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Bandito 義賊サルヴァトーレ・ジュリアーノ(日本青年館 2/23 14:00) [観劇メモ]

もっとチケット取っておけばよかった! 何回でも通えるやん!

じんわりといい作品でした。いつまでも語りたい感じ。



予習として、同じ事件を扱った『シシリーの黒い霧』という、ひじょーに難解な映画を見ました。パンフも事前に買って予習したけど、ネット検索では 全くひっかからない人物名が多いですね。いろいろ本を読めば、もっと詳しくわかるんだろうけど、時間切れ。

観劇して、予習時に疑問だったことが、ちゃんと創作されていたのが、まずは驚き。
・サルヴァトーレの山賊団はなぜ共産主義の集会を襲撃したのか。同じ恵まれない者同士なのに。
・ピショッタはなぜサルヴァトーレを射殺したのか。
wikiレベルの知識なら、誰しも疑問に思うところ。何か思惑の行き違いなどがあったのだろうとは想像つくけど、心情としては納得できない部分。 それをこういうふうに創作して物語にするんだ〜と。しかも、サルヴァトーレの最初のエピソードである「小麦の闇取引を見つかって憲兵を射殺して逃げた」という部分すらも、作り替えている。そのことで、「身代わり」という裏テーマが強調されていることに感嘆。

物語を創作する際の仕掛けとして、マフィアと憲兵以外にもいろんな人物が出てきて、貴族で作家のヒロさんのほか、ジャーナリスト、スパイ、成り上 がり貴族…、それぞれが魅力的な役で、ちょっとしか出てこなくてもいろいろ想像したくなる。ちゃんと生徒さんにあってる。有機的につながって、物語世界を作っ てる。

これこれ、これが宝塚の醍醐味だよね!!

大野作品は知識詰め込みすぎになることが多いけど、小劇場作品だと時間も長いし人数も少ないしで、これぐらいがちょうどいいんじゃないかなあ。



たまきちの骨太さが頼もしくて頼もしくて。白いスーツでサイドカー運転してあそこまで似合うスターさんがいるであろうか、いや、いない(反語)。えっ、まだ研7なの!?  マジ? 

たまきちサルヴァトーレとわかばちゃんアマーリアが最初に出会う場面、激昂してヒロさんだったか憲兵だったかを撃とうとするサルヴァトーレ、アマーリアが「撃たないで」と立ちはだかる。男の強さと女の強さが火花を散らしてた。あ、この二人は恋に落ちたんだな、とわかった(え? 私だけ?)。わかばちゃんのやや子どもっ ぽい、それが純粋な強さになるところが、修道女にぴったり。

トシくんは『春の雪』と同じく、陰の役が似合うよねー。過去について匂わせてるところなんか、いろいろ想像しちゃう。しかも、最後の活躍は『ロシ アンブルー』のユーリ先輩みたいに美味しいじゃないですか!

輝月ゆうまくん、大公閣下の抜擢のイメージが強いけど、本当は声も高いし、若い役が似合うんだね。新人公演主演してもいいんじゃないかね。

朝美さんは、がっつり芝居してるとこはじめて観た気がするけど、小顔で美しいのに、ちゃんと男役っぽくて好感。(映画のピショッタはすごいオッサンだったから、ちょっと最初はギャップが…)

光月るうがこんなにできるとは思わなかった。いい感じにオジサンになってきたと思ってたんだけど、こんなうさんくささが表現できるとは。野村萬斎 みたいな感じかな。ちょっと驚きでした。

からんちゃん、子役か老け役か、これから難しいかと思ってたけど、こういう軽くてクセのある役ができるとは。上手いねえ。歌もうまいのね。 (トークショーの司会もとても軽妙で上手でした!)

さち花ねえさんはもういっちゃってるし。さち花ねえさんと有瀬そうくんかな?支配人のデュエットよかったなあ。

そうそう、トシくん、からんちゃん、といった歌ウマさんにはたっぷりソロがあったし。

たかちくんの使い方もうまい。芝居はアレだけど(ダンサーだから!)、すごみのある雰囲気を、ちょっとだけ使うってのが、正しい。気の強い愛 人に、咲希あかねちゃん。本領発揮。この人の顔、好きなんだよねー。

お姉さん役の真愛さんもはじめて認識。こういう作品があると、組ファン以外も組子を覚える。

身代わりのきっかけ?を作ったヒロさん、この人の存在は大きかった。シチリア社会を俯瞰して眺めている。ヒロさんいなかったら、額縁のない絵のよ うになっ ていただろう。

(ただ、当時のシチリア社会を正確に描いているわけではないらしい…? マフィアと宗教を「あってもいいこと」にしてしまっているうえに、最大の悪者 (光月るうの役ね)が成りあがりものなので、本来重要なはずの階級闘争が中途半端なのだそうです( @HWAshitani さんのツイートによる)。とはいえ、『復活』で社会主義を骨抜きにしてしまうような宝塚の公演で、 赤旗が翻るだけでもすごいことかも?)

フィナーレもそれぞれにすごく合ってた。トシくんがやっと笑顔を見せてキレよく踊ったり、たまきっつぁんがわかばちゃんリフトして、お前は湖月わ たるかっていうぐらい何回も回したり。



そうそう、今回の花はブーゲンビリアでした。夏のシチリアはブーゲンビリアが綺麗なんですね。知りませんでした。



ふたたび、ストーリーについて。

サルヴァトーレはみんなに持ち上げられて義賊になっちゃった人。

過去、ユダヤ人の恋人を助けられなかったという負い目がある。だから、今度こそは、たとえみんなの思惑で持ち上げられているんだとしても、みんなを見捨てない、そういうふうに自分が変わろうと思っている。

そこが一番素敵なところなの。

アマーリアは、そんなサルヴァトーレに勇気づけられている。彼女が言う、「あきらめるのではなく、抗うということを教えてくれた」とか、「抗う人がいたということだけで、少しだけ元気になれます」とか、そういった言葉に、今度はサルヴァトーレが勇気をもらう。アマーリアこそ、大変な境遇でも純粋な心を持ち続けている人だから。

こうしたやりとりに、泣きました。じわじわ泣きました。プラトニックだけど、めっちゃラブだわあ。

だからこそ、あきらめずに抗っている具体的な場面がほしいのだ。

せめて、義賊として貧しい人に金品を分け与える場面を入れるべきではなかったか(じろさんが、三味線のお師匠さんにチャリーンて置いていく、あれね 笑)。サルヴァトーレがどう変わったのかを明確に示してほしい。これが場面として無いのは、ひじょーに痛い。

でも、たまきっつぁんのスター力で、持ちこたえてました。


こうして書いてみると、サルヴァトーレと民衆の関係は、スターとファンの関係そのものなのね。スターは、期待してくれるファンがいるから頑張る。 ファンは、スターの頑張りに勇気づけられてまた応援する。あるある。あるある。

そして最後、「俺がいなくなっても、お前たちは立派に戦える」「あなたがここを去っても、あなたがどこかで生きていると思うだけで、私は生きていける」

…なんだか、サヨナラ公演みたいだにゃ?


まさか…


まさかたっくんのサヨナラ公演…!? いやいや、源氏物語決まってるし!

…でもこうして、たっくんに自らの思いを投影してしまう自分は、持ち上げすぎて迷惑だったかとも反省したり…。(ブログの説明文参照)

いつ、その日が来たとしても、サルヴァトーレを思う民衆のように生きていこうと思いました。(イタタタ)
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マーキュリー・ファー(シアタートラム 2/13 19:00) [観劇メモ(ヅカ以外)]

ポスターだと耽美な兄弟の話のように見えますが、そんな趣は全くなく、じつはこの戯曲、2005年、イラク戦争に抗議する意味で書かれたものだそうです。書いたリドリーさんは、こんな残酷な話が書けるなんて、と友達に絶縁されたそうです。

さもありなん。検索してもあまりあらすじに触れてないのも、さもありなん。

2時間15分、休憩なし。体がこわばったままで、終わったらガチガチでした。

以下、ちょっとだけネタバレあり。




設定が最初はよくわからず、兄と弟が、空き家になったマンションの一室で「パーティ」の準備をしている。「バタフライ」という幻覚剤を町中の人が食べている、ちょっとファンタジー? スピンクスというのがボスで、ローラという手伝いの女性もいて、スピンクスが連れてきた「姫」がオバサンなんだけど、なんで? パーティって何? バタフライって蝶そのもの? パーティのゲストのために持ってきた「パーティプレゼント」って、人間じゃん???

幻覚剤をやっている人間は記憶があいまいだそうで、断片的に彼らが語る過去というのが、とても残酷。スーパーに行っただけで武装勢力に遭遇しちゃって家族皆殺しになるとか。幻覚剤でおかしくなって、お父さんが焼身自殺するとか。

「姫」が誰なのか、バタフライが何なのかといった謎が、どんどんと解かれていって彼らの人間関係がわかっていくのが、話を進めていって、飽きさせない。

と同時に、当然、パーティとゲストとプレゼントの意味(それももちろん残酷きわまりない)が明らかになっていって、え、本当にここでそれやっちゃうの!? という恐怖感が募ってくる。

あまりにも暴力がむき出しになっていて、命というものが粗末に扱われている世界。一方で、いや、だからこそなのか、心臓の音を聞きあう場面が何度かあって、命の意味を確認しないと正気を保てないのかな、と思う。

暴力から逃れて生き延びることだけを優先していると、どうしても身内を助けようって思うよね。ってことは、身内以外は利用してもいいってことだよね。だから、全くの他人なんだけど、迷い込んできた人懐こい青年が巻き込まれていくのが、クライマックス。

逆に、本当に大切な家族は、不意に訪れる死ではなく、家族の手によって死なせてあげたほうがいいのではないか。

ここまで生き延びてきたのに、「正義」の名のもとで行われる容赦ない空爆。

こんな現実、私は体験したことがない。

でも、世界のどこかで確実に起きているんだ。

いや、「どこか」じゃなくて、少なくとも中東で、だ。



役者が袖から出てこないで、客席の通路から出てくるのは、わざとなんだろうか。どこか知らない世界のことではなく、自分たちと関係あるんだよ、という意味で。

演出は白井晃。最初に部屋を片付けるとき、少しずつ窓をふさいでいたベニヤ板をはがして日の光が入ってくるところが、とてもきれい。それが夜になって…空爆で明るくなって…。上手いなあ。

随所にいろいろな引用がちりばめられているのも、意味深。重要なのが「サウンドオブミュージック」。ナチスから逃れる話だった。テセウスがミノタウロスを退治する話。ミノタウロスが体だけ人間っていう牛だったらいいけど、頭だけ牛っていう人間だったら殺さなくていいのに、という話はなんだか怖くてすごく気になる。

役者さんは、小柳心ぐらいしか知らなかったけど、ローラ役の女性が声が魅力的だなと思ったら、中村中だった。迷い込んだ青年の水田航生って聞いたことあるなと思ったら、オーシャンズ11のリビングストンだったよ、驚き。


ところでタイトルはどういう意味なんだろう? ファーは毛皮のファーの綴りでした。

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観劇の自由 [ヅカ的近況]

こんな世の中、のんきにキャッキャウフフなものを観ていていいのか? 
平和のために、もっとほかにすべきことがあるんじゃないのか?

という考えが頭をよぎる。

いやいや、どんな世の中でも娯楽、文化、演劇、なんでも大事! 
自由に表現することは大事! 
楽しむことも大事! 
どんな世の中になっても、宝塚みちゃる! 好きな服着ちゃる!

…で、さらに思う。

第二次大戦の末期、食料もないというのに、ついに本土決戦かという頃、
お上は脚本家や芸人さんに命じたそうです。
「戦意が喪失しているから、華やかで明るい気分にするような芝居や演芸をやれ」と。(*)
無理やりにでもテンション上げないと、しょぼい竹やりで突撃なんてできないからね。
まさに幻覚剤「バタフライ」だ(次の記事参照)。

閉鎖された宝塚大劇場での公演が再開したのも、昭和20年の5月でしたね。
なんで終戦の数か月前に再開するんだろうと不思議だったんですが、
こうした政策の一環だったのか。

本当に自発的に、娯楽を楽しんでいるのと、
いいように利用され、逃避で楽しんでいるのと。

自分は、ちゃんと自覚できているだろうか。


*の出典は『昭和20年 1945年』(小学館)p78

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