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宙組生の死亡と大炎上(長文) [ヅカってなんだ?的記事]

すごいことになってますね。
さすがに何か書かずにはいられず、出てきました。


ついに死人が出てしまった。と思いました。
96期裁判のとき、凄惨ないじめの実態を知った人の多くが、
原告さんが自殺しなくてよかった、と思っていたと思います。

しかも、数年前にも音楽学校で飛び降り事件があったとか。
マジかよ!

96期裁判のときと全然変わってないんだな。と思いました。
記者会見の隠蔽体質、HPの「自分は悪くない」「我々は被害者だ」的な文言、
知ってるー! って感じ。

炎上ざまあみろ。とも思ってしまいます。
あのとき、あんなに我々は抗議したのに。
いや、観たい公演はチケット買ってたから骨抜きではあるんですが、
(96期裁判の運営側の対応を理由として)友の会を辞める、スカステを辞める、
抗議の手紙を劇団に出す、等々してきたのに、それを完全無視したからだよー、
今、つけが回ってきたんだよー。

ついに貸切公演の企業からも見限られつつあって、
なんで96期裁判のときはそうならなかったんだろう、
やっと時代が追いついたのか? 遅すぎ!

あのとき「いじめなんてどこにでもある」と言って、気にせず観続けてた人たち、
今どう思ってる? ひょっとして文春が悪い、死んだ人が悪いって思ってる?

さすがに、今までの音楽学校生や演出家の加害とは違って、
現役の生徒、しかもトップスターを含む名前が出てしまっているのは、
有耶無耶にするのは無理でしょう。

正直、名前のあがった生徒は退団し、宙組を解体する、
ぐらいでないと再興できないのでは。
いっそ、宝塚そのものが解散するかも。そうなってもいいとまで思います。
レビューや歌劇は宝塚以外でだってできるのだし。

(でも、舞台が好きなもう一人の私は、
あれだけの豪華な舞台はほかでは難しいよな、とか、
1つの公演がほとんどまるまる無くなってしまうことはかなりショックだな、
周年なのに運動会が無いのかー、
とか思ってしまう部分もあるのですが)


(以下、雑談)

報道で出てくる人名には、ゴシップ的な要素もあって、
藤井大介アル中なんだ(苦笑)とか、
小林公平、公一がいい人扱いになってるけど、そうかあ~?
人事ごり押しとか、変な歌詞歌わせるとか、彼らもやってたじゃん?
紅より北翔をトップにするのは正しい判断なのでは? とか思ったり。

しかし上田久美子のパワハラや小池修一郎、野口幸作(+藤井大介)の性暴力は笑えないな。

演出助手が上田久美子のパワハラで辞めて、お金で解決させられたというのは、
何がなんでも裁判にしたくなかった、
96期裁判で裁判記録が誰でも見られる状態になったのが、トラウマだったんだろうな。

真風→星風のいじめは、
なるほど! だから芝居がかみ合ってなかったんだ! と納得。 
凰稀が厳しい「指導」をしてたっていうのも、
少なくとも包容力とかとは無縁で、
ベストアクトは『堕天使の涙』の新人公演のこじらせた役だったから、ちょっとわかる…

野口幸作の芝居は感情がないし、
小池修一郎のオリジナルは品がないし。
人柄や関係性って本当に舞台や作品に出るんだな、
自分が感じていたことは間違ってなかったんだ、
とちょっと驚いたり。

いやでも、それぞれの作品、パフォーマンスで秀でた点は確かにあったわけで。
上田作品で泣いたこともあるし、
小池の海外ミュージカルの翻案は確かに大きな転機だった。

だからと言って、小池修一郎が干されたら日本のエンタメはどうなる、とかは全く思わない。
レイプされたり自殺しなければいけないような人が一人でも減るなら、
それが一番。それ以上のことは無い。
エンタメ界には新しい才能が出てくるはず。

ただ、自分は悪いことしてないのに公演がなくなって収入がなくなる関係者のことは心配だ。
同じ「傍観者としての責任がある」とはいえ、
観客は自分の生活があるから、エンタメが無くなっても死ぬわけじゃない。
でも関係者は生活がかかっているものね…。

(雑談終わり)


戦前戦中ぐらいに活躍したジェンヌさんの自伝などを読んでいると、
先輩にいびられた話はけっこう出てきます。
でも、組織の仕組みとしてそれをやる感じではないように読めました。
変なルールとかも登場しません。

80年代入団のスターさんの話だと、音楽学校さぼってファミリーランドで遊んでた、
という話も頻出するし(たしか香寿たつきとか)、
00年代にコマ劇場でのOG公演シンデレラに出演した、
当時現役だった樹里咲穂と遠野あすかが、ベルばら時代のスターOGの、
自由さ、上下関係の無さにものすごく驚いて、喜んでました。

だから、報道にもある通り、阪神大震災以降、宙組作って以降、
儲け第一、過重労働になって、いろいろと厳しくなっていた、
というのは確かにそうなんだろうと思います。
スカステができたのも過重労働の一つでしょう。


でも、知人がかなり昔の話として、「高校時代の友人があこがれて入団したけど、
夢と現実は違うんですよねー、すぐ辞めました」と言ってたり、
島田歌穂がTCAプレスのインタビューで、母親が元ジェンヌだけど、
「あなたには合わない世界だから」と島田歌穂が入団しようとするのを止めた話をしてたり、
それらのニュアンスから、ブラックぽいなとは思っていました。

なぜそのときにもっと考えなかったんだ、自分…。

劇団幹部に物申した他組のトップスターに、
幹部が「俺がトップにしてやったのに」と言ったとか。
その家父長制的考え方! キモーーー!

そもそも小林一三は「お父さん」と呼ばれていたわけで、
昔の家父長制的考え方が、今もえんえんと生きている。
遊廓の経営者が「お父さん」「お母さん」と呼ばれていたのと同じで、
「家族的」という言葉は疑ってかからなければなりません。
家族という名前で搾取される上下関係が、
ジェンヌ同士、スタッフ同士の間にも生きているってことです。

OGの証言で「上になって下をいびるとストレス解消になる、
今までやられてたことの仕返し」というのがありましたね。
出演者をこき使い、競争させ、ストレスを与えるのだから、当然、いじめが起きやすくなる。

変なルールは、人をいじめるためにあるとしか思えません。
1期上と下に情報を伝達するルール「上げ」「下げ」とか、
そんなん一斉にLINE送信すりゃいいじゃん、アホかと。
典型的なブラック企業です。

ファンもファンクラブで競争させられ、お金を使わされています。
ファンクラブのスタッフさんの「献身」も、やりがい搾取そのものです。


湖月わたるが言っていた「(宝塚は)みんなで魔法をかけあっている」は、
夢のような世界になるように努力している、
つまり、たとえば、いじめたくなっても理性で止める、ということかと思っていました。
湖月さんはたしかにそうかもしれん。

でも多くの実態は、いじめがあっても無かったことにするという
「魔法」をかけていたのかもしれません。

あああ、「魔法は」、「自治」や「伝統」の名のもとの隠蔽だったのだ…。

「魔法」が成り立っていたのは、
我々ファンが、周辺の企業が、世間が、みんなが、
素晴らしいものだと賞賛し、消費してきたから。
自らの依存対象として、儲けの材料として、必要としてきたから。

歌舞伎もジャニーズも、スポーツも同じ。

でももう、魔法はとけてしまいました。
私にだけでなく、社会全体で。



昔の自分の書いたものを読んでたら、上に書いたこととほぼ同じでした(笑)。
このカテゴリとか。自分が、宝塚に対する未練が無くなってるとこだけが違う(笑)。



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演出家原田諒のセクハラパワハラについて [ヅカってなんだ?的記事]

年末に原田諒のパワハラセクハラが報道されたので、出てきました。
96期のいじめ裁判をずっと追ってきた身としては
(このブログではこのカテゴリ)、
宝塚の体質として当然こういうことはあるだろう、あっただろう、
寺田瀧雄のときなんか完全スルーだったんだから、という感想しかないです。

ただ、原田諒を辞めさせたのは、進歩だなあ、とは思います。
96期の事件は、ブラック企業という言葉が広まる少し前だったと思うし、
演劇界でのパワハラセクハラ、スポーツ界でのパワハラセクハラも
まだそれほど話題になっていなかったので、
世の中の変化に、宝塚が少し追い付いたのだろう、と少し感慨深いです。

もちろん、公式HPの「今後はハラスメントの防止のさらなる徹底に努める所存」とか、
「個人のプライバシー保護の観点から配慮を欠いた記事であり大変遺憾であるとともに、
本件に関して弊団が隠ぺい等の不適切な対応や不誠実な発言を行ったかのような、
事実と異なる内容や表現がございます」」とか、
具体的にどうなのか全然明らかにしておらず、
そもそも文春砲がなければ、しれっと退職を報告しなかった
(もともと演出家の退団は公にしてないけど)ふしがあって、
昨今のコンプライアンスからしたらダメダメではあります。
せめて、対策ガイドラインの策定や、相談窓口の開設を実施します、
ぐらい言わないと、本気だとは思えません。
(そんなことするわけないですよね 苦笑)

また、「辞めさせたからそれでいいでしょ」という発想は、
96期のときに被害者や、とばっちりをくらった生徒を
辞めさせようとしたのと変わってない気がします。
(今回は加害者を辞めさせたからマシではあるけど)
被害者意識丸出しな文章も、96期のときと全然変わってないですね。


私が疑問なのは、ファンの人たちが怒っていることです。
今ファンでいる人たちの多くは、96期のことを承知で、
そういうものだと思って観ているのではないの?
東小雪さんが、暴力的な構造になっているとずっと警鐘を鳴らしていたし(本の感想)
それでもかまわないと思って観ているのではないのかなあ? と不思議です。
知らない人が多いのか、考えないようにしているのか。。。
まあそれだけ宝塚は魅力的ですからね…

あのときは加害者も被害者もジェンヌ(の卵)だったけど、
今回は加害者は演出家、被害者は演出助手とジェンヌだから、
加害者を批判しやすいのかもしれません。
さらに、加害者が男性というのもあるかも。
同じ共同体にいるとはいえ、演出家、男性、は
自分たちの花園の正規メンバーではないという感覚はたしかにあります。

 完全に余談だけど、
 2011年の「ニジンスキー」の男性同士のラブシーン
 (今回の事件の被害者は男性という説もありますね)、
 演出は完全にジェンヌがやってて、「原田君は顔真っ赤にして見てるだけだった」
 と複数のお茶会で聞きましたが、
 いつのまに、ジェンヌに暴言吐くような「お偉い」演出家になってたんですねえ。

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オリンピック閉会式にトップスターが出演したこと [ヅカってなんだ?的記事]

友人から、怒ってる? と聞かれました。

え、むしろ納得してますよ。「あるある」じゃないですか。

数日前から文春に出てて、「いかにもありそうだなあ」と思いました。
だって、国体とかでの国歌斉唱とかよくやってますよね?

宝塚の生徒さんの日常が、「上級生の言うことは絶対」なんだから、
宝塚の体質全体が、「お上に従う」であることは自明のことです。

そもそも日中戦争中も海軍軍人の作った国策歌劇上演してたし、
お上に従わないなんて選択肢は無い、
むしろ喜ばしいことだという体質だと思います。

今コロナが心配なので、そんな中で生徒を出演させるなんて、という
ファンの心配はよくわかります。
そういうとき、生徒一人ひとりを大事にする劇団ではないと思います。正直。

大体、明らかにいじめがあったのに、おおやけにはついに、
指導だと言い張り続けたんだから、
「人権」とか「コンプライアンス」とか存在しない組織だって、
わかってることじゃありませんか。
(もうとにかく、劇団への不信感が半端ない私。地の底まで落ちてます)

だから、たとえば今後、黒塗りのショーをどうするんだろうとか、
女性差別的な場面をどうするんだろうとか、
全然、期待していません。
(『CONGA!!』に夢中になって通ったのはいつだっけ、と調べたら2012年、9年前かあ~
こういう意識は、急速に(良いほうに)変わってますね)


じゃあどうして自分は宝塚を好きになったんだろう?
とふと疑問に(笑)。

多分、そういう家父長制の元にできた、
お上に従うことを疑いもしない体制の中なのに、
いや、だからこそ?
作られた作品や舞台に、一瞬、
それらを転覆するような、逆転するような、何かが、
キラリと見えるから、かなあ。

大人しい少女として求められ、従順に従っているのに、
やってることはぶっ飛んでる、意識せずに逸脱している、
従順であろうとする体質と、逸脱しようとする力、
背反するものの共存が面白い(面白かった)、
ということなのかなあ。

…といったことを、ファンになった当初書いていたHP、
いつのまにかプロバイダがサービスを終了して読めなくなってしまいました~
(自分のバックアップは取ってるのですが)

あ、それって今私がよく見に行ってるストリップでも、
似たようなことを魅力だと思っているのかも…


ちなみにですが、オリンピックについては、
東京に決まったときから、
「アンダーコントロール」「温暖な気候」って嘘ばっかり、と思っていたし、
直前にIOCがひどいぼったくりであることがわかったりしたことも、
怒りながらも、どんどん明らかになればいいと思っていました。
だからオリンピックは一切見ていないのです。
(もともとスポーツには、特定の種目をのぞいて興味がないし、
国ごとに応援するとか、気持ち悪く感じてしまう)

本当は検証のために見なくちゃいけないんだけど、今は精神的に耐えられなくて…
いつかはちゃんと検証のために見たいと思います。
森山未来の踊りは見てみたいし。


東京に決まった日、ちょうどムラで入り待ちに参加してて、
みんなで「7年後どうなってるかねえ」って言い合ったのを覚えています。
ありがたいことにファンの集いは続いていて、
でもコロナでこんなだし、社会全体がますますひどいことになっちゃってるよー
と、7年前の自分に教えてあげたいです。トホホ。




(追記)

こんなニュース記事がありました。
https://news.biglobe.ne.jp/entertainment/0809/srb_210809_3403642112.html

「コロナで国や都はさんざん『エンタメなんか不要不急』といって圧をかけてきました。それなのにまあ、ぬけぬけと閉会式にタカラジェンヌを利用するなんて腹が立ちます」

そうだよねえ~~!
ファンよ、怒ろう!
怒って怒って怒れば変わるかも!

あ、でも、劇団に対して怒ることが、慣例になってしまっている、
という気もする…
昔の記事に書いてました。
↓ 「阪神教と宝塚教」
https://pt-omoitsuki.blog.ss-blog.jp/2009-12-18

いじめ裁判についてはこちらをお読みいただけたら幸いです

https://pt-omoitsuki.blog.ss-blog.jp/archive/c2301186891-1


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「キザる」の衰退 [ヅカってなんだ?的記事]

一体いつから自分は宝塚を物足りなく思うようになったのだろうか。


物足りない、を、いつも「薄くなった」と表現していたけど、
具体的にはどういうことなんだろうか。

2010年代はじめに、そのころファンになった人に、
「紫吹さんとか湖月さんとかって、映像で観ると、濃すぎて笑っちゃいますよね」
って言われて、へ~、と思った記憶がある。
その人は、もっと薄いのが好きなのだそうだ。
宝塚は、濃くてなんぼ、笑ってなんぼでは? と不思議だった。


2004年にHPを作ったとき、
「男役の色気」がきっかけだったと書いた。
今、「男役の色気」ってあるかなあ?

女性が男役をやるからこその、不思議なオーラ、は確かにある。
こちらを誘惑するような、ドキドキするような、
男役さんからの目線というのは、確かにある。と思う。
あと包容力ね。


けど、私が好きだった「色気」はあまり感じられないな。
それこそが「濃い」ものなんだろう、多分。

じゃあその「色気」って具体的にはどういうものを指すんだろう。
不思議なオーラを土台としつつ、その上にある芸。


と、いろいろ考えてみると、
具体的には、ごく狭い範囲で言えば、
「キザる」ってやつかもしれん。


前述の、薄いのが好きだという人は、
「カフスを直すとか、髪を撫でつけるとか、
そういうキザる動作が好きではない」と言っていて、
だったらなぜ宝塚を見ているんだろ? とまで思ったものです。

「キザる」所作よりもう少し広い範囲で言えば、
客席へのアピール、かな。表情とか目線とか。
舞台から客席の一本釣りって、今もあるんだろうか。


今、そういうのってほとんど見られない気がする。
(たまにしか見ないので見落としていたらすみません、
おすすめの人いたら教えてください)

ふみか様(86期)はそれがある人だったけど、
(でなかったらファンにならん)
でも退団した2015年には、すでに少数派だった…


「キザる」は、一体いつ消滅したのだろうか。


トップさんで考えてみると、
蘭寿さんにはあった。
『ミスタースウィング』という作品名は、腰の振りから来ているわけだし。

82期の蘭寿さん、壮さんにはあった。
84期の北翔さんにもあった。
でもそれ以降は…??

(だいもん退団公演で確認したけど、歌うときのフリとして素敵なタメはあった。
でも伝統的なキザる動作はなかった。
唯一、中詰めの銀橋渡りで、だいもんとスターさん数人がウィンクしてたのが、
客席へのアピールだな)

振り付けとしてはあるけど、
ショーの「間合い」でそれを積極的に繰り出す、
ということはほぼ無いのでは。

…映像で確認しなくちゃ。

仮説として、北翔さんの2017年の退団がひとつのメルクマールだった説をあげておく。
遅れての就任だったから、まさに「キザる」の残照。


ジェンヌさんのおばさまをしているおばさまが(変な日本語 笑)、
「旧音楽学校を使っていた世代と、そうでない世代で断絶がある。
85期は予科のとき旧で、本科のとき新だから、境目だ」と言っていた。

そうなのかもーーー!


今ものすごく実感している。
とてもさみしい。
ひしひしと、さみしい。


完全に滅亡してしまったのだろうか。
今どこに行ったらそういう芸が見られるのだろうか。
ひょっとして、タソが続けてくれているのだろうか。



(繰り返しますが、たまにしか見ないので見落としていたらすみません、
おすすめの人いたら教えてください。切実に! お願いします!)



で、思うに、
今私は元キャバレーの踊り子さんのやるショーや、
ストリップにはまっているのですが(→こちらのブログ)、
そこには「キザる」に類するものがあるんじゃないか。
踊り子さんがうっとりするときに、自分で自分の頬を撫でたりする、
そういう伝統的な所作があるんですよ。
(男役ではないけど)「キザる」に近いのではないか。
という気が、ちらほらと。
いや、ひしひしと。
しています。



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音楽学校のおかしなルール廃止という報道について [ヅカってなんだ?的記事]

宝塚音楽学校が、おかしなルールを廃止する、
という報道がありました。

ほほう、いいことだな
と思う一方で、
え、10年前にあんな事件があったのに、
まだ改善してなかったんかい!

とも思いました。

津田大介のネット番組に東小雪さんが出ていたのも聞きました。
(あいちトリエンナーレ以来、津田大介のことは全面的に信頼しています。
金髪の変なオジサンじゃないのよ)

とても良かったです。

96期のことは、本科からのこともあるから、すべてはつまびらかになっていないのではないか、
なぜ今なのかはわからない(何か事件が起きたのではないか、と津田大介。私もそう思いました)
誰が何をしたかとかではなく、暴力的な構造に巻き込まれた一人として向き合う必要がある、
といったことが印象的でした。

気になったのは、広報のコメント(私は読んでいない)では、
舞台を一体として務めるために必要なことは続ける、と言っているそうで、
それでは変わらないのではないか。という指摘。

そしたらなんと!

音楽学校側は、別にそんなこと決めてはいないという報道が。

なんと、最初の記事は、完全な「飛ばし」だったんですねええ。


いやはや、これはいい飛ばし記事だったんじゃないですか。
だって、もう今後、これにまつわる事件があったら、
「おいおいおい、パワハラやめたって言ってたじゃん、どうなってるの?」
って目が注がれます。

「いや、やめたつもりないです」と言い張っても、
「にしてもパワハラでしょ」となる。

10年前の裁判、あと数年後だったら、
スポーツ界でのパワハラも問題になったから、
もっともっと叩かれただろうな、
その前で、ほんと運が良かったね(棒読み)、と思ってました。

でもさすがに今、その目が注がれるようになった。
東さんのブログ等は「全く炎上していない」そうです。全く!
世の中が変わってきたことを、素晴らしく思います。


ただ、ファンやOGのSNSでの発言を見ていると、
変わっていない人も多いみたい。

「愛ある指導もあるはず」「部外者に何も言われたくない」
「伝統は大事」「それがなくなったら宝塚じゃない」

これって、児童虐待や家庭内暴力、スポーツパワハラの加害者と
まったく同じ。笑っちゃうぐらい同じ。

「家庭の中に入り込むな」「これは愛だ」
「伝統的な家庭の在り方はこれしかない」


「愛」とか「伝統」は一番警戒しなきゃいけない言葉。
虐待を見かけたら、誰だって通報義務があります。

本当に「愛」のある指導なら、
それは下級生に対して「敬意」があるかどうか、で判断してみてはどうですかね。
下級生が「やめてください」「これはできません」と言ったときに、
話を聞けるかどうか。相手に敬意があれば、話を聞いて、相談し合えますよね。
そもそも下級生が「やめてください」と言えないような状況なら、
それは、「愛」ではない。


私は、宝塚の特色は、「少女ならではの閉鎖的な空間」だと思っています。
だからこそ、あの面白い仕組みや芸があり、
だからこそ、暴力の温床になる。

関わる誰もが不幸にならないように、
つまり、暴力の温床にならないように、最大限気を付けながら、
面白い仕組みや芸の良いところを残すことは、
意識を変えれば、絶対にできるはず。


今回の「飛ばし」記事がそれを少し推進してくれたのなら良いな、と、
もはや完全な部外者だけど、思います。




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市民よ怒れ [ヅカってなんだ?的記事]

タイトルはもちろん、エリザベートの一節。

新型コロナウィルスの影響で、
2月29日に観るはずだった、シアターコクーンの「泣くロミオ、怒るジュリエット」、
3月7日に観るはずだった、世田谷パブリックシアターの「お勢、断行」が
観られなくなりました。

オリンピック中止か!? との報道があったとたん、
2月27日に政府が、1~2週間、イベントを自粛するように、
小中高も休校するように、と「要請」し、
それにどこか(記憶する限り、サッカー、パフューム、四季でしょうか)が応えたら、
ばたばたっとみんなならったからです。
訴えられたらやばいっていう判断なんでしょう。

宝塚は、3月9日から再開して、
星組のムラの千秋楽(みつるさん退団)は実施できたけど、
結局、また政府から10日ぐらいの自粛の要請が来たので、
12日から休止。

そして今日、雪組の東京千秋楽は実施する、
映画館での中継は無し、かわりにスカステで生中継、
ムラの花組は27日からと発表がありました。

ほかの劇場も、だんだん公演を再開しています。


何もかも、科学的根拠がありません。
検査の数は諸外国に比べて少なすぎ、
実際の感染者数はおそらく、誰も把握できていないと思われます。
休校や自粛の要請も、当初は専門家に相談してもいません。
休校は文科省の役人たちもニュースで聞いて驚いたというほどです。

3月9日の専門家会議の資料には、
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/newpage_00011.html
密閉された空間で、手が届く範囲に人がいて、会話する、の
3つがそろった状況が良くないという。

じゃあ、劇場内は会話しないのに、なんで休止してたの??
出演者のためか。それならわかる。

でも、じゃあ、展覧会はなんで自粛してたの?

学校はダメで学童はいいのはなんでなの
街中では若者が暇だからってうじゃうじゃ遊んでるよ?

あげくに、3月14日の首相の会見だと、「緊急事態ではない」。
はあああ!??
何もかもが、行き当たりばったり。

そもそも、希望する人が検査を受けれていない状況が
どうして発生していたのか、これからどうする方針なのか、
ダイヤモンドプリンセス号の対処はどう総括するのか、
1月から、ずっと疑問だったことの答えが、
いまだに、まったく示されていないんですけど??



長ければ2年ぐらいかけて準備して、
衣装も大道具も作って、役者さんの予定もあけて、
稽古して、努力して作り上げたものが、こうして根拠なくつぶれる。
「お勢」なんて、ゲネプロ当日に中止決定。一度も上演されない。

舞台関係、経済的に大打撃で、今後どうなるか。心配しかない。

野田秀樹や平田オリザが声をあげて、
松尾貴史やラサール石井、ケラリーノ・サンドロビッチはもちろん、
ノンポリに見えていた役者さん、舞台関係者もけっこう発言したけど、
それにつくコメント類は惨憺たる有様だった。

試算では、チケットの払い戻しだけで57億だという。
https://twitter.com/pichixxx/status/1237577715718303744
それ、トランプに言われて買ってる兵器よりも、全然安いよ??
加計学園にあげたお金よりも、全然安いよ??
(その後、払い戻しは5000億円という試算も出ました)

音楽家や演劇関係者への補償について、共産党の小池晃が言及したけど、
政府が出した結論は、
「フリーランスで休校のため仕事ができなかった人だけに一日4000円」
ってなんですか、それ。
その後の一律で12000円ってのも、その雑でチープな施策はなんですか。
何もかもが、「やってるふり」です。



なぜ宝塚ファンの間では、
休演の是非や、政府の補償について、議論されないのだろう。

ハッシュタグで、ジェンヌさんへの愛を伝えることはあったけど。
https://twitter.com/hashtag/%E6%84%9B%E3%81%97%E3%81%A6%E3%82%8B%E3%82%88%E5%AE%9D%E5%A1%9A%E6%AD%8C%E5%8A%87%E5%9B%A3

新型インフルのときは、入り出待ちはしなかったけど(たしか)、
お茶会はマスク着用(ジェンヌも)、握手なし、でやった。水さんのに参加した記憶がある。
新型コロナは、潜伏期間が長いとか、重症にならない人が多いという違いがあって、
種類の違う怖さだけど。
(あと、ヅカファンは高齢者が多いという特徴もあるけど)

震災のときは、伝染するってわけじゃないから話違うけど、
余震があること、電気が少ない、しかも「不謹慎」ムード(これも最悪)で、
上演するかどうかの決断だった。
結局、それなりに上演したんだよね。
(そのころの時系列は『宝塚イズム』16号にまとめました。
https://books.google.co.jp/books?id=SIpxDgAAQBAJ&pg=PT105&lpg=PT105&dq=%E5%AE%9D%E5%A1%9A%E3%82%A4%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%80%80%E9%9C%87%E7%81%BD&source=bl&ots=hYDkMKEnkm&sig=ACfU3U0iQFeqghbGq61VeVJsH0na3LJmpw&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwjPosLe_YToAhWJwZQKHQZJCNcQ6AEwAnoECAYQAQ#v=onepage&q=%E5%AE%9D%E5%A1%9A%E3%82%A4%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%80%80%E9%9C%87%E7%81%BD&f=false
今回のことも誰かどこかにまとめてー)

もちろん、何がなんでも上演すべきだとは言わない。

でも、どうして自粛を要請したのか、正しかったのか、どうして今再開してもいい雰囲気になってるのか。
科学的根拠や検討過程の公開がなされていないことは、どう考えてもおかしい。
(そもそもちゃんと検討してないということなのだろう…)

少なくとも、文化的活動の維持のために国が補償すべきでは?

台湾では50億が準備され、
ドイツでは首相の声明で、文化の大切さに言及したという。
なのに日本は。

なぜみんな怒らないの???
生命や権利や文化を守るために怒ることは、悪いことじゃない。
怒るべきときに怒らなかったら、ないがしろにされ続けて、
私たちの大好きな「文化」が無くなってしまうよ?

(…まあ、ヅカファンがいろいろ声をあげない最大の理由は、
ジェンヌという人質を取られているから、なんだけどね。)



この記事なんか、最低だと思う。
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202003110000558.html
御用記者だろうに、なぜこんな書き方を? 何か裏があるのか?
あ、そうか。中止せよって声が多かったってことを、
ほかのファンに伝えたいのか。

しかし、「時期を読み間違えた」って、
感染者が出たならともかく、
自粛の要請に科学的根拠がないんだから、
間違いかどうかなんて、わからない。
単に、「ほかと足並みを揃えなかった」だけでしょう。

日本では、「ほかと合わせない」ことが最大の悪であって、
客観的にどうか、科学的にどうか、なんてことは、
どうでもいいってことだ。

いじめ裁判のときだって、倫理的には、
どう考えてもいじめが悪なのに、
「裁判起こすなんて、上に逆らうのは悪」って声が大きかった。
この記事で言ってることが近いです)

間違っていることに抗議しても、
「和を乱す」とか言われる世界。



つらい状況にけなげでに耐える。
宝塚ワールドで、私はいつも「けなげさ」に感動していた。

もちろん、今も、やるかわからない5月以降の公演のチケットも積極的に買った。

けど、けなげに耐えるだけ、けなげにチケット買って応援するだけでいいんだろうか。
こんなに経済が衰退した国で、
文化も人権も生命すらも大事にしない国で、
科学的な根拠を示すこともできず、行き当たりばったりの施策しかできない国で、
「これからも私たちが支えよう」という「けなげさ」だけで、
エンタメを続けていけるだろうか?






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「個人」より「場」 [ヅカってなんだ?的記事]

コラムニスト小田嶋隆のツイートによると、彼は、
「マスコミから仕事をもらっているのに、
マスコミを批判するなんて、おかしい」
と言われるそうだ。

文筆家がマスコミという大きな大きな仕組みに属することは
そうそう変えられない。
一方で、大きな大きな仕組みに何も問題がないなんて有り得ない。
だから、マスコミから仕事をもらいつつ、批判する、
なんて当たり前のことじゃないか。

これを敷衍していったら、
日本に住んでいるのに、
日本の○○を批判してはいけない、
になってしまう。


あ、、、
そういう考えって、、、
と思い当った。


東小雪さんが、何年か前、新聞記事になったときに、
ネットで、
「宝塚出身でそのことをウリにしているのに、
宝塚を批判するのはおかしい」
と叩かれていた。
(これとか→https://togetter.com/li/930919

例のいじめ裁判のときもそうで、
自分が所属している(いた)組織を批判すること自体がおかしい、
という考え方をする人がけっこういた。

虐待されている子どもに向かって、
「産んでくれた親に感謝しろ」って言ってるみたいだと思った。



所属している組織(場)が、
(表面的には)なにごともなく続いていくことが大事で、
その組織が、本来どうあるべきか、
建前として、理想として、社会はどうあるべきか、
ということは考えない。

「空気を読む」という言葉がまさに言い当てているように、
「場の空気」、実体のない「世間様」に従うことが何より大事。

音楽学校は、司法判断よりも宝塚のほうがえらい、って言いきっていた。



私はずっと、いじめ裁判について、
「善悪の区別もついてないなんて、おかしい」
http://pt-omoitsuki.blog.so-net.ne.jp/archive/c2301186891-3
と怒ってきたけど、
場の空気を優先する人にとっては、
場の空気を壊すことこそが悪なんだ、
そうか、
そうなんだ。



森友学園、加計学園の問題で、
役人が、政権の不利になる公文書をマスコミに提供することを、
批判する人たちもいる。

日本に住んでいるんだから、
日本の政権を批判するな。
(住んでいることと、政権とは、全然イコールではないのに)

役所に勤めているんだから、
役所の不利になることはするな。
(役所という組織と、勤めている個人は、別物なのに)


批判する人たちが従っているのは、
「場が壊れることはしてはいけない」という考え方。
「場」とそこにいる人間はイコール。

内部告発者が従っているのは、
「本来、社会はどうあるべきか」という考え方。
「場」とか「家族」とかよりもっと大きなところに基準があって、
それとは別に「組織」があって、さらに別に「個人」がある。



私は、宝塚を好きになったとき、
「夢」をしきりに謳っているから、
「夢」=「みんなが幸せになれる」
→一人一人が「個人」として幸せになれることだと思っていたの。

でも、ちょっと考えれば、
団体責任とか、年功序列とか、
個人尊重じゃないことはすぐわかる。


「夢」=「みんなが幸せになれる」
→誰かが犠牲になっても、場の空気を壊さない、
つまり、場としての「みんな」が幸せになる、

だったんですね~~。



宝塚の人や芸が好きすぎて、
仕組みの本質から目を背けていたんだなあ。。。


最近の社会のあり方を見ていると、
7年前のいじめ裁判で問題だと感じたことが、
社会全体からじわじわとにじみ出ているように思う、
今日この頃です。


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本の感想 [ヅカってなんだ?的記事]

あけましておめでとうございます。

1年前は、ふみかちゃんが退団して、ぽかあーーーーーんとしていました。
その後、どうなるかと思っていましたが。

ふみかちゃんは芸能活動を始め、羊たちの同窓会もあり。

自分も、宝塚はアウェーな場所になってしまったけど、
ちょこちょこ観劇しては、感想を書きたくなって今に至る、と。

「余生」をぼちぼち生きられたらと思います(笑)。


で、ふと振り返ったら、記事にしてない文章がありました。

退団公演でムラに何往復もしていたとき、
飛行機や新幹線の中で、せっかくだから、
読んでなかった宝塚本を読んでたんですよね。

昔は、宝塚研究の本を片っ端から読んでいたんですが
(そのときの感想一覧→http://www009.upp.so-net.ne.jp/ft2/koutenteki-zukafun/library.html
96期裁判でどんどん醒めていったため、
「ブラック企業に経営のコツとか聞いても、意味ねーわ(怒)」
と思って、途中から一切読んでいなかったという(苦笑)。

とりあえず読んだ5冊の感想をここに載せておきます。

-----------------

○ヅカメン! おとうちゃんたちの宝塚 / 宮津大蔵(廣済堂出版 2014)

ルンパさんの御夫君が書いた小説。
中学生でも読めるような、わかりやすいお話しでありつつ、
複数の人物がバラバラに登場するのに、それぞれ関連しあっていて、
最後はフィナーレで全員が登場する、とても気の利いた作りです。

宝塚を支える生徒監、プロデューサー、大道具さんといった男性のほか、
生徒のお兄さんやお父さんも含めて、
男性の立場から宝塚を描くことで、
戸惑いつつも宝塚への愛情が湧いていく様子が、イキイキと伝わってきます。

サンバさんという名前で登場する上級生男役さん(もちろんルンパさんがモデル)、
ちょっとだけ、ふみかちゃんと重なったりもしました(/_;)
こんな伴侶を見つけてくださるなら、喜ばしいことです(/_;)
(本の感想と関係ない 笑)



○宝塚百年を超えて 植田紳爾に聞く / 川崎賢子(国書刊行会 2014)

紳爾に賢子が聞き書きした本。
いやー、これはマジ面白い!!

これまでの著書では語られていなかった話も、
聞かれると答えちゃうってことで、
白井鉄造との確執!! 山村家への婿入り、等々
初出エピソード多数です。

北条秀司に師事したというようなことも、
詳しい経緯とともに、当時の演劇事情がよくわかります。

宝塚での実際の現場の
昔と今の変化などもそれなりに語られているので、
紳爾ファン(っているのか 笑)以外にももちろん面白いです。

宝塚文化をどうとらえるか、今後どうあるべきか、というような部分では、
賢子がガンガンに突っ込んで聞いても、
全然答えになっていない部分もあったりして、それはそれで(^_^;)

賢子には、ほかの先生方にも是非聞き書きをしていただきたいです。
(渡辺武夫はキムシンがインタビューしてましたが、本にはならないのかな?)

ちなみに、例の裁判については、
「個人情報保護で生徒の家庭の事情がわからなくなったからだ」
と紳爾が答えていて、
「そりゃ違うだろー!」と読みながら全力で突っ込んだら、
賢子がビシっと反論してくれていました。



○元・宝塚総支配人が語る「タカラヅカ」の経営戦略 / 森下 信雄(角川書店 2015)

「どうして再演が多くなったんだろう、どうしてあんまりショーやらないんだろう」
「どうして大劇場と東京の間の休みが短くなったんだろう」
と疑問に思っていたことの大半が、
「コストがかかるから」「儲からないから」だと明言されていて、
おおぅ……、となりました。

しかもそのきっかけ的なものが、国鉄民営化だというから興味深い。
バブル前じゃないですか。
経済は長いスパンで見ないといけないのですね。

悠長な少女歌劇が、不況の時代、どうやって儲けを出すか。
けっこう赤裸々で面白く、また切なくなります。
はーあ。



○宝塚歌劇 〈なつかしさ〉でつながる少女たち / 永井咲季(平凡社 2015)

卒論をまとめたものだそうで、
自分の卒論を考えると穴に入りたくなります。

「なつかしい」という用語が、現在のノスタルジックな意味だけでなく、
「慕わしい」という意味で使われていること(宝塚だけではなく、時代的に)
に着目したことがとても面白いです。

現在、宝塚が生き残っているのはノスタルジックな性質からではないか
と思うので、そこをもっと掘り下げてほしかったです。



○宝塚ファンから読み解く 超高関与消費者へのマーケティング / 和田 充夫(有斐閣 2015)

マーケティング手法の説明など難しいところもありました。

ヅカファンの属性や行動様式を、
年間観劇回数ごとのグループに分けて事細かに分析していて、
あーー、あるある、的なこともありつつ、
えー、なんか違うんじゃないか、的なこともありつつ。

結論としては、ファンクラブをもっと重視しろ、となっていて、
それには同意なんだけど、
自分がマーケティング理論について理解できていないせいか、
どうしてその結論になったか、いまいちわかりませんでした(^_^;)

その業界の人には、「おお、参考になるぞ!」と思うのかな???




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「劣情」の無い世界 [ヅカってなんだ?的記事]

スカステを解約したので、
最近は日本映画専門チャンネルとかで、
昔の映画をいっぱい見ています。

それでつくづく思うのが、
男性が女性をテキトーに喰っちゃう話が多いなあ、ということ。

たとえば『探偵物語』冒頭で、
大学をやめて外国に行ってしまう薬師丸ひろ子、
憧れの先輩が「最後だし、海でも行こうか」と誘ってくれて、
(でもその先輩には彼女がいて、しかもその彼女からお金を借りて海に行く)
このまま朝まで云々と言われて、いつのまにやら海沿いのホテルに、、、

あーー、
こういうの、自分にふりかかってきたわけじゃないけど、
もちろん、こんな男性ばかりじゃなかったと思うけど、
でもそういう価値観が普通ーに存在してた。

いや、今も存在している。
自分が年とって欲望圏内からはずれただけ。

女性といかにして接触するか(そして飽きたらもう接触しない)
という欲望=「劣情」を身に帯びた男性と、
それを全く否定しない価値観と、
そうした欲望を向けられることを
「モテ」もしくは「愛」と勘違いしてしまう女性。

うわぁ…


という目で、宙組を観たときのこと。



まぁくんがみりおんに一目ぼれして、
ぐいぐい押していくわけですが。
「君は僕に言葉を与えてくれる!」とか言って詩を書きなぐる、
ちょっと変人なんですが。


ああ、「劣情」がない。

男性が女性を口説いている場面なのに、
上記のような「劣情」が微塵もない。

いや、無いとか有るとかそういう次元じゃない。
そもそも全くあり得ない。

(だってこの人、女性なんだもん。
いや、女性でも男性でもない、男役という存在なんだもん)

人が死なない世界というぐらいに、あり得ない。

そのあり得なさが成立してる。


なんてうれしいんだろう。
なんて安心できるんだろう。


あーー、やっぱり私、
そういう「劣情」の世界は、好きじゃなかったんだな。

もちろん、性欲そのものを否定するわけじゃなく、
「劣情」によってできた様々な芸術を否定するわけでもなく、
むしろ昔は「劣情」も許容できる人間だと思っていたけれど、

でも、本当は、嫌いだったんだ。
若い女性がそうした欲に常にさらされている世の中から、
本当は逃げたかったんだ。


だからこそ、アジール宝塚にはまったのかもしれないな。


と、今更のことをあらためて思いました。


友人が、
「小林一三が、
女性から見た理想の男性像が結実するから、
女性が男役をやるのがいい、
って言ったそうだけど、
自分にとって理想の男性の条件は、そもそも男性ではないこと、なのだ!
……私、終わってますよね??」
と言っていました。

うん、終わってる。

でも、このあり得ない世界では、終わってないのよ!



(過去の記事。全く同じことを、初期にも書いてました)
http://www009.upp.so-net.ne.jp/ft2/koutenteki-zukafun/essey/asyl.html


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ヅカファンは羊である!? [ヅカってなんだ?的記事]

スカステの「めもりーずおぶしほうななみ」を見ていたら、
「花組生へ」という項目で、もっすごい泣いてて驚きました。

この番組でこんな泣いてる人、見たことない(笑)(感動しつつ)。
涙ぐむ人はけっこういるけど、
ボロボロ泣いてるやん。

情の厚い人なんだなあぁぁぁ。

自分の領土(と領民)に対する思いが厚い、とでも言いましょうか。
(それが転じて、杜月笙みたいなお役が得意という…)


じゃあ私らファンは「領民」で、ふみか様は「領主様」?

なんかちょっと違う気がする。。。
そんな人間じゃなくて(笑)

動物…飼いならされてる系の…

犬?

いや、犬は立派な飼い犬がいるからな。

あーーー

羊!?

羊飼いと羊じゃね!?

ある程度個体認識もされてるんだけど、
でも一群として見られていて、
なんか追われて、わらわらーっとついていく、
時々優しくされたり、そうでもなかったりする、
よくわかんないけど、わらわらーっとついていく。
羊は羊飼いにとことん従順。
羊飼いは羊の一群にそれなりの愛着がある。
でも人間や犬とは違う関係性。

ピッタリじゃん!
代表さんやスタッフさんは牧羊犬だ。


ジェンヌとファンの関係って、いろいろに譬えられますよね。

教祖様と信者、なんてのはよくある比喩。

平安時代のお姫様と女官、のようにも思います。
ファンクラブの在り方は、まんま宮中。
http://pt-omoitsuki.blog.so-net.ne.jp/2009-02-15
(宮本直美「宝塚ファンの社会学」では「宮廷」とのこと)

友人は、師弟関係って言ってました。
先生がカラスは白いと言ったら白いんですって。
えー、そこまでの師弟関係は私は経験したことないけど、
アカデミズムの世界だとそうなんでしょう。
お稽古事でもそうかもね。

上級生がカラスは白いと言ったら白い、
というのはよく言われることだから、
上級生と下級生の関係性が、
ジェンヌとファンの間でも相似形になってるってことですね。


お殿様と家臣、なんて気もしてました。
疑似恋愛をもはや通り越して、忠義の世界だから。
忠臣蔵!


でも、よくよく考えてみると、
(少なくとも今の自分の場合)

そんな「人間」じゃなくて、
羊のような気がする(笑)

めぇー。



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