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復活の原作を読んでいる [観劇メモ]

まだシモンソンすら出て来ない段階ですが。

面白い。ネフリュードフは全然純粋な青年じゃないし、カチューシャも100%可哀想なわけじゃない。ミッシィもやな女。誰もがそれぞれに属する社会の腐敗にどっぷり浸かっている(だから、宝塚版はすごく変えてあるのねー)。ネフリュードフがカチューシャのために心を入れ替えて行動すればするほど、公爵だからと優遇されてて、おいおいそりゃおかしいだろうと思う(宝塚版でも、友人のコネつかいまくりだけど)。

それで、あっと気が付いた。なるほど、だからカチューシャは最後、ネフリュードフとは結婚しないのかな? だから、革命家と結婚するのね?

貴族が平民の女をポイ捨てしても全く咎められない世の中。この身分制度自体に疑問を持っちゃったんだから、いくら爵位を捨てるっつったって、元公爵と結婚したら、作品のテーマがぶれちゃうんだ。きっとそうだ。なのに、宝塚らしくしようとして身分制度を真剣に取り上げなかったから、最後が唐突なんだ。きっとそうだ。

最後に行き着くのが楽しみだ。ロシア文学楽しいかも。一冊で挫折した『カラマーゾフの兄弟』も再チャレンジすっか。(←有言不実行)
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96期のWさんについて [音楽学校裁判]

(修正しました)

96期でブログをさらされた件で自主退学を迫られたWさんが、98期に復学して文化祭に出演したこと(入団はしないという噂)について、少数意見だとは思いますが、あえて書いてみます。


私は裁判記録を読むうちに、Wさんのことをむしろ気の毒だと思うようになりました。なぜなら、

●Wさんは、96期生の中で数少ない、いじめに関与していない生徒である
(原告さんがそう明言しています)


●Wさんは、原告さんに謝罪している
(ブログに原告さんをうとましく思う記述があったこと、騒動で迷惑をかけたことについて)


●ブログをやっていた生徒はほかにもたくさんいた
(WさんのブログURLを掲示板に載せた人がツイッターでそう書いていました。なぜWさんのブログを選んで掲示板に晒したかというと、同期内でいじめがあることがわかる記述があったからという点だけだそうです)


●お行儀の悪さは、他の生徒も同じ
(Wさんがブログに載せた写真は他の生徒が撮ったものが多いです。また、お行儀の悪い格好で写っているほかの生徒がたくさんいます。裁判記録から察するに、あのようなお行儀の悪さは多くの生徒が共有していた価値観であると推察できます)


●裁判記録につづられたWさんの陳述書には、痛切な反省の弁がある



「死ね」「存在を消して」と恒常的に言うような生徒が半数近くいて、誰もがお行儀悪かった。そんな中で、暴言を吐かず、すでに反省し謝罪もしているWさんは、相対的に見れば、むしろ「白」に近いんじゃないかと思えてきました。

むしろ、退学させられたのは、ほぼトバッチリで、気の毒である、とも思います。


もちろん、お行儀悪いのはよろしくないし、それが表に出たのは大事件ですが、もう全員がそうだったのなら、それはまずは学校の責任でしょう。ネットリテラシー教育をしてこなかったこと、お行儀よくするよう指導してこなかったこと。


なぜ復学したのかアナウンスが何もないし、学校側の責任者やいじめ首謀者の処分がなくて全然整合性がないことなど、よくわからないことはたくさんあります。また、いくら文字情報で、誰それが「死ね」と言ってたと聞いても、写真のほうがインパクトあります。

とはいえ、Wさんの復学だけを見ると私は良いことだと思ったのでした。


「裁判沙汰になるいじめがあった」と、「お行儀の悪い写真が流出した」の間には、いろいろなことがあります。私の知らないこともいろいろあると思いますが、とりあえず、裁判記録からわかることを書いてみました。


(ちなみに、文化祭でのWさんは歌も芝居もダンスも上手く、スタイルもいいし、華もありました。成績はかなり上位なのではないかと思います。)

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98期生文化祭(バウホール 2/19 16:30) [観劇メモ]

文化祭翌朝から、ウィルス性胃腸炎に倒れ、全然書けませんでした。とりあえず、覚え書きだけでも。コメントありがとうごさいました、後でまた。。。

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入り口で高い声で何かを叫んでいる。怖い。グレーの制服の予科生?が階段両脇にずらーっと並んでる。怖くて目線を下げると、白い靴と白い靴下が並んでる。どうもこういう全体主義的なものは苦手だわ(タカラヅカに向いていない私)。

どうやら叫んでいるのは「おはようございます」らしい。芸能界やな〜。でも、普通なら「いらっしゃいませ」のはず。そうしないのは「文化祭」だからなんだろうが、でも「おはようございます」の芸能界っぷりはやっぱり「文化祭」ではないと思うがなー。

目線を下げていたために、裁判で有名になった樫原事務長がいたのを見逃した! もったいないことをした! 

歌、芝居、ダンスで3つに分かれていて、それぞれ15分の休憩がある。ほんとに文化祭なんだー。

しかも、歌は「清く正しく美しく」の日舞込み合唱、予科生の合唱(いわゆる高校生の合唱みたいな曲)、クラシックボーカル、ポピュラーボーカルに分かれていて、それぞれ幕間が長い。そりゃ、ショーじゃないんだから当たり前なんだけど、なんだか新鮮。それに、クラシックボーカルはオペラ歌曲なのに、ポピュラーボーカルが完全にタカラヅカの曲ばかりで、普通に「ポピュラー音楽」と言われる曲が全然ないのが、またタカラヅカルール。

歌はみんなけっこう上手かった!

芝居は、12時の部と16時の部で2組に分かれる。なので20名ずつ。と言っても、メインのキャストは6人ぐらいで、それ以外は台詞がちょっとあるかないか。メインの人以外は、かなり棒読みで、あああ、お芝居ってのは個人差が大きいんだなあ、と。

ダンスは10個ぐらいの場面に分かれていて、これもすごく幕間が長い。ダンスもみんな上手かった。

思ったよりも上手いなという印象で、これは数日前に観た某大学の卒業公演のせいもあるかもしれない。その大学の卒業公演は、もっと…下手だったんです。もちろん、宝塚音楽学校に入る生徒は、スクールで鍛えた人が多いだろうし、学校のカリキュラムもみっちりなんだろう。でもそれだけじゃなくて、「男役」「娘役」っていう型があるから、方向性が定めやすいんだろうな、と思った。そして、大きいのは、「タカラヅカの舞台に立ってるのよ、あたしたち!」という陶酔感。「文化祭なのよ!」「2年間の汗と涙の結晶なのよ!」この、ジェンヌ(の卵)ならではの憑依体質による「うっとり感
」が、舞台にまとまりを与えているんだろうなあ、と。

97期を観た人によると、それよりずっと上手いとのことなので、98期がグレード高いのかもしれませんが。

印象に残ったのは…歌では『ブエノスアイレスの風』を歌った人。ダンスでは、冒頭に赤いポロシャツみたいなの着てた人。名前が全然わからん。単なる自分メモだ。芝居では、王子様役は高貴だったし、従僕役は笑い取っててかわいかったし、国務長官のWさんがとても上手かった。というわけでこの件は別記事にて。
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ロバート・キャパ(日本青年館 2/16 18:30) [観劇メモ]

ヒロイン:凰稀かなめ
王子様:伶美うらら

でした。

「僕どうしたらいいのー」「あたしに任せて!」の連続。なんて素敵なんだ、うらら王子様。(声がちょっととなみに似てて、久々に古典的な娘役だなあ。)そのうえ凰稀さんが「僕のこと、もう愛してないの?」とまで言い出した。客席で吹きだしちゃったよ。なんでこう、「かまってあげなくちゃいけない」感満載なんだろう。これからは、まあくんとキタロウくんとうららちゃんに、たくさんたくさんかまってもらってください。

と、凰稀かなめさんの楽しみ方を会得したのは良かったが。

話はひどい。だって起承転結がない!!!

起承転結がない作品なんて初めて観た。『アリスの恋人』だって一応「迷いこんじゃった→脱出する」っていう「起」と「結」があった。『Je Chanter』だって、「好きな子にナチスのパトロンが→逃げよう→死んじゃった」っていう「起」「転」「結」があった。『ニジンスキー』は「自由になりたい→パトロンに妨害される→狂う」。

なのに、キャパはお話がなんにもないの…。何か対立する人や事柄があってそれをなんとかする、という単純な図式すらないの。

当然、クライマックスもない。ゲルダが死んだ後、落ち込むのがクライマックス? いやいや、すぐ立ち直っちゃうし。それまで、ゲルダとの愛が全然描かれてないし。

ひょっとして「平和」がテーマなのかな? いやいや、通り一遍のことばかりだった。ひょっとして、「ジャーナリズムとは」がテーマなのかな? いやいや(同上)。

キャパがどんな人か全くわからない。いきなり人を殴っちゃうエピソードで、しかも凰稀かなめさんだから、かなり精神的にいかれてる面白い人なのかと思いきや、全然そこはふくらまない。

ゲルダと「中国に行くかスペインに残るか」話をしているときも、あまりにも台詞が上滑りで、「え、なんでそんなこと言い出すの?」「なんであっさり納得してるの?」と疑問符。

キャパの写真には人間が写されているって言うけど、この作品には人間が全く描かれていないのだ。

だから、誰も得しない。かっこいい人が誰もいない。じんじんピカソのゲルニカと、いちの死ぬところぐらいかなー、かろうじて。…ゆうちゃんさん、みーちゃん、ちーちゃんの無駄遣いたるや。

歌詞のセンスも変だった。「かなりー」って叫ぶのは何かと思ったら、「ジャーナリズム〜」って歌ってるのだった。「ジャーナリズム」って、歌詞に入れるような言葉か? 「キャーパー」っていう歌詞もなあ。(←「ジャーナリスト~」なのだそうです。ご指摘ありがとうございました。いずれにしても、センスを疑う歌詞ですが)

新人で3作目でこれって。。。原田諒には、やりたいことって、ないのかなあ。大劇場デビューさせる劇団のセンスがわからない。


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新体制ってなんや [ヅカ的近況]

「トップの発表」じゃなくて、「新体制の発表」で、トップ以外に準トップがいて、役がわりするんですと。

やることなすこと、ファンが離れていくことばかりですなあ。

私がヅカファンになりたての10年前、「準トップ」って言い方がありました。だから別に初めてじゃあない。(まあ、そんな「過去の捏造」はいくらでもあるけど)

むしろ、初めてなのは、その中身なんでしょう。10年前の「準トップ」は、「二番手」と全くイコールだったけど今回は、それより上の扱いになるんでしょう。だって、トップの役が役がわりだっていうんだもん。そりゃ、「二番手」より上だよね。

じゃあさー、ダブルトップって言えばいいんでないの? 30年ぐらい前、鳳蘭と安奈淳の時代にやったそうではありませんか。なんでそう言わないの?

龍をトップにしたい動き。明日海を上げたい動き。龍では動員が難しいだろうという懸念。龍のほうが学年が上という前提。これらがいろいろ働き合って、こういう落としどころになったんだろうけど。

結果として、トップスターという看板に、自分で泥を塗っている。「看板商品だけどおまけつけますよ」って、そりゃー、看板商品じゃないやんけ。まあ、「清く正しく美しく」という看板商品にも、「いじめしてOK」と公言することで思いっきり泥塗って平気なんだから、トップスターという看板商品にだって、何の思い入れもないんだろうなあ。

でもねえ、どうせ看板商品を決めるなら、ちゃんと看板扱いしないと。サエコやタニだって、トップ本人は役がわりしなかった。二番手以下の役がわりで動員をなんとかしようとしたものだ。トップの役がわりなんて、トップの株を下げるだけ。そんなの当たり前の判断なのに。

目先のことしか考えてないことが明白ですな。トップ娘役も、転向して間もない生徒に持っていかれちゃあ、みんなやる気失くすって。

そしてもう一つの懸念。トップ付近に同期を組替えさせることを「二番手にかわるポジション?」と書いたけど、「準トップ」を宣言することで、それ以外の路線生徒は全部いっしょくたにしてしまう、ってことなんじゃないのかな。つまり、二番手ってものがいなくなる。「準トップ」以外は、かつての二番手のように、毎回トップと拮抗して競い合ったり、次トップにほぼなれるだろうという夢を持ったり、そういうことはできなくて、公演ごとに扱いが変動するんじゃないだろうか。

あ、それってかつての新専科ってことか…。そいでもって、一作トップで思いっきりトップスターの看板に泥塗ってたね…。劇団がファンの気持ちを逆撫でするのは、少なくとも10年前と変わってないのかあ。

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仮面のロマネスク / Apasionado!!2(中日劇場 2/11 15:30) [観劇メモ]

1960年のフランス映画『危険な関係』が好きで、ジャンヌ・モロー演じるメルトゥイユ夫人に「大人になったら、あんな女性になりたい!」と、本気で憧れていました。(おかしいなあ、予定と違っちゃったなあ〜。)

で、ヅカファンになって『仮面のロマネスク』を映像で見てびっくり。ラストが純愛物語になっている!! いや〜、映画の悲惨な最後もかっこいいけど、これはこれでいい。共犯者としてのかけがえのない存在であることを、最後に二人が確認し合えたのがうれしくて。そのうえ、高嶺ふぶき様のしたたる色気と、お花様の光輝く高貴さが、まばゆくてねえ。

そんなわけで、初演を生で見てもいないのに思い入れのある作品、再演とあらば名古屋なんてひとっ飛びですよ。

生だと、さらにぐっと来ますなあ。さすがに、古い作りの作品ではあるんだけど(景子先生はあんまり改変しなかったのね)、そのゆったり感が、タメにタメて、ラストシーンでドドーン、みたいな。じらしてじらして、悶々とさせる、みたいな。まさにヴァルモンの手口だわ…。ヴァルモンがトゥールベル夫人に本気になりつつあることも、でもメルトゥイユ夫人を一番大事に思っていることも、それがわかっていながらやっぱり納得がいかないメルトゥイユ夫人がダンスニーに手を出すことも、全てが、全てが切ない〜〜。

さて、ユウヒのヴァルモンは、高嶺様の「攻め」のヴァルモンと違って、かなり保護欲をそそる男。ちょっと映画のジェラール・フィリップを思わせる(映画では最後泣き落しでトゥールベル夫人を落とすんです)。母性本能くすぐり系で、ドギマギしちゃいました。新曲で「俺、トゥールベル夫人に本気かも」的なこと歌ってるのも、心情がわかりやすい。

すみ花のメルトゥイユは、演技で仮面をつけているんだな、ということがよくわかって、かえって切ない。違った立場に生まれたら幸せになれたかもね、という。そうそう、「貴族の女は15歳で政略結婚させられる」というような台詞が追加されていて、ここもわかりやすくなったと思います。

藤咲えりのトゥールベルは、もうね〜。星奈優里様は、そこにいるだけで「触れなば落ちん」なんだけど、えりちゃんは一見地味。それが、ヴァルモンに迫られるたびに、どんどんどんどん色っぽくなる。うわあぁぁぁ、なんてエロなんだ。彼女は声もいいしねえ。期待以上でした。柴田作品のファンだって言ってたような。辞めるなよーー、これからが女役としての花盛りだぞーー。

全体的には、初演のハッタリ度は減って、きめ細かい芝居になっている印象。脚本の変更のせいか、植田景子の演出のせいか、演者のせいか…、全部なんだろうな。

ダンスニーは本来間抜けな役だから、あれでいいのかなあ。ほっくんは、笑いを取ろうとするときっちり笑いを取れてしまう人なのよねえ。スターさんとしていいのだろうか、とちと心配。(むしろ、トドさんがダンスニーをやったことが不思議だ)

セシルとダンスニーは、自分たちも十分楽しんだくせに、最後は被害者づらする、ある意味卑怯な人たち。でもそこは宝塚版ではそれほど描かれない。そのかわり、時代設定を原作のフランス革命前夜から、7月革命に移して(ちなみに映画は現代)、誇り高い貴族社会と、礼儀もわきまえない新興勢力の対比という構造にしてみせた。これはすごく上手いと思う。だからこそ、初演にあった、ダンスニーが新勢力側で戦う、という台詞は落としてほしくなかったなあ。

ジェルクール将軍は初演よりずっと軍人らしくてかっこよかった。司祭さまって、初演のナガさんのときも不思議だったけど、じつはけっこう企んでるのかしら〜。ナガさんも風羽さんも企み系だから、かんぐっちゃう。カチャ様が悪くなかった。このポジでこの頑張りなら、アリだ。相変わらず研7ぐらいにしか見えないけど。

ユウヒの髪型は私はけっこう好き。モミアゲだけは高嶺さんリスペクトなのが、また素敵。

ショーは、藤井大介が絶好調の階段をのぼりはじめたときの作品(という認識。自分的には)なので、まだちょっともたくたしているようにも思う。けど、赤と黒のダーク路線はやっぱりいいわ。デュエットダンスが変更になって、それがまたヴァルモンとメルトゥイユみたいで、たまりません。お花ちゃんズの後のすみ花の「来てよ顔」も、さらにノリノリで、たまりません。

小間使い役で、蒼井美樹に似た怖そうな顔の子がいるなと思ったら…

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