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だんだんわかってきた 音月桂退団発表に関連して [ヅカってなんだ?的記事]

キムの退団記者会見をスカステで見た。

台本を読まされているようだったよ…。

最近ヅカを知ってキムファンになったという友人が「きっと、退団後の作品が決まったとか、そういう急な、いいことがあるんですよね!」と言っていて、そうだといいなあ、と思っていたけど、あの顔を見たら、とてもそうは思えない。

ユミコを退団させてまで急いでトップにしたのに、なんでこんなに早く辞めさせるんだろ。

よーするに、劇団は誰か(小林家とか、上層部の人たち)の、私的な持ち物なんだな。ということが、最近やっと実感できてきた。

その「誰か」の中にもいろいろな勢力があって、「わしはこの子をトップにするんじゃ」「いいえ、私はこの子を推すわ!」「公平さんの遺言を守らねば!」「んなもんどうでもいいんじゃ」みたいな感じでぶつかりあって、変な落とし所になっちゃったりするんだろう。メモカの件とか、準トップとか。で、「なんかチケット売れないね」「若返りさせちゃえばいいんでね?」みたく、また、場当たり的に決まる。(全部推測ですよ、推測。でもあながち間違いではないと思う)

つまり、劇団全体の運営を考えた長期的な見通しなんか無い。ましてや、ファンの心情を汲んだりはしない。

そんなんじゃ、まるで、ジェンヌさんは使い捨ての商品みたいじゃないか…! ←いや、だから、まさにそうなんだよ…。

一人一人のエラい人は、その場その場では、自分が推している子を大事にしているんだろうけれども、全体の運営からしたら、結果として使い捨てになっちゃってる(ことがままある)。誰かを大事にしすぎて、ほかのジェンヌさんがもったいないことになり、持ち上げられてたジェンヌさんでさえ、何かが変わればさほど大事にされなくなったりする。

はぁぁ。ジェンヌさんたちは健気だのー。あんな重労働をさー、笑顔でこなしているんだよ、涙が出るよ。そりゃあ、ファンやパトロンからは「蝶よ花よ」と扱われて、日常の雑事をしないで済むような生活をして、一般常識に欠けている(人もいる)かもしれない。でも、劇団での扱いはあまりにも「使い捨て」じゃないですか。それなのに、「夢の世界」とか言ってるんだよ。よよよ。

もちろん、芸能人とはそういうものかもしれない。でも、そういう「芸能」のイメージを払拭して、「学校」として「生徒」が大事にされるイメージを打ち出したのが、小林一三の戦略だったはずじゃん。ここまで、「使い捨て」が見えてしまうと、戦略を放棄しちゃってるよね。

まあ、こうしてファンがジェンヌに同情することで、チケットを買ったりするのだがら、それも結果的には一つの戦略なのかもしれませんがねっっ。(ちなみに、タイガースファンも同様だそうです→過去の記事

以上、暗い話だけど、キムや雪組子たちは笑顔で頑張るしかないのだから、ファンはファンで、ちゃんと「よろしくないことはよろしくない」と言うほうがいいかな、と思って書きました。


>>この件に関連して面白かった記事
「二番手の重要性」
「ワタシ的宝塚「ことわざ、あなどれず。小林家」

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月組 2回目 [観劇メモ]

つらつらと箇条書きに。これでMy楽。芝居がいいから、もっと観たかった!

【エド8】

・花陽みらの押し出しがいいねー。トップ娘役はこっちで良かったんじゃ。

・千海華蘭ちゃんは、「警官」という通し役なのね!

・三谷幸喜の『総理と呼ばないで』をちょっと思い出す。辞めるということが一番の仕事だったという。

・結婚もできない、話すこともできない、だったら自分にできることはなんなんだ。→辞めることだ。この過程を、あっさりと流しつつ、ひょっとして、と思わせて、次にはもう退位している。この空白感、観ているほうが想像する、そして想像していた通りのことが展開する、すると想像していた部分がもっと膨らむ。ああああ、だから大野作品は、二回目からがいいんだよねええええ。そして、そこがオタクっぽいんだろうな。

・まさおが時空を行ったり来たりするのもたまらない。ああ、あと5回は観たい。

・あの退位後のラジオ放送は、辞めるという大仕事をしたことを世間にアピールするものだと思っていたけど、じつは、愛想づかしのふりをして去っていった彼女への、ただ彼女のためだけの「愛してる」アピールだったのかも。

・でもやっぱり、「部屋に寄らないか」のくだりがもったいない。銀橋の歌で盛り上がりつつ、でも迷いがあって、で、ごたごたが起きてそれから逃れるために部屋に行くことになった。もっと盛り上がったままでいたいなあ。ここで二人が恋愛関係になったよ! とわからせてほしい。

・幽霊のソルさんが、かっこいい…。素敵すぎる…。

・たっくんにとって、ソルさんは生まれながらの皇族で、ヒロさんは野心的な政治家なのね、いつも。

・きりみりは、言ってみれば、ロシブルのミズユミの関係なのに、全然そういう風情がないねー。でも、まさおとたかちくんの組合わせがなぜかあるという。たかちくんのあの妖しい雰囲気、何かでいかせないものかねえ。

・こしりゅうの部下やってるの誰よ。

・瑞羽奏都くんがけっこうしゃべってた! けっこういいじゃん! 萬様似だから、お色気も出してってね。

・みっしょんが、血気盛んな役ってのが、いいよね。

・光月るうがいい感じにオジサンになってきた。

・あーちゃん、そろそろお姉様枠がやばくなってきた。

・白雪さち花は、濃ゆくていいのう。

【Misty Station】

・今さらだけど齊藤吉正と音楽の趣味が合わない。ディスコミュージックっていうんですか? ガチャガチャとうるさい。。。

・きりまりの絡みが少ないのが残念。「あなたは右へ、私は左へ」なんてさみしすぎる。

・ヒロさんと一緒に歌ってるの、美穂圭子様かと思ったよ。輝城みつる?

・かわいい娘役がいると思っていたら、チャイナドレスのところで子役やってた。

・ジャングルで、すーさんとゆりあちゃんの首長コンビがセンターにいるのが、ツボ。

・きりやんは10年前、この舞台で、このリノリウムの上で、「ネ〜イサン〜」なんて言ってたんだ。そのときいた人で今いる人は…と考えると、腰リュウ(そう、彼はあの頃、こう呼ばれていた)と、あーちゃんと。ガチャさんと、もりえと。自分的には86期は全然認識できていなかったし、まさおはせいぜいWトリオに入るかどうかってところだった。みりおはまだ本科生なのかあ。感慨深いっす。

・っていうか、きりやんの後、学年開き過ぎだと思うんだけど…私が「学年がいってからトップになる」が好きな人間だからそう思うだけなんだろう…
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どうしても譲れないこと [ヅカってなんだ?的記事]

周囲にヅカファンが増えている。タカラヅカが一般的になってきたんだなあ、と感じる。

そういう人に、あらかじめ「私は濃い人が好きなんです」と言うことにした。

いろいろ突き詰めて考えたら、そうなった。

たとえば、ファンクラブに入ってディープな活動してます、とかは言わない。引いちゃう。観てる回数も、あまりに違いすぎると引かれる。または「それだけしか観ないの?」となる。「あの人、子どもも作らず、ヅカにばっかり入れ込んでて、痛い人よね。私はああはなりたくないわ。」と思われていたりとか。(ほぼ実話 笑)

脇役が好きだというのも、けっこう少数派らしい。おそらく、劇場にいる9割ぐらいの人は、脇役には興味がないらしい。だから、これも最初の頃は、言わないようにしている。

ほかにも、池田文庫や演劇博物館に通っています、っていうのも言わない。川崎賢子の講談社メチエは読んでるよね? なんて聞かない。

もちろん、裁判のことをどう思っているかなんて、聞かない。初心者の夢を壊してしまうし、今観ている人の大半は、残念ながら気にしていないだろうから。ましてや、地裁で記録読み込んでる人なんて、1%もいない少数派だから。とりあえず最初の頃は様子を見る。

できるだけ、いろんな人と話をしたいと思う。

でもどうしても、どうしても、どーーーっしても譲れないのは、「濃い」なんだ。

自分にとって、どっぷりはまったのは信仰心で、それを妨げたのは裁判で、だからそのあたりは重要。

でもそれ以前に、最初に宝塚の扉をあけさせたのが、濃い人だった(リカちゃんね^^;)。だから、そこは絶対に嘘をつけないところなのだ。

スカステのこだわりランキングの「キザな人」というお題。「男役はキザでなんぼなんだから、意味のないお題だ」と思いながら見ていたら、一位がリカちゃんのシニョール・ドンファンだったよ(笑)。
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近況いろいろ [ヅカ的近況]

また風邪ひいて寝てました…免疫力が落ちている…

<人事>

藤咲えりに続いて、白華れみも。。。いい感じに「女役!」になってくると、こうして辞めてしまうなんて、本当にもったいない。すずみんだって、別格として貴重だぞ。若けりゃいい、とかそういう風潮が私は嫌いだ!!

じつは、南風里名ちゃんの顔が好きだった。なぜもっと使われなかったんだろうか。美人さんなのに。

月組のロミジュリは観なくてもいっか、と思っていたけど、マギーのベンボーリオとみやるりのマキューシオなら観たいな。。。愛と死だけが、なんか合わない配役だと思うんだけど(たまきちはもっと健康的なイメージ)。しっかし、上級生が減ってしまったなあ、月組。

だいぶ時間経っちゃったけど、じんじんも辞めるんだよね。寿以外だったら許さん。とずっと思っている。

<復活/カノン いまさら思い出し>
銀橋3人渡りでの壮さんの「イタズラしちゃうぞ、へへん」て顔が好きだった。トップの器だと思うがなー。

黄色い月の場面で、きれいな踊り方の人がいるな、と思うと、いつもべーちゃんなのだった。

煌雅あさひさんて何者だったんだろう。なんであんなに美しい言葉を、書き言葉ではなく話し言葉で、紡ぎだすことができるんだろう。退団挨拶に度肝を抜かれたままです。

<春日野八千代の『復活』について>
1962年の歌劇を読んでみた。

なななななんと! よっちゃんはネフリュードフとカルチンキンの二役をやっていたのだ!!!

しかも、ネフリュードフはいつもの白い役で、型にはまってつまらない、悪役カルチンキンのほうがイキイキしてて楽しそうだった、とか言われてる。

そうなんだよ、春日野八千代は現人神みたいになってるけど、じつは相当お茶目な人だって、いつだったかのイベントで判明したじゃん。トドさんだって「理事様」とか呼ばれてるけど、じつは6つも下のコムちゃんに「イシちゃん」呼びされるぐらい、親しみやすい人なんじゃん。

「誰かを崇めたい」という欲望が、いろんなことを見えなくさせてるなー、と思う。
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ニジンスキー(銀河劇場 4/6 19:00) [観劇メモ(ヅカ以外)]

ニジンスキーの妹、ニジンスカ(ヤンさん)を語り手として、現代?死後の世界?から、ニジンスキーが狂った1919年の3月頃をふりかえる。しかも、その1919年3月頃のロモラ(あすか)がまた、過去をふりかえるので、いろんな時制が交錯して、詩のような作りになっている。だから芝居でもミュージカルでもなくて、やっぱりあえて名付けるなら「ダンスアクト」なんだろう。

そのダンスがまた面白くて、時制に混乱しながら、幻惑されていく。いろんな人がニジンスキーを語る。兄をサポートし、その才能に憧れ、また哀れんでいた、最後まで狂わなかった、凡人の妹ニジンスカ。ニジンスキーを愛する妻、という役に憧れ、それに固執した愚かな妻ロモラ。性欲と支配欲でニジンスキーを縛りつけながらも、その才能を開花させた立役者ディアギレフ(岡っち)。ニジンスキーは、彼等の欲望の中で生きる人形。

ニジンスキー(東山義久)は、とにかくおし黙っている。踊っているときはものすごくマッチョで雄弁なのに、しゃべるときはほんの一言二言ボソボソ…っという感じ。「あなたの望むままに踊ります」というようなことを言っている。

ニジンスキーとニジンスカと、6歳で狂ってしまった長兄とが、幼い頃、ペトルーシュカごっこをしていたというエピソードも象徴的。「君は本当に人形のふりが上手だね」と(狂ったはずの)兄がささやく。ニジンスキーっていう人は、貧困の中で、他人の望みどおり踊ることでしか生きていけなかった人なのか? 我が家にもこの手のメンヘラがいるのでわかるけど、「他人の要求を100%受け入れなければいけない」と思い込んでいる人間は、そうでありながら、自分というものがしっかりあって、だからその葛藤で苦しむ。他人の要求なんて無視したっていいのに、そうできない。かといって自分を捨てるわけにもいかない。…狂って当然だわな。

でも最後、あの世で語るニジンスキーは、初めてイキイキと言葉をしゃべっている。不思議。人形のふりをすることが、苦痛ではなかったのかなあ。あれを「人形」だと思ってしまう、こちら側の見方がそもそも、間違っていたのかなあ。そんなふうにも思う。

そこに至る場面の演出がすごくて、客席側に光があてられて目があけられない感じ。そこにスモークがたかれて、見えない中でニジンスキーが踊っているの。光とスモークの中で、かろうじて影が動いているのがわかる。うーん、こんなん初めて見た。

ほかにも、長兄が狂う場面の、長い長い袖でぐるぐる巻きにされるのとか(新上裕也のダンス公演で見たかも)、ニジンスキーとロモラの共通点や、ニジンスキーと長兄の共通点を示すところで上手いこと鏡が出て来るのとか、演出が面白かった。舞城のどかを観たのは退団後初かなあ、あの、ややマッチョで、でも佇まいは娘役ってのが、いいんだよね。チュチュで踊るだけなんだけど、いろんなところでいろんな役割を意味深に演じていた。(斎藤恒芳の音楽に、チュチュのミホ先生に、あすか、とくると『マラケシュ』を思い出す〜)

うーん、でもやっぱり、暗くなる内容だよなあ。体調悪かったせいもあってか、その後どんよりしてしまった。

赤い長椅子や、机は、去年の宝塚版を思わせたけど、オギーは意識したんだろうか。「あんな「小学生でもわかるニジンスキーの伝記」より、これを観ろ!」みたいに(笑)。ロモラがより愚かで、ディアギレフがより高慢で、と宝塚で必須の愛がここにはなく、宝塚で排除される醜さが描かれている。だから、、、、うーん、やっぱりニジンスキーを宝塚で取り上げたのが、かなりイレギュラーだった、そう断言できる。

ロシア革命で、ロシアが滅んでゆく…みたいな話も織り込まれていたのも印象的だった。『カラマーゾフの兄弟』『復活』『ロシアンブルー』いろんな作品を思い出すなあ。

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エドワード8世 / Misty Station(東京宝塚劇場 4/1 15:30)

【エド8】

こういうきりやんが観たかった! 大真面目に「自由」を追究する、これぞきりやんでしょ。最後にしてぴったりの役が見れて良かった!

「戦友」から「恋人」になる設定も、きりまりにぴったり!

最初のズケズケ言い合う場面なんか、胸きゅんだ〜。(『天使のはしご』にも、こういう場面があるべきだったのでは……。)

皇室のあり方を考えて、いろいろ冒険を試みる、悩める皇太子…非常にわかりやすいドラマ。ものすごく単純だけど、どの宝塚作品も、せめてこれぐらい最低限の「ドラマ」を備えていてほしい。

もりえの役が非常においしくて、こういう役があると深みが出る。政治家の思惑もいろいろだったり、皇室にもいろんな人がいたり、といった背景も楽しい。咲希あかねちゃんの役とか、ちょっとずつ史実が絡められてるのも、心憎い。

しっかし、いくらなんでも、地味だよなああああ。地味すぎる。オープニングから15分間ぐらいが地味すぎて、ここで置いていかれる人がいるだろうな、と。いきなりお葬式っていうのが、まず地味だよね。お葬式で、死んだ本人が語りだすというのも、さすがにわかりにくい。

戦友から恋人になった瞬間に、何かドラマチックなラブシーンがほしかった。それに、王位を捨てると決断した場面も何かドラマチックな場面にすればよかったのに。(でもそれをやっちゃうと、次のサヨナラ心情歌いあげの効果がなくなっちゃうのかな)

まさおがけっこう良かった。全体を統べる力があるんだな、と初めて思った(上から目線だのーー)。しれっと「スパイなんです」って言うのも、キャラに合ってた。それにしても、パレードでのまさおとみりおの衣装がほとんど変わらない(ちょびっとキラキラが多いか?というぐらい)なのが、なんともね…。

マギーがまりもに迫ったりする場面は、サービスなんだよね? 

まりもの衣装が何着か「なんじゃそら!」っていうぐらい、変だった。

【Misty Station】

ショーは、ガチャガチャしてるけど、『カノン』の後だと、これぐらい盛りだくさんなほうがうれしい。突然マイウェイが始まるくだりとか、ワクワクする。

ただ、アニメーションは今すぐ止めてください。明日からでも止めてください。舞台芸術への冒涜。あれほど白けるものはない。

それ以外は、極端な自己模倣もなくて、前作の雪組よりは良かったような。列車に乗って、ジャングルに迷い込み、最後は終着駅へ、というストーリーが一応あるのも、わかりやすい。

きりやんの最後としてはもっとこう…ブロードウェイですよ的な、オーソドックスなものが観たかったんだけれども…、まあいっか。

エヴァンゲリオンの曲は、さすがに抵抗があった。(エヴァ自体が好きじゃないし…。)でも、曲だけ単体で考えると、けっこう合っていた、、、よね。。。

まりものかっこいい場面が多かったけど、ちょっとアニメっぽくて、やりすぎだったような。まりもがいくら男前だからって、アニメのキャラクターではないんだよ。もうちょっと色気というか、生身な良さを観たかった。銀橋で歌う70年代アイドルみたいな歌は良かったな。

ソルさん、ヒロさんの使い方はGJ! 

そうそう、ガチャさんの出番が、芝居ショーともにいっぱいあって、愛を感じたし、沢希理寿が影ソロ、彩星りおんがエトワールというのも、いい感じで振り分けてある。退団者への愛は、『カノン』よりちゃんとしてて、ほっとした。

組子がぐるっと取り囲んで、という演出は、リカちゃんが辞めるときを思い出した。『薔薇の封印』フィナーレにそんな演出ってあったっけかなあ? サヨナラショーだったかなあ? それともやっぱり、きりやんがあの時代の月組っ子だからかもしれないな。しみじみ。
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