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紫吹淳と岡田浩暉はトップコンビになればいい [観劇メモ(ヅカ以外)]

古い話になってしまって恐縮ですが。


グッバイ・ガール二回目は、友人二人と一緒に観ました。

彼女らが興奮して言うんですわ。

「リカちゃんと岡田さんて、つきあってるよね!?」
「つきあってないの?」
「あんなに顔近づけあえるなんて、よほどの信頼関係だよ!」
「今すぐ結婚すべき!!!」

それだけ、ラブラブだとゆうことです。

友人たちは、メラニーとアシュレを観ていないので、
この組み合わせが意外だったみたい。

いや〜、4年前からイチャイチャしてますから。
となぜか誇らしげな私。



飲みながら、パンフやインタビュー記事から二人の関係を探る探る。

「気心が知れて大好きな女優さん」って言ってるよ!
「メラニーのときに、今まで会ったどの女優さんよりも素敵だと思った」だって!


岡田さんのほうがリカちゃんを「好き好き」言ってくれてる。
それでリカちゃんも心を許してるんだなあ。



二人のラブラブぶりを観ていると、
こちらも本当にラブラブ気分になる。

だってあのリカちゃんに、単純に「素敵」って言える男性、すごいと思うよ(笑)。

役とかぶって見ちゃってるのかな?
エリオットは本当に魅力的な役。
一見ヘンクツだけど、あったかくて、一生けん命で、キュート!


この組み合わせ、ずーっと観ていたいなああ。

もちろん結婚も大賛成だけど(笑)。
年齢もいいバランスだしー、同郷だしー、同じさそり座だしー(そこまで調べている)。
でも、今後も舞台でも観ていたいし、
いざ結婚となると「生活」だからね〜(そこまで考える・笑)


なんかこれ、何かに似ている。


と思ったら、宝塚のトップコンビだ。

現実の生活では別に夫婦でも恋人でもなんでもないんだけど、
舞台とその周辺では夫婦や恋人扱いで、
オフでもそのあり方をファンが愛でているの。
いろんな媒体から見えてくる二人の関係に、勝手にキュンキュンしちゃって。
ゆひすみがー、えりあゆがー、とか言ってるのと、ほぼ同じじゃね?


ただ、宝塚のトップコンビだと、娘役のほうが
「大好きな○○さんの相手役になれて光栄です」(お目目キラキラ)なんだけど、
この場合は、岡田さんのほうが「光栄です」って言ってくれてるところが、逆(笑)。

でもそれこそが、真の男性の包容力よね〜〜〜


友人二人の論点は次第に、
「岡田さんみたいな素敵な男性をゲットするにはどうしたらいいか」
になってました。



って、岡田さんのファンの方、勝手なこと言ってごめんなさい。
それだけ素敵だということで。



あー、石井一孝さんの影山先生と、リカちゃんのリュータンさんも、すげー良かった。
川崎麻世とリカちゃんの組み合わせも大好物だった。
どちらもまた観たい組み合わせ!
リカちゃんを通して好きな俳優さんが増えるなんて嬉しいことだな〜
(ただちょっと、石井さんも麻世も濃ゆすぎて、「キュンキュン」ではなかったかもね^^;
そこがいいんだけどね)
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ご聖断が下りました [ヅカ的近況]

戦後70年関係の資料ばかり仕事で読んでいるせいか、こんな表現になってしまった。しかし「ご聖断」としか言いようがないですよねえ、退団発表って。

正直、油断してました。集合日にはいつもヒヤヒヤしてたんですが、管理職になられたから、もう少し在団すると思い込んでいたんです。ぬかった。

悲しいとかショックとかじゃなくて、とにかく、字は読めるんだけど、その意味を理解できないという感じ。覚えたはずの英単語が思い出せない、えーーーっと、なんだっけ、これ、みたいな。

(今思えば、トップさんを追っかけていたときは演目とかから予想がついていたので、かなり「粛々と」でした。もちろんすごく悲しかったですが)



で、発表直後に私が咄嗟にしたのは、ホテルの確保。意味がわからない英単語のはずなのに、体は反射神経で動いているという。ムラも東京も、千秋楽前後のホテルをとらなくっちゃ。そのころの仕事の予定を調整しなくっちゃ。あとあと、白い服買わなくっちゃ。

…もはや「生活」なんですね。毎日通うというほどでなくても、公演日程が発表になれば、その期間はあまり予定を入れないようにする。服を買えばお茶会に着て行こうと考える。公演に関係する本を読む(ご贔屓さん出てなければそこまでしない)。次はどんな作品で、どんな役かな〜、といつもうっすら考えている。

I've got you under my skin
皮膚の下にまであなたが入り込んでいる、という歌を思い出します。

だけど、ジェンヌさんとファンの場合は、恋人でも友人でも家族でもないから、「ご聖断」が下るまで何も知らないし、ましてや1:多。

つくづく不思議な関係だなあ〜〜〜。



家に着いて、白封筒をあけて、やっと実感がわいてきました。

「御心に従う」…これまた終戦時に頻出の表現ですが。

ジェンヌさんの退団に関して、「○○ちゃんが決めたことだから応援しましょう」ってよく言うじゃないですか。あれ、ひょっとして、「○○ちゃんが決めたことだから」ということだけを、杖のようにしてそれにつかまりながら、意味を思い出せない英単語のような退団発表を、なんとか実感にかえて足元をしっかりさせよう、という意味なんじゃなかろうか。



この機会に、ヅカファンそのものからも、やっと卒業できそうです。ものごとを終わらせるのは、始めるよりも大変。あと4か月、様々な儀式を通して「実感」を強め、きちんと成仏したいと思います。
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グッバイ・ガール(国際フォーラム 8/14 18:30) [観劇メモ(ヅカ以外)]

好きですねー、この話。

ニール・サイモンはいい。

ポンポンとセリフが飛び交うのが楽しいし、「変人」の内面が見えてきて、「魅力的な人」になっていって心を通わせるっていう過程が好き。

ダメンズな女性(コブ付)の、同棲してた彼氏が突然出ていき、アパートの残りの契約期間を譲ってもらったとやってきた元彼の友人が、すごく変な人。まさに「おかしな二人」の同居。

そんな二人が、なぜか恋に落ちるんだけど、その過程にけっこうときめく。

二人ともが仕事で落ち目になって、でも挽回する。そういうこともうれしい。

最終的に、ダメンズウォーカーな女性がそれを克服したのであろう、という結末が、個人的にはすごく良かった。

子役がとても重要。歌も踊りも演技も上手。かわいい。とってもかわいい。

元は映画で、あとからミュージカルにしたそうで。大量の会話が飛び交ってそのあいまに、感情が高ぶったところなどがナンバーになる仕組み。

早い会話で、そのやりとりは極めてアメリカンだし、いろんな舞台や映画の引用が多いから、ついていけない人もいるのかなあ。(パンフに引用の種明かしがあったので、即買い。)

衣装はちょっとフォークロアっぽい。朝、お香をたいて瞑想するなんてスピリチュアルっぽい場面も。70年代っぽいと思ったら、映画は1977年でした。ダンサーで、シングルマザーの38歳なんて、日本じゃ、70年代にはあり得なかったよね。(映画では33歳! 現代に合わせて、「現役」期間を延長してあるということ?^^;)

しかし、どう考えても国際フォーラムはでかすぎる。主要メンバー3人の芝居なんだから。クリエとかでやったほうが良かったのでは。

映画と大きく違うのは、二人が美男美女だということかなあ(笑)。でも、テンション高くなるミュージカルだから、それでいいのかもな。

(映画のヒロインは、ニール・サイモンの当時の妻なんだって!しかもほぼ実話。「第二章」のほうも主演していて、ほぼ実話。夢咲ねねとリカちゃんが同じ人の役をやっているということだ)

リカちゃんには、女性の包容力を感じた(母性って言っちゃうと男目線で嫌なので、そうは言わない) 。メラニー以降ずっとそうなんだけど、子役と一緒にいるのが自然だし、男の人に対して、「応援してる」という視線がすごく優しい。ただ、相当の量をしゃべっているから、高音がかすれているのが残念。トップ時代と同じぐらい出番が多くて大変だそうです。

岡田浩暉が、キュート! この人、ほんとにキュート! 昔から変人をやらせたらピカ1なんだけど、変人でいて、こんなにキュートっていうのは、稀有よね~。この人にこの役をやらせよう、というところから来た企画なのでは!?(ちなみに、以前は、石井一孝、小堺一機がやったそうです、うわー、どちらも素敵。リカちゃんの役は剣幸、日向薫、ジェンヌ枠なのね)

とにかく、メラニー&アシュレでいちゃいちゃしていた二人を、主役でがっつり見れて、大満足。

アパートの管理人に中尾ミエ。映画よりふくらませてあって、シャウトするナンバーもあり。さすがの歌唱力。

子役が友達たちと「私たち、恋のスパイなの」って歌うナンバーも可愛かった。

チケット追加して正解だったな~。



そういえば!

今回、マキノノゾミの演出・上演台本なんだけど、マキノノゾミがミュージカル演出って珍しいよね。『ハレルヤ!』私が再演してほしいと思っている、すんばらしいミュージカルの演出だったんだけど、ミュージカルは真の演劇人は遠慮したい、みたいなことをトークショーで言ってました(http://pt-omoitsuki.blog.so-net.ne.jp/2007-12-07)。ニール・サイモンだからOKしたのかな。全然ふつーに良かったですよ? 演出。



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南の島に雪が降る(浅草公会堂 8/8 17:30) [観劇メモ(ヅカ以外)]

泣かないわけにはいかないですわ、これは。「万感の思いをこめて」と言ってました、最後の挨拶で。

戦後70年ということで、同時期に複数の劇場で上演されているようです。

暗転が多かったり、ややまったりしているけど、中日劇場主催だから年配の人向けなのかな、とそこは割り引きました。



スカパーで昔の日本映画をよく見ているのですが、大きな目に丸い顔の、面白い脇役がしょっちゅう出てくるのです。加東大介という人だそうで、長門裕之・津川雅彦のおじさんで、沢村貞子の弟だという。へえ~~。

この加東大介が、戦時中、召集された南の島で演劇をやってたという、なんと実話なんですねえ。

それを、柳家花緑が演じるという。脚本・演出は中島敦彦。『宝塚BOYS』の組み合わせじゃないですか。好きな川崎麻世も出るし、タニも出る。ということで、チケットを買いました。

浅草公会堂は公民館ぽい劇場だけど、加東大介が浅草出身だからということなのかな。



役者なのに召集された加東さん、同じ部隊に偶然、顔見知りの演劇評論家がいて、よくよく聞いてみると、三味線がひける人、歌手、といろんな人材がいることがわかる。

派遣されたニューギニアのマノクワリは、飛行場を作ってはいるものの、作った部分を米軍に爆撃されて壊されるだけ。戦闘で死ぬ人はほとんどいないけど、空しい労働と、南国特有の病気と、飢えで、次々人が死んでいく。

で、上官の判断で、士気を高めるために演芸部隊を結成することになったのですね。

オーディションを始めると、兵隊さんというひとくくりでは見えてこなかった、いろんな個性が見えてきて、楽しい。お芝居って「いろんな人がいるんだなあ」ってことを、リアリティをもって見せてほしいものだから、ワクワクする。そして、こんな人材を戦争に送り込むことの空しさをひしひしと感 じる。

デカくてゴツい女形に、どっと笑いが起きるんだけど、でもそんな女形でも、スター扱いで、兵隊さんたちが握手を求めてきたりする。笑えるけど、泣ける。

たいした材料もないけど、一生懸命舞台美術を造り、衣装を縫って、立派な芝居をして。自分のできることを一生懸命やることの素晴らしさ。泣ける。

劇場を立ててもらったときには、おいおい泣きました、私。自分のできることで、ほかの人を喜ばせられる、なんて尊いことなんだろう。

東北出身の兵隊が、死の間際に雪が見たいというので、舞台にいっぱい雪を降らせる。ただ紙を切っただけの雪なのに。うおおおお。



この話、加東大介自身の主演で映画になっているそうです。とてもコミカルなものだそうです。見たいなあ。

一方で、右翼が好む話でもあるらしい。私の頭では全然理解できないんだよなあ。戦争で亡くなった人を悼む気持ちはわかるけど。「日本人だけが素晴らしい」「戦争になったら同じように立派に死のう」っていう論調ではなく、「戦争は二度としないようにしよう」がしっかり伝わる作品だといいなあ。

という懸念がありました。

特に彼らは、人を殺すこともあまり無く、従軍慰安婦もおらず(来るとき沈んじゃったそうだ)、加害者という側面が少ないという特徴があるそうです。→http:www.keiwa-c.ac.jp/wp-content/uploads/2013/01/veritas12-13.pdf



彼らは本当に健気。目の前の仕事に全力投球。それを、「お国のために」と当然のように思っているんです。なぜこんな目にあっているのか、なぜ戦争が起きたのかは、あまり考えないんですね。当時の人なら、それが普通だと思うから、そこを責める気にはならないです。

でも、現代に上演するからには、懸命さを讃えるだけでは、恐ろしい考え方につながってしまうよね? 目の前のことに一生懸命であると同時に、大局的な視点も持っていたいよね?

それが、上手いことに、外国人女性を登場させたのでした。多分、原作には存在しない役。

もともとオランダ領だったので、オランダ人宣教師とインドネシア女性のハーフで、父親は殺され、母親は帰国させられ、自分ははぐれた妹を探しているんだって。妹探しを、加東さんが手伝ってあげると約束するという設定。ちょっと夢物語的ではあるけど、この人が「なんでこんなことになってるの?」「おかしくない?」と問いかけるの。

しかも、見つかった妹がカタコトで「日本人は帰れ!」と叫ぶ。「いや、俺たちだって、来たくて来たわけじゃないんだ……」という、気まずーーい雰囲気。兵隊さんたちは国策の被害者であると同時に、現地の人からしたら加害者でもあるんだ、ということが端的にあらわれて、とても良かった。

また、娯楽がなければ人は生きていけない、という感動的な事実の裏面には、娯楽を与えておけば民衆は嘘に騙され続ける、という事実もあるよね。本土でも、戦局が大変になったら、娯楽を重視するようになった。マノクワリの兵隊さんにとっては、生きるよすがだったけど、それを利用する考え方もあることを忘れてはいけない。

加東大介は復員後、芝居をやめようと思ったこともあったそうだ。そういう面にも気づいていたんだろうか。また、演劇部隊は特別扱いをされていたから、そのことへの後ろめたさも当然あったと思う。

それと、女性に対する思いね。劇中劇が『瞼の母』であることといい、女形への憧れといい、男ばかりで劣悪な環境にいると、女性がものすごく神聖視されるんだなあ、過度な憧れは差別と表裏一体だけど、この場合は仕方ないよなあ…と思った。



花緑は実直で安心して観てられる。笑いの間が上手いしね。むさくるしい男たちをまとめる役というのは、『宝塚BOYS』と同じ。この人、声質はいまいちだと思ってきたけど、劇中劇での低い声がとても良かった! 落語を披露する場面もありました。

タニがねー、加東大介の妻と、外国人女性の二役なんだけど。妻役があまりにも大根で、おいおいおいおいおい! と思ったのもつかのま、外国人女性がカタコトでしゃべるのが、もうねー、超絶感がぴったりで。浮いた役がちゃんと浮いてできるっていうのも、元ジェンヌならではだよなあ、と納得。 ただ、男役披露は一回だけで十分かなー(知名度からすると)。

麻世は歌手の役。もうちょっと濃い役でもよかったかな~(私の好みとしては)。いかにも昔風の歌い方をしたりして、面白かった。外国人女性は怖いぞー、という内輪ウケのネタも。

酒井敏也が衣装係。この人すごいスターだわ。芝居が下手っていう設定で、もっすごい笑える。

女形で門戸竜二…聞いたことある、大衆演芸の人だね。ごつくて面白い女形は元関ジャニの人だそうで、劇中劇では本職の門戸さんがやってました。兵隊姿でも綺麗なお顔立ちで目立ってました。

加東さんの上官? 松村雄基が、思ってたより全然良かった。テレビドラマのイメージで怖い顔の印象しかなかったんだけど、ふつーにかっこよかっ た。

「浜辺の歌」「椰子の実」の二曲がとても効果的に使われてた。客席の誰もが知っていて、南国風で、ちょっと郷愁を誘われて。感情をもっていかれる。やっぱり、音楽、娯楽の力ってすごいなあ、って実感させられた。



後でパンフを読んだら、劇場を立てたのは昭和20年の4月。その後1年2か月も上演してたらしい。終戦後、8か月も帰れずにいたのか……。演芸でも観なくちゃ、やってられないよね。

二度とこんな馬鹿なことが起きませんように。万感の思いをこめて。


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王家に捧ぐ歌(東京宝塚劇場 8/2 15:30) [観劇メモ]

初演時にドはまりして、かなりの回数を観ました。

夫がワタルファンで、私はケロさん(汐美真帆さんね、念のため)と大真みらんちゃんが好きだったのです。

そのせいか、どの場面もよく覚えていて、でも「違う、違う〜♪」なんてことはなくって、とーーっても楽しかった。(なぜか『愛するには短すぎる』 だけは再演を観たくないんだけど、この違いはなんなんだろう)

そう、どのナンバーも秀逸で、歌も台詞もけっこう日常生活に引用して使ったものです。「あーりーえーないー♪」とかね。甲斐正人の曲がいいのはもちろんなんだけど、やっぱりキムシンのいいところが出ていると思うなあ。ケレン味がすべってない。

出だしがちょっとモタクタしてるかな? でも、ラダメスがどんどん変化していく成長物語としても、ラブストーリーとしてのウットリ感も、二人の恋が成就するか、二つの国の思惑がどう転がっていくかというハラハラ感も、平和になったら人びとは愚かになるのか? とか、お金=力なの? といった普遍的な問いも、すべてが秀逸なナンバーと、大掛かりで派手なセットと衣装との中で、上手くかみ合っている。

キムシンの最高傑作でしょう。


オペラグラスをふとあげると、演じている人が違うので「おやっ」と思うんだけど、その違いもまた楽しい。

初演は土くさい劇画、再演はお目目キラキラの少女漫画。再演のほうが宝塚っぽいかな。初演は「月の満ちる頃」がめちゃくちゃセクシャルだったけど、再演は清らか。ケペルがアムネリスとくっつくだろう妄想も、初演はアリだけど再演はナシだな。

合う演者で再演できて本当によかったです。ヒロさん、チャルさんが在団している間にできてよかった。ヒロさん、ちょっと髪型が初演と違うかな?

まあくん、爽やかーまっすぐーって感じで、ぴったり。歌上手くなったなあ。って思うのはワタルの歌唱と比べているからか(笑)。立派なトップさん だね。

みりおんは、サバサバキッパリした持ち味が活きてるし。トウコと違う娘役歌唱で、新鮮でもある。

そしてなんといっても、うららちゃん。一番難しいのがアムネリス役の配役だけど、こんな古典的な美女がいてよかった。ある音域より上が全く出てい ないのがアチャー…なんだけど、メロディ変えるわけにはいかないのかねえ。芝居は堂々として立派なもんです。歌だけなんとかして、トップになってちょ。

真風ウバルドはケロさんのようにキレた感じではなくて、心の弱さが見える感じで、これはこれで全然アリだ。

カマンテあっきーが真飛さんに見えたのはなんでだろう(顔似てる?)。ちなみに、みらんポジはモンチだった。「光ってやがる♪」てやつね。

凛きらが神官にいてびっくり。着実に悪いオジサンの階段を昇っている。あとは、瀬音りさが女官でいい仕事してた。芝居のできる子は、チョイ役でも 表情が上手い。


そうそう、平和ではなく愛をテーマに変更と言われていたけど、全然わかりませんでした。どこが違うの?? はっきり違うとわかったのは、アイーダが女官にいじめられたときに「戦いは新たな戦いを生むだけ」ではなく、「ラダメスが生きてる」と歌うところだけ(トウコが退団後にやったバージョンでもそうだった)。

キムシンがパンフに、別に平和をテーマにしてるわけじゃないしー、と書いていたけど、それは照れ隠し以外の何物でもなかろう。平和なんてベタな テーマの作品作っちゃったけど、俺、もっと難しいこと考えてるもん、おバカじゃないもん、って言いたかったんだろう。(2004年に『スサノオ』 で北朝鮮拉致問題と自衛隊の是非について問うて総スカンくらったのもその流れではなかろうか)

でも、ベタでいいじゃん。ベタだからこその完成度だと思うよ。

初演時の2003年夏は、イラク戦争が始まったばかり。エジプトがアメリカの比喩で、ウバルドたちがアルカイダの比喩だということは、客席の誰もが理解していた(と思う)。

それが12年経って、今はどうか。イラク戦争はアメリカの自作自演だったということをアメリカ自身が認め。にもかかわらず、そんなジャイアンにごますって、自作自演の戦争に一緒に参加したいと言うようなスネオ政権を誕生させてしまった。

一幕最後、ファラオが「これは賭けだ。平和を保てるかどうかの賭けだ。」と言うところで、呆然としてしまった。

怠慢のつけが今来ているんだなあ。平和や基本的人権っていうのは、努力しなければ保てないものなんだなあ。


ま、この作品だと、賭けに負けたのは、親子の情で秘密を漏らしてしまったからなんだけどね…。ここがこの作品の致命的なところなんだけどね…(平和って言っておきながら、戦争が予想できる行動をするアイーダに感情移入できない、という人がいるのはよくわかる)。あ、だからキムシンはそのア ラを隠すために「愛」と言い張りたいのか。。。。


そうそう、アムネリスの金属ウロコみたいな衣装は変更になってました。重かっただろうね、あれ。あと、クライマックスの衣装も違ってたな。月の満 ちる頃のラダメスの衣装好きだったんだけど、素材やビジューが変わってた。などなど、衣装の違いはいろいろ発見しました。

初演時はブログをやっていなかったのですが、トウコ退団後のバージョンの感想を発見。
ベタなテーマを、宝塚の様式でやるからこそ、好きなんだよなあ。
http://pt-omoitsuki.blog.so-net.ne.jp/2009-09-03
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