逆に言えば、異常なリピーターたちがあの客席を埋めていたんだ。そうでなくっちゃ、あんな大きな劇場、埋まらないって。そして、今年減った9%から団体客を引いたぶんも、間違いなくリピーターだと思う。

知人で、ものすごい金額をタカラヅカに費やしていたのに、2006年の一作トップがきっかけで観なくなった人がいる。彼女が落とすお金だけじゃない、彼女が連れてくる友達、そのまた友達。。。ご贔屓のため、劇団のためと思って頑張って客席を埋めてきたのに、そんな人を一作トップだの、納得できない人事だので裏切ってしまった。退団した二番手のファンだって相当痛手を負っただろう。

私は裁判のことで怒って観る回数が減ったけど、それほどじゃなくても「白けてしまった」という人は多い。そんなに裁判のことを気にしていない、追っかけに燃えているはずの友人も、聞いてもいないのに「メモカじゃなくてみみちゃんの日を観るよ」と言う。2008年『エリザベート』も不信感を募らせた。不審な抜擢には誰だって敏感だ。人事や裁判のことだけじゃない。「一カ月公演になってせわしなくて、他組を観ていられない」という人もいる。「再演とか、映画や漫画の舞台化は食指が動かない」という人もいる。

不況だというのに、大事なリピーターにリピートさせる気を失わせてしまった。修学旅行客も失ってしまった。私には、それらの結果が9%減の真っ赤な客席だとしか思えません。

劇団上層部の頭の中には、「ベルばらブーム=不況で困っているところに一般客が押し寄せた伝説」があるんでしょう。でも、あのときとは経済状況も、女性の社会進出度も、他の娯楽の状況も、今とは全然違う。微増しかしない一般客や子連れママに望みをかけるよりも、今までいた大量のリピーターと修学旅行客をつなぎとめることのほうが、席数にはつながる。それこそが不況でもなんとか続けていける策だったと思うのになああああ。残念です。

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愛と青春の宝塚(青山劇場 2/19 17:00) [観劇メモ(ヅカ以外)]

観るのが怖かった。「宝塚は滅びひん!」という感動的な場面で、絶対に「けっ、滅びるってば」としらけてしまうと思ったから。初演から2年、その間、宝塚心のふるさと教の信者ではいられなくなってしまった自分は、この作品に引いてしまうと思ったから。『宝塚BOYS』再演を観なかったのも同じ理由。

でも、そんなこと微塵も思わなかった。「滅びるよ」とは思うけど、一方で「滅びない」とも思う。滅びるのは<組織>で、滅びないのは<精神>。宝塚のスピリットは滅びない。この舞台を作っているこの人たちが、そのことを証明してくれた。今まで一度も実現されたことがないであろう「清く正しく美しく」。でも、「清く正しく美しく」あろうとして努力してきた人たちが確かにいる。確かにいた。戦中戦後を生きたタカラジェンヌ、そしてその物語を作り上げるタカラジェンヌ。今目の前に宝塚のスピリットが生きている。宝塚の<組織>に絶望している今だからこそ、この舞台がまぶしい。

お話を作った大石静も、演出した鈴木裕美も、外部の人、でも宝塚好きな人ってところがミソだ。内部の上層部は、宝塚の何が素晴らしいかを、まっっったく理解していないのだろうなあ。

以下、初演と違うキャストを中心に。

マミさんは男前。男前すぎて、女性として恋する場面などはちょっと違和感もあったけど、みんなを引っ張っていってる、気配りもできるトップさんという印象。特に、すみれ寮を出るときの気丈さがいい! わざと悪ぶってるようでもあり、それが思いやりからなんだっていうのもわかるし、泣ける!

岡田浩暉の影山先生がけっこう良かった。石井さんの影山先生が大好きだったから、誰にもやってほしくなかったんだけど、これはこれですごくいい。台詞の間を長めにとってるのも特徴かな。思慮深い文学青年って感じなんだよ(石井さんは「パッション!」って感じ)。書いてる脚本も、すごーく繊細なんだろうなー。だから、タッチーと似ているっていうのが、よーくわかる。

坂元健児の速水中尉は体育会系で、出陣の際もあまり悲愴ではない。それが逆に切なく見える。だから、ウジウジしたタッチーが心の支えにするっていう説得力があった。文学青年である影山先生が「自分はああはなれない」ってひがむのもよくわかる。(しかし、速水中尉はドラマでは色男枠だったのに、舞台では初演再演ともに違うのねw)

かなみのベニがかわいくてかわいくて。でも、えみくらやるいるいの「素でやってる?」的なところはなくて、きっちり演じている、しめるところはしめるっていう手腕を感じた。グウェンドレンを思い出す。

オサムが年相応だった。歌上手かった。(あっくんも好きだったよー) ウメちゃんも観たいんだがなあ〜

オサムとベニが組んで踊ったりしていて、この二人、初演よりラブかな? と思ったり。海軍ものの台詞で「あなたと私は似ている」が初演とちょっと違ってたかな? 先生がタッチーを思って書いたのにリュータンが勘違いするのが、わかりやすくなってた。トモと兵隊さんのチューが濃厚になってたり。いろいろ変更はあったけど、総じて、関係性が強まっていたと思う。ラブ度が上がったというか、誰が誰を好き、というようなのが見えやすくなっていた。

決め決めで踊ってるやつがいる、誰だよ、と思ったらマメだった! 相変わらず小芝居しまくりで気になってしょうがない。おじさんぽい人がいる、と思ったら池袋まりだった! おなつかしや〜。

ところで、細かいことですが。史実では、歌劇団は全寮制ではないよね〜?(学校だけって意味なのかな? 学校も通いの生徒いたと思うけど) あと、ミッドウェー開戦のときにはもうタップダンスのような敵国の文化は上演不可能だったはず。

客席はほぼ満員。当初売れてないとか言われてたけど、いい作品は売れるんだよね。始終すすり泣きが聞こえたし。私も顔をドロドロにして席を立ちました。

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紫峰七海 お茶会(2/12) [お茶会報告]

(ネタバレあります)

お芝居のお話から。

(司会)あの〜、懐中時計はいつ入手したんですか?

それねー! 稽古中から、死んだジョセフのスーツから懐中時計を取り出す、とかやってみたんですけどね、時間の制約ってものがありますからね。もうこれは、宝塚マジックということで。夢の世界ですから。

(司会)戦うときに拳銃もってるけど、いつも持ってるんですか?

それもねー。拳銃はいつも持ってるわけじゃないです。殺しとかまではしないんです。でもあそこで拳銃持ってないと、そのあとの戦いの場面にならないじゃないですか。だから、あのときだけ持ってるってことで。

あー、もう、つっこみどころは満載なんですってば。

プロローグは、プロローグでありながらエピローグなんです、実は。ジョセフが死んで、フレディもいなくなったあとの場面なんですよ。その心情とか、風を表現したりしています。

アジトの人たちは、これまで人間扱いされてこなかったので、社会に復讐したいと思っている人たち。私は不動産ですが、ほかの人はいろいろなことをやってます。ジョセフは上司というよりは、頭がいいので、やり方を教えてくれる、リーダー格という感じです。

好きな場面は、フレディとジョセフの回想の場面。(ロングコートで戦うところですね)顔みえなくてかっこいい。宝塚らしいと思う。

きらりちゃんは喧嘩仲間。これまで、兄妹とか夫婦とかいろんな設定をやったので、今回は喧嘩仲間にしてみました。だから、プロローグでありながらエピローグの場面では、ちょっと仲良くなってるってことなんです。(え、あの「ぐわしっ」っていう抱き寄せが「仲良く」なんです、か…?)

ショーについて。

(司会)展開がは…
はやすぎますよね!(たたみかけるように 笑)

「場面まだいくつもあるから大丈夫」とか思ってるとすぐ出番になる。一場面、一分乃至二分しかないから。(乃至って言ったよ、この人)

プロローグの水色の衣装は新調です。中がトリコロールなのも好きです。

(司会)で、例のカフェの場面のデュエットなんですが。

さあやちゃんと自分が歌うと先生に聞いたときは、なんでやろー(素朴に)と思ったんですが、先生が「アダルトで大人な歌をうたってもらうので」と。あー、なるほどねー、アダルトでえ〜大人ね〜(けだるそうに)と納得したんですが。なのに、楽譜もらったら、早いし! 難しいし! シャープとフラットばっかりなんですよ!! 音取りに一日かかっちゃいました。そんなにかかること、無いんですけどね(←テキパキしてますアピール)。

あの場面は、真中の一花さんたちの振りもかわいいし、メニューがハートになってて、日替わりで、ハートの大きさによって芝居が違うって知ってました?(…?? (みんな見てないらしくて反応が悪い))じゃあ、私の歌を耳にはさみながら真ん中もみてくださ、、(みんな「それは無理なのでは(苦笑)」的な反応)、、じゃなくて、そんなこともあるんだなー、と思いながら私をみてください!(はい、よくできました)

私、さわやかですよね? うさんくさくないですよね? (苦笑しながらも、うなずく客席)悪役はもう卒業ですからっ!

でもみんなに、砂糖に毒入れてるんじゃないかって言われるんですけどねー
(ずさーっと客席全員がコケる音が聞こえるかと思った、すごいオチ)

リクエストコーナーでは、鈴木先生の真似! 顎に手をあてて、口をとがらせながら「だからぁ〜、正直言ってぇ〜」 どこが正直言ってなんやねん、って感じですよねー。いやはや、面白いです、これ。藤井先生はまねるとっかかりが無いとのこと。ふーん、けっこうオネエだと思うんだけど、口調には表れないのかな。

あと、「きらりちゃんを抱き寄せるのを私にもやってください」という人がいた! 自分でリクエストしておきながら、恥ずかしがってなかなか壇上に上がらない(わかります)。「責任持たないと!」などとご本人様に言われてました。ぐわっし! 「きゃっっ」 ←すごいかわいかった&おもしろかった。いやー、自分だったら卒倒してたと思います。書かなくて良かった、ほんと。(書こうと思ってたんかい)

連想ゲーム。今回は、ふみかちゃんと同じ答えでなくても、他のテーブルと同じならポイントになる仕組み。

問題:しほうななみといえば。
ふみかちゃんの答え:「元気!」 

(客席、びみょーーーーな雰囲気) 「えー、私元気じゃないですか〜?」 いや、元気ですよ、元気ですけど、それがウリかっていうと…(苦笑)。ちなみに、大半のテーブルが「悪役」って書いてました。

問題:花組といえば。(サービス問題ですよね、という司会さん。わかってらっしゃる。)「ここで紫峰七海って書いておかないと、たたられるから!」と口走る私。

ふみかちゃんの答え:「紫峰さん。自分に「さん」付(笑)。

全部のテーブルの答えが「紫峰七海」で、「よかった〜〜」って言ってました。よかったよかった。

私もすっかり調教されてきたようです、はい。

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愛のプレリュード/Le Paradis!!(宝塚大劇場 2/12 15:00) [観劇メモ]

ベタです。ベタすぎて笑っちゃいます。フレディ〜♪ とか名前よぶナンバーとか、まるで『誰がため』の「アンドレスとルチア」。「俺たち悪いんだー」しか言わないナンバーとか。大笑いしてしまう。突っ込みどころも満載です。難病抱えてボディガードって、おかしいやろ。記憶喪失って、なんて安易な。

これでサヨナラのまとびさん…。『アデューマルセイユ』もしょーもないと思ったけど、輪をかけてしょーもないです。『花のいそぎ』再演だったらよかったのに。

でも、思ったほど悪くもなかった。期待値が低すぎたので^^;

まず、これは誰にも賛同してもらえないかもしれないけど、ヒロインにめちゃめちゃ感情移入できる。「子供子供言わないでよ、もー」「ふっ」(鼻で笑われる)…胸きゅんだ! 生意気言って、まとびさんに鼻で笑われて、最後チューされるなんて、最高です。生意気な女の子を相手にするまとびさんって、ちょっとだけ、ちょっとだけ『花のいそぎ』じゃない? 「そんなの言い訳です!」ことことの三宮、かわいかったな〜、まとびさん包容力満点で素敵だったな〜。今回のまとびさんは、ちょっとだけワルで乱暴だけど、やっぱりとっても優しいです。以上、アラフォーのキモい戯れ言終わり。

思いきりベタなテーマに取り組むのも、いいことだと思う。だって、たった5年でさびれてしまった、観光地って、それって今、この劇場じゃん! 大恐慌のせいではあるけど、それによって人の心がすさんでしまったのが一番大きな原因。正義のために頑張ってきたのに、金の力に負けてすねちゃった壮さん。その間、病気で眠ってたまとびさんは、一貫して「金より愛」「金より正義」を説く。うわっ、わかりやすー。大劇場の赤い空席を見ながら、しみじみと「そうだよね〜、不況だからって正義より金を優先したら、最終的には客は入らないよねー」と思う。以上、深読みしすぎの戯れ言終わり。

さて、肝心な大劇場デビューの演出手腕ですが。「一応、植田の弟子でもセリの存在知ってるのね」と思うところもあった。不動産屋がセリ上がったら下から文字通り地下組織が登場するところなど。一番やりたかったという、ラストの照明は、コロンブスの卵で感心したし。けど、ヒロインを誘拐する場面は、なんで現場を見せないのだ? 宝塚歌劇の装置なら、まとびさんが旅立つところと、誘拐するところを、同時進行できるはずだ! 小池ならやるだろ! 

「植田先生と正塚先生を足して2で割った感じ」と言われるのだそうです。でも、植田先生のアバンギャルドさと正塚先生の心理描写を足したのならよかったのに、植田先生の時代遅れ感と正塚先生の地味さを足しちゃったな、という感じかな。

世間的には、壮さんがヒロインみたいで、楽しい妄想が膨らんでいるようですが、私にはむしろ、壮さんに花を持たせようとしているのだと見えてしまった。話としては『マリポーサの花』のエスコバルじゃん。最後スモークの中でセリ下がりって、まるでサヨナラショーじゃん。(こんな不吉な感想、どうか当たりませんように) 役としては、主役として書いてもいいぐらい、いい役。「壮さんには、次は色悪をやってほしい」と宝塚イズムに書いたのですが、昔よくやった挫折専科にやや近くて「色」は少ない。こうなったらいっそ、「色」部分は、まとびさんとのラブラブ場面で出していただくということで、お願いします。

ほかのメンバーは、えーっと。。。みんな十把一絡げなんだよなあ。みつるのほうがめおちゃんよりおいしかった。一花ちゃんは設定年齢60にしてはすごい腰折ってるなー、ほんとに老若男女やれる人だわよ。お母さん枠はやっぱりさあやなのね。タソは使われてるなー。

ところで。万引きする子の役って、新公では96期主犯がやるじゃないですか。大きな役で驚きましたわよ。裁判所から「同室の生徒が盗んできた可能性が高い」って言われたことを踏まえているのか!? それとも、万引き(ねつ造)する子は心がすさんでいるだけで、大きな愛をもって接すれば更生できるってことですかあ〜?

ショーは忙しくてよく覚えていません。退屈ではないです。とにかく、一場面一場面が短い。暗転が多いけど、間延びはしない。むしろ、めまぐるしくて全体像が把握できない。

いや、把握できないのは、ふみか様がさあやちゃんとまるまる一場面歌ってることの衝撃が大きすぎるからかもしれない。あれ以外の場面の記憶があまりない。なんで? なんで? なんであんな長時間歌ってるの?(きわめて素朴な疑問)

中詰めは『タカラヅカ舞夢』の男役祭りみたいでかっこいい! 雨の場面が大人っぽくてよかった。みわっちの「じらさないで」が聞けるなんて幸せだ。最後のまとびさんの銀橋渡りがちょっと演歌だった。

ショーは総じて楽しかったです。東京で観るのが楽しみだ。

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早乙女太一特別公演(新歌舞伎座 2/13 11:00) [観劇メモ(ヅカ以外)]

一幕「狐笛のかなた」はお芝居。原作あり、北林佐和子の演出。

人間にあやつられている狐(早乙女太一)と、動物の心がわかるエスパー少女(安倍なつみ)とが、戦国時代の領地争いに巻き込まれて互いをかばい合うという、切ない物語。ファンタジーだけどつっこみどころはない。「ハーフヴァンパイアってなんですか〜?」@薔薇の封印みたいな矛盾がない。よくある話なんだけど、飽きさせない。展開が早い。最初は誰と誰が敵か混乱しそうになったんだけど、ちゃんと解説してくれる人がいて、それが不自然じゃない。

OSKが近鉄にきられる直前、北林佐和子の作品がヒットしてたから、宝塚アカデミアでは「宝塚に北林佐和子を呼べばいいのに」ってしきりに言われてたよねーーー。ほんとだよ。

安倍なつみが思ったよりよかった。ヒロインのお母さん役が絶対絶対元ジェンヌだと思った。あのたたずまい、所作、笑顔。そこそこ年いってるけど、あれは娘役芸のなせるわざ。元ジェンヌじゃなかったら私、ヅカファンやめてもいいわ。→香坂千晶さんでした。日本髪だからわからんかった。ほーらね。娘役芸ってのは、男役芸と同じぐらい希有なものなんだよ。身につけるのが大変で、身につけたら一生身を助くものなんだよ。それが全く身に付くはずがない研1生にヒロインやらせるなんて、宝塚歌劇団はアホとしか(以下同文)。

一番怖くて悪い妖術使いが、すごい低いガラガラ声で誰だと思ってたら、大浦龍宇一。うっそー。リカファン的には『グッバイチャーリー』の相手役、情けない好青年だったじゃん、芸の幅ひろいんだなあ。解説担当の天狗は梶原善。三谷作品とはまた違うノリでジジババにもわかるよーに解説してくれた。ほかにも、怖げなおじさんがいっぱいで、おじさん好きとしてはほくほくでした。

早乙女太一は、まるでコムちゃんだった。この人、「俺が主役だあああ」みたいな気迫、微塵もないのね。かといって、座長らしくないかというとそんなことはなくて、ちゃんと芯になってる。舞台にいて当然、真ん中にいて当然、でも本人よくわかってない、みたいな。あー、こういう人、ほかにも知ってる、誰だっけ誰だっけ、と思って思い出した。朝海ひかるさんなのだった。舞台の妖精。ただただ踊ってたら、真ん中にいた、みたいな。芝居はやや棒読みなんだけど、刀さばきがもう美しくて美しくて。まあそういう振り付けになってるってのもあるんだろうけど、とにかくきれい。日本舞踊もきれいできれいで、はー、ほんとに妖精さんだわ、この人。ひょっとしてファンにそっけないんじゃないのかな。そいでもってファンはそのそっけなさがうれしかったりして。コムちゃんタイプなら絶対そうに違いない。

さて、二幕は本命のオギーのショー。オギーで日本もののショーをみたいと思っていたのだ。いやはや、オギーテイスト炸裂で楽しかった。

「残雪の花」というタイトルが示す赤い椿。太一が椿の精なのかな。まずは椿が雪に散る様子が描かれる。次は花魁の場面。遊郭の装置になると客席がちょっと笑うのだが、いやいやいやいや、音楽は楽しげだけど、オギーのショーで遊郭を描いて、明るいわけないやん。好いた男がいるのでお侍の誘いを断って殺傷沙汰、そのうえ置き屋で折檻される太一。いやー、ぞくぞくする。けどこれ、タカラヅカじゃあ無理かな。いや、やれるかな。

意味深な登場人物は相変わらず。冒頭の場面で目隠しした女性が連なってつれて行かれる、あれが遊女になるんだよね? 裸足の女性たちが雪の中を歩いているのが、着物を脱ぐと真っ赤な襦袢になって遊女になる。こういう仕掛けがたまらない。冒頭の場面で太一を助ける?青年が、花魁の場面でも同じように助けてて、冒頭の場面に戻るようなところもあった。最後は冬の海なのかなあ、毛槍を回したりする。好いた男と一緒に持ってるのが赤い風車(椿と似ている)だったり。巫女さんがいつも4人うろうろしてたり。あああ、パンフに場面ごとの説明載っていれば買ったのに。

装置はそんなに豪華でもないけど、でも盆とセリ、花道がある。雪や花吹雪はきれいで毒々しい。太一の衣装は豪華だし。宝塚には及ばないけど、ないよりかはましだ。文楽が好きなんだったよね、オギー。日本ものの暗さ、毒々しさ、そこにこそ咲く華やかさ。オギーの本領発揮なんじゃないの? タカラヅカの日本もの、やっぱりオギーで観たいよー。せめて、これから太一は荻田浩一を使うべし。

でも、終演後、客席のジジババは「暗かったなぁ」「ほんまやー」と言ってたっす。。。そういえば、梅沢登美男劇団のショーとか、明るくてお色気でおバカだった印象があるから、そういうのを求めてる人にはだめかもなあ。

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メイちゃんの執事(日本青年館 2/15 15:00) [観劇メモ]

遠征の報告がいっぱいあるのですが、まずはこれ。

ビジュアルはすごかった。二次元が三次元にちゃんとなってて、原作ファンにもご満足いただけたのではないかと、原作読んだことないけど推測。

装置もよかった。児玉っちは装置はいつもいいんだよね。薔薇の映像から、ドーナツ型の装置が開いて、スターさん登場! とか素晴らしい。今回はさらに、留学で仕入れてきたぞという感じの小ネタが多くて、『オグリ!』みたいに繰り出されていた。

紅ゆずるはスターオーラはすごいし、しれっとした感じが役に合っている。技術がついていかないのは、相変わらずなんだけど。歌はともかく、発声と滑舌が不安定なのは、少しも早く改善してほしい。

みやるりかわいいかわいい。学らん詰襟の舞台写真があったら即買う。でも今度はかっこいい役で観たいわ。音波みのりちゃんかわいいかわいい。芝居が自然なのも好み。白華れみはお嬢様っぽさがすごい。これぞ娘役芸。娘役芸ってのは、研1生なんかにはできないものなんだっつーの。

汐月しゅうは当たり役だし、ヒゲのあれ、誰? 漣レイラ? 研3? 将来有望ヒゲ部だねー。南風里名ちゃんと、れん様(我が家では年末のオールリクエスト以来、如月蓮をそう呼ぶ)があんまり大きな役じゃなかったのが残念だけど、それぞれのお嬢様と執事がキャラが立ってて、サイドストーリーも観たくなるような楽しさだった。ゆうちゃんさんと美穂圭子様がきっちりコメディの仕事をこなしていたのも感服。

けどねー。けどねー。けどねー。

荒唐無稽な設定はまだいい。一人のお嬢様に一人の執事っていう世界も、全くありえないわけじゃないと思う。むしろ、ちょっとときめく。だからこそ、荒唐無稽にリアリティを持たせてほしい。だって、お嬢様の心理はともかく、執事の心理がほとんど描かれていないんだもの。自分が賭けの対象になるって、どんな気持ちなの? 賭けの対象なのに自分で闘うってちょっと変だよね? それでもお嬢様の言うことを聞くのは、仕事の部分と愛情の部分とどのくらいの割合なの? 執事さんたちに聞きたいことがいっぱいあるけど、全然答えてくれなかった。なーんだ、これ、お嬢様になりたい女の子の妄想の域を出てないんじゃん。そう思うと、引いてしまう。

そもそも、立派なお嬢様になるってどういうことかというと、端的に言えば、政略結婚の道具になるってことだよね。事業を継いで事業家になるっていうのもあるかもしれないけど、いずれにしても、学校の外に出たら、ものすごく重い責任を背負わされるってことだ。しかも、結婚したら執事はついていくのかな。いくにしてもいかないにしても、お嬢様と執事の関係はあくまでも、雇い主と使用人なのだから、二人の間に生まれる愛情には、後ろめたいものが無いと、不自然。

なーんてことを思うのは、私が70年代の少女漫画で育ったからなのかもなー。だって、お蝶夫人とか、姫川亜弓とか、すっごい責任感で努力してたやん。もしくは高階良子作品とかに出てくる、一般人から傅かれつつも、裏では嫌われてるタカビーなお嬢様とかさ。お嬢様にはお嬢様なりの「社会」とか「人生」があって、お嬢様に付き従う執事にも「人生」「人間心理」があるはずだ、と思ってしまうんだよううう。ポイント集めると上位のお嬢様になれるって、なんだそりゃ。今の少女漫画ってこんなんなの? だったら、つまんないなあ。

かといって、タカラヅカがこの漫画を取り上げて公演した意味がない、というわけではないです。全然ないです。こういうビジュアル祭り! みたいな公演、一年に一回ぐらいなら楽しいです。

私が気にしているのは、この公演、最近にしては客入りが良かったので、劇団上層部が「そうかー、こういうのが売れるんだったら、こういうのばっかりにしよう」と勘違いしてしまうことなんです。

タカラヅカはビジュアルが大事で、スターさんの追っかけをするのが楽しいっていう側面もあるけど、その裏に、意外に、思ったよりも、あら不思議、深くて文学的な作品をたくさん生みだしている劇団なんだよー。私はファンになったとき、そのことに驚いて、心底感服したのです。純粋培養されたスターさんたちが深い話を演じると、外の公演では実現できないような、美しくも荒唐無稽な建前がリアリティを持って眼前に現れる、それこそが本当の「夢」であり、タカラヅカの素晴らしさだと思うのです。

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コンタクト(自由劇場 2/5 17:30) [観劇メモ(ヅカ以外)]

高倉恵美目当てで行ったが、作品として面白かった!

ダンスと少しのセリフだけ。でもストーリーがあって、抑圧された欲望がテーマで、考えさせられて、意外なオチがちゃんとある。しかも振り付け、めちゃめちゃかっこいい。こういうの、もっとたくさん観たい。

高倉恵美は本当にスタイルよくてダンスがしなやか。神秘的な、猫みたいな居方で、ゾクゾクした。アイメイクは寄り目になってて変だけど。発声は四季の例のやつだけど。(三部の主役の人はあの発声じゃなかった!ダンサーなのに、四季なのに、芝居がまとも!)二部の夫と三部のバーテンが同じ人だとは驚き。二部の妻は庶民的すぎないか。

もう一回観たいなあ。

しかし、自由劇場はピンクの床と深紅の椅子とべんがらの壁がマチマチで居心地悪い。赤なら赤に揃えろや~

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