ヒストリーボーイズ(世田谷パブリックシアター 8/30 13:00) [観劇メモ(ヅカ以外)]
雪組ラストデイですが、DVD買ったので(おい!)その感想をまた後日~。天気もつかな。
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80年代のイギリス。超優秀な男子高校生8人が、オックスフォードかケンブリッジを目指してワイワイと受験勉強、フランス語の授業でズボン脱いだり、そこに新しい先生が来て、ポーランド侵攻の話をしながら(戦争を比喩にして)壁ドンしかねない勢いで迫ってみたりして、萌えポイント満載。
というのが制作側の意図なんだろうけど、それはどーでもいいんです。
すごく深い脚本で、戯曲そのものを読んでみたいと思った。
文学作品の引用や歴史の用語がたくさんなので、映画で予習していないとつらかったかも。さらに、映画では伝わらなかったところ、毒気を抜いてたところが多々あって、映画よりも楽しかったという。予習しておいて大正解でした。
まずは教育がテーマ。
定年が近い変人のヘクター先生の授業が、とにかく楽しい。詩の引用を覚えさせ、映画の一場面を演じさせ、売春宿の設定でフランス語の授業をやるとか、自分も受けたい授業。だけど、ヘクター先生は、覚えた詩をひけらかすようなことはしてほしくないと思っている。芸術というのは比較したり利用したりするものじゃ、ない。
こういう授業って、いい教育だってことは誰にだってわかる。でも、正直、社会での役には立たないよね。芸術はなぐさめに過ぎないんじゃないか。文学は負け犬のものなんじゃないか。
そういう意見もよくわかる。
で、臨時で来た若いアーウィン先生は、とことん受験テクニックを教える。それも、日本のような詰め込み式じゃなくて、論述式だから、人目をひく論文の書き方。定説とは違う目新しい切り口をなんでもいいから考えろ、と。
確かに、それはウケる。試験官にだけじゃなくて、社会全体にも(だからアーウィン先生はその後、テレビに出たり政治家になったりもする)。でも、所詮「まやかし」。偽物。
どっちのやり方も、わかるなあ…。
二人の先生が一つの授業をやるというイレギュラーな形の時間で、アーウィン先生はホロコーストを題材にしようとした。ヘクター先生は「新しい切り口なんてこの題材には無い」と怒った。
だから、真のテーマは歴史。
「歴史なんて、クソみたいなことの連続だ」
「あの日、○○が歯医者に行かなかったら首相になって第一次大戦に負けていたかもしれない」(「偶然」という要素は、はラストの事故にリンクしているんだね)
「最近のことが一番遠くて解釈しづらい」
「本を読むということは過去の人から手がさしのべられること」
歴史の見方がいろんなふうに提示される。
さらに、たった一人の女性登場人物、歴史教師ドロシーの台詞「歴史なんて何百年と男の無能を羅列したものに過ぎないのよ」「女性にとっての歴史は、男の後ろをバケツを持ってついていったってことだけ」…その通り!! この人のいる意味は大きい。
いろいろ考えちゃうなあ。
ちなみに、映画との違い。
・ホロコーストを授業で取り上げたことで、ユダヤ人のポズナーの両親からクレームが入る。
・ポズナーのその後が幸せじゃない!
・それに関連して、ポズナーがアーウィンを恨んでる未来の場面がある。(これはちょっと唐突)
ヘクター先生の考えを完全に取り込んで、アーウィン先生に反発した(?)ポズナーが、社会にあまり適合できなかったっていうのは、切ないなあ。
ああ、ほかにも意味深なことはいっぱいあった。「目新しいことを言え」というアーウィン先生の教えと、結果的に「サルトルはゴルフが上手かった」と口から出まかせを言って面接の練習でウケてしまう生徒。まやかしが通ってしまった瞬間。
彼の合格理由もすごい。父親がかつてオックスフォード(ケンブリッジだったか)で用務員をしていた、用務員の息子が入学するなんてすごいじゃないか(身分社会を是正しているアピールになる)ってなことで、これは映画では合格を辞退することになってました。
ところで、舞台装置はすごくシンプルなんだけど、面白いのが床に敷いた紙。これをちぎって答案を書いたりするんです。最後にお葬式の比喩として使うのにも驚いた。
出演者について。松坂桃李はマジでスターさんだね。くらもちふさこの漫画に出てくるような、ちょいワルで思わせぶりなモテ男そのものでした。
主演はアーウィン先生ということらしい。中村倫生、お肌がきれいで男役さんみたい。ていうか、顔立ちだけで言うと麻路さきじゃん。
ポズナー役は太賀、って初めて見たけど、知り合いの社会になじめない男子に似てて、リアルに感じた(って個人的理由)。
神学志望の生徒の役に、『世迷言』で猿の役をやってた橋本敦。映画と違って、この人が理性的に場面を説明したりする。猿と全然違う~。可愛いのに声が太いのがツボ。ピアノもひいてました。
『非常の人』に出てた小柳友の兄、小柳心が体育会系の生徒。そっくりな体格と、ぬぼーっと感。
ヘクター先生は映画とは全然体型が違う浅野和之。偏屈ぶりが良かったです。
ドロシー先生の鷲尾真知子も、ちょっと浮いてる感じ、ひねった感じがきいてた。
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80年代のイギリス。超優秀な男子高校生8人が、オックスフォードかケンブリッジを目指してワイワイと受験勉強、フランス語の授業でズボン脱いだり、そこに新しい先生が来て、ポーランド侵攻の話をしながら(戦争を比喩にして)壁ドンしかねない勢いで迫ってみたりして、萌えポイント満載。
というのが制作側の意図なんだろうけど、それはどーでもいいんです。
すごく深い脚本で、戯曲そのものを読んでみたいと思った。
文学作品の引用や歴史の用語がたくさんなので、映画で予習していないとつらかったかも。さらに、映画では伝わらなかったところ、毒気を抜いてたところが多々あって、映画よりも楽しかったという。予習しておいて大正解でした。
まずは教育がテーマ。
定年が近い変人のヘクター先生の授業が、とにかく楽しい。詩の引用を覚えさせ、映画の一場面を演じさせ、売春宿の設定でフランス語の授業をやるとか、自分も受けたい授業。だけど、ヘクター先生は、覚えた詩をひけらかすようなことはしてほしくないと思っている。芸術というのは比較したり利用したりするものじゃ、ない。
こういう授業って、いい教育だってことは誰にだってわかる。でも、正直、社会での役には立たないよね。芸術はなぐさめに過ぎないんじゃないか。文学は負け犬のものなんじゃないか。
そういう意見もよくわかる。
で、臨時で来た若いアーウィン先生は、とことん受験テクニックを教える。それも、日本のような詰め込み式じゃなくて、論述式だから、人目をひく論文の書き方。定説とは違う目新しい切り口をなんでもいいから考えろ、と。
確かに、それはウケる。試験官にだけじゃなくて、社会全体にも(だからアーウィン先生はその後、テレビに出たり政治家になったりもする)。でも、所詮「まやかし」。偽物。
どっちのやり方も、わかるなあ…。
二人の先生が一つの授業をやるというイレギュラーな形の時間で、アーウィン先生はホロコーストを題材にしようとした。ヘクター先生は「新しい切り口なんてこの題材には無い」と怒った。
だから、真のテーマは歴史。
「歴史なんて、クソみたいなことの連続だ」
「あの日、○○が歯医者に行かなかったら首相になって第一次大戦に負けていたかもしれない」(「偶然」という要素は、はラストの事故にリンクしているんだね)
「最近のことが一番遠くて解釈しづらい」
「本を読むということは過去の人から手がさしのべられること」
歴史の見方がいろんなふうに提示される。
さらに、たった一人の女性登場人物、歴史教師ドロシーの台詞「歴史なんて何百年と男の無能を羅列したものに過ぎないのよ」「女性にとっての歴史は、男の後ろをバケツを持ってついていったってことだけ」…その通り!! この人のいる意味は大きい。
いろいろ考えちゃうなあ。
ちなみに、映画との違い。
・ホロコーストを授業で取り上げたことで、ユダヤ人のポズナーの両親からクレームが入る。
・ポズナーのその後が幸せじゃない!
・それに関連して、ポズナーがアーウィンを恨んでる未来の場面がある。(これはちょっと唐突)
ヘクター先生の考えを完全に取り込んで、アーウィン先生に反発した(?)ポズナーが、社会にあまり適合できなかったっていうのは、切ないなあ。
ああ、ほかにも意味深なことはいっぱいあった。「目新しいことを言え」というアーウィン先生の教えと、結果的に「サルトルはゴルフが上手かった」と口から出まかせを言って面接の練習でウケてしまう生徒。まやかしが通ってしまった瞬間。
彼の合格理由もすごい。父親がかつてオックスフォード(ケンブリッジだったか)で用務員をしていた、用務員の息子が入学するなんてすごいじゃないか(身分社会を是正しているアピールになる)ってなことで、これは映画では合格を辞退することになってました。
ところで、舞台装置はすごくシンプルなんだけど、面白いのが床に敷いた紙。これをちぎって答案を書いたりするんです。最後にお葬式の比喩として使うのにも驚いた。
出演者について。松坂桃李はマジでスターさんだね。くらもちふさこの漫画に出てくるような、ちょいワルで思わせぶりなモテ男そのものでした。
主演はアーウィン先生ということらしい。中村倫生、お肌がきれいで男役さんみたい。ていうか、顔立ちだけで言うと麻路さきじゃん。
ポズナー役は太賀、って初めて見たけど、知り合いの社会になじめない男子に似てて、リアルに感じた(って個人的理由)。
神学志望の生徒の役に、『世迷言』で猿の役をやってた橋本敦。映画と違って、この人が理性的に場面を説明したりする。猿と全然違う~。可愛いのに声が太いのがツボ。ピアノもひいてました。
『非常の人』に出てた小柳友の兄、小柳心が体育会系の生徒。そっくりな体格と、ぬぼーっと感。
ヘクター先生は映画とは全然体型が違う浅野和之。偏屈ぶりが良かったです。
ドロシー先生の鷲尾真知子も、ちょっと浮いてる感じ、ひねった感じがきいてた。
一夢庵風流記 前田慶次 原作との比較(2) [観劇メモ]
もう一つ、ミラクルだなと思うのは、深草重太夫。
原作では、傾奇者を名乗って慶次と喧嘩して、あっさり殺されちゃう人。(原作では人がやたらと死ぬ)
そんなちょっとした人物を、コメディリリーフとして機能させ、暗く残酷になりがちな戦国時代ものを、明るくさせる。
しかも、彼はこの物語の「視点」ですよね。私たち観客のようなもの。慶次のようには生きられない、真似したいけど無理、でもその正直さだけは買ってよね、 という。
そんな彼が、最後は成長してしまうという。最後は慶次と一緒に戦っちゃって、甲冑には「大ふへん者」とあって、
参考→http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1023024715
重太夫の場合は「大不便者」のほうなんだろうけれども、最初の頃にくらべたらずいぶんと成長してます。私自身も慶次に勇気をもらって成長できた気がして、すごくうれしい場面です。
(なお、慶次が重太夫の足の上に乗って、お金で足を買おうとするエピソードは、別の人の話をくっつけてます。)
ほか、原作でのチョイ役を大きくふくらませているのは雪丸かなあ。
この人と加奈(せし子)のエピソードは、省略しようと思えば省略できなくはないんだけど、でも、二郎三郎(ひろさん)の策略とそれを救出に来る助右衛門(チギ)への情報流出という点で、まずは機能してるんですよねえ。
さらに、主に使い捨てられる雪丸と、主を持たない慶次。この対比が、雪丸の死で大きくクローズアップされるのもいい。雪丸が大きな役になったことで 慶次の自由さが際立ちます。
傀儡の親子(がおりと月城かなと君)も、原作とは違うというか、原作ではまつが登場する話とは別の話に登場する人たち。しかも、子(甚内)は、 もっすごい美少年で、男色のお誘いを断って喧嘩になるところを慶次が助けるという出会い。月城かなと君を見ながらそのエピソードを重ねると、二倍楽しめます。
秀吉のお母さんが、緊迫した場面で「ええ男じゃのー」などといいタイミングでアホな合いの手を入れてくるのもうまいよね。このやりとりも原作にはなかった。
原作を読むほどに、よくまあうまく作り替えたな、と驚きます。原作のラストは、直江兼次の戦の助っ人をしたあと、隠居するところまで。宝塚版だと助っ人に来たところで終わり。すっごく華やかでいいと思います。(たった8人で300人を倒したという戦なのだそうです)
原作では、傾奇者を名乗って慶次と喧嘩して、あっさり殺されちゃう人。(原作では人がやたらと死ぬ)
そんなちょっとした人物を、コメディリリーフとして機能させ、暗く残酷になりがちな戦国時代ものを、明るくさせる。
しかも、彼はこの物語の「視点」ですよね。私たち観客のようなもの。慶次のようには生きられない、真似したいけど無理、でもその正直さだけは買ってよね、 という。
そんな彼が、最後は成長してしまうという。最後は慶次と一緒に戦っちゃって、甲冑には「大ふへん者」とあって、
参考→http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1023024715
重太夫の場合は「大不便者」のほうなんだろうけれども、最初の頃にくらべたらずいぶんと成長してます。私自身も慶次に勇気をもらって成長できた気がして、すごくうれしい場面です。
(なお、慶次が重太夫の足の上に乗って、お金で足を買おうとするエピソードは、別の人の話をくっつけてます。)
ほか、原作でのチョイ役を大きくふくらませているのは雪丸かなあ。
この人と加奈(せし子)のエピソードは、省略しようと思えば省略できなくはないんだけど、でも、二郎三郎(ひろさん)の策略とそれを救出に来る助右衛門(チギ)への情報流出という点で、まずは機能してるんですよねえ。
さらに、主に使い捨てられる雪丸と、主を持たない慶次。この対比が、雪丸の死で大きくクローズアップされるのもいい。雪丸が大きな役になったことで 慶次の自由さが際立ちます。
傀儡の親子(がおりと月城かなと君)も、原作とは違うというか、原作ではまつが登場する話とは別の話に登場する人たち。しかも、子(甚内)は、 もっすごい美少年で、男色のお誘いを断って喧嘩になるところを慶次が助けるという出会い。月城かなと君を見ながらそのエピソードを重ねると、二倍楽しめます。
秀吉のお母さんが、緊迫した場面で「ええ男じゃのー」などといいタイミングでアホな合いの手を入れてくるのもうまいよね。このやりとりも原作にはなかった。
原作を読むほどに、よくまあうまく作り替えたな、と驚きます。原作のラストは、直江兼次の戦の助っ人をしたあと、隠居するところまで。宝塚版だと助っ人に来たところで終わり。すっごく華やかでいいと思います。(たった8人で300人を倒したという戦なのだそうです)
一夢庵風流記 前田慶次 原作との比較(1) [観劇メモ]
12日に2回目の観劇。楽しすぎて、発狂しそう(笑)。
大野作品ならではの、情報量多くて奥深そう! 世界観広がる! な楽しさに、原作由来のエンタメノリが加わった良いコラボ。というのが最初の感想だったのですが、(→ 前回記事)
それに加えて、ラブ要素がいいのよね~。
ヒロインが生意気。勝気。そのズケズケした物言いを、ニコニコと聞いている主人公男子。いやぁ~、たまりません。
思えば、大野作品はいつもそうだ(男同士がメインで、ヒロインおざなり作品のぞく)。『花のいそぎ』、『フェット・アンペリアル』、『ヘイズ・ コード』、『ネバー・スリープ』…などなどなど。(柴田作品の大人な二人や、ハリー作品のキザ男とハキハキ女子も好きですが。)
そのうえ、果たせなかった約束(大きくなったら結婚しよう)のために、頼まれたら嫌とは言えない、というのがまた…。『花のいそぎ』のラストを ちょっと思わせるじゃないですか。結ばれないからこそ、ずっと寄り添おうとする、という。切ないーーー切なすぎるーーー。
「男が女を抱くのは惚れたからに決まってるだろ」セリフは、原作にはありませんでした。大野拓史オリジナルでした。ぎゃぁぁ。
……キュン死って、こういうこと?(笑)
原作はね、ちょっとオヤジなんですよ。女性の描き方が。男性の物語に花(色気)を添えてるだけで、物語の本筋ではないの。舞台を観てから原作を読んだから、「えー、やだー」と思うことも多々あり。
それをここまでラブメインにするとは。
原作では、まつと慶次はそういう仲ではあるけれども、幼馴染ではない。ましてや、結婚の約束的なこともない。まつのキャラと魅力で、慶次が言うことを聞いてしまう、という設定。それはそれで悪くないんだけど、でも、幼馴染のほうがラブ要素が強くていいよね。(まあ、ヅカではよくある改変だけど、でもサイトー君の『エル・アルコン』では、大人な二人のままでいいのに無理に幼馴染にしたから白けてしまったよな)
それが、結婚の約束を果たせなかったから、もう二度と約束を破らないようにしようと思っている→秀吉を怒らせてはいけないとまつに言われた、だから秀吉を殺しちゃえ、につながるのが、ミラクル。まつとの約束を破らないために秀吉を殺そう、というのは原作にもあるんだけど、そこに幼い頃の約束がからむのが、胸キュンじゃありませんか。
捨丸の描き方もいいです。
原作では男性。かたきを討つために家来になる(=かなり慶次のことが好き)、というのは同じ。
なんだけど、宝塚版では捨丸が女性で、ちょっとかわいい服装をしたところを「馬子にも衣装だな」なんて慶次が言うと、ドキドキしちゃいます。
お色気担当の女性たちと慶次の絡みだけでなく、お色気とは無縁の女性も慶次を素敵だと思っている、慶次も(手は出さないけど)かわいいと思っている、ってところが、オヤジ仕様じゃなくて良いなあ、と思うわけです。
キャスト語りが全然できてないけど、原作比較続きます。
大野作品ならではの、情報量多くて奥深そう! 世界観広がる! な楽しさに、原作由来のエンタメノリが加わった良いコラボ。というのが最初の感想だったのですが、(→ 前回記事)
それに加えて、ラブ要素がいいのよね~。
ヒロインが生意気。勝気。そのズケズケした物言いを、ニコニコと聞いている主人公男子。いやぁ~、たまりません。
思えば、大野作品はいつもそうだ(男同士がメインで、ヒロインおざなり作品のぞく)。『花のいそぎ』、『フェット・アンペリアル』、『ヘイズ・ コード』、『ネバー・スリープ』…などなどなど。(柴田作品の大人な二人や、ハリー作品のキザ男とハキハキ女子も好きですが。)
そのうえ、果たせなかった約束(大きくなったら結婚しよう)のために、頼まれたら嫌とは言えない、というのがまた…。『花のいそぎ』のラストを ちょっと思わせるじゃないですか。結ばれないからこそ、ずっと寄り添おうとする、という。切ないーーー切なすぎるーーー。
「男が女を抱くのは惚れたからに決まってるだろ」セリフは、原作にはありませんでした。大野拓史オリジナルでした。ぎゃぁぁ。
……キュン死って、こういうこと?(笑)
原作はね、ちょっとオヤジなんですよ。女性の描き方が。男性の物語に花(色気)を添えてるだけで、物語の本筋ではないの。舞台を観てから原作を読んだから、「えー、やだー」と思うことも多々あり。
それをここまでラブメインにするとは。
原作では、まつと慶次はそういう仲ではあるけれども、幼馴染ではない。ましてや、結婚の約束的なこともない。まつのキャラと魅力で、慶次が言うことを聞いてしまう、という設定。それはそれで悪くないんだけど、でも、幼馴染のほうがラブ要素が強くていいよね。(まあ、ヅカではよくある改変だけど、でもサイトー君の『エル・アルコン』では、大人な二人のままでいいのに無理に幼馴染にしたから白けてしまったよな)
それが、結婚の約束を果たせなかったから、もう二度と約束を破らないようにしようと思っている→秀吉を怒らせてはいけないとまつに言われた、だから秀吉を殺しちゃえ、につながるのが、ミラクル。まつとの約束を破らないために秀吉を殺そう、というのは原作にもあるんだけど、そこに幼い頃の約束がからむのが、胸キュンじゃありませんか。
捨丸の描き方もいいです。
原作では男性。かたきを討つために家来になる(=かなり慶次のことが好き)、というのは同じ。
なんだけど、宝塚版では捨丸が女性で、ちょっとかわいい服装をしたところを「馬子にも衣装だな」なんて慶次が言うと、ドキドキしちゃいます。
お色気担当の女性たちと慶次の絡みだけでなく、お色気とは無縁の女性も慶次を素敵だと思っている、慶次も(手は出さないけど)かわいいと思っている、ってところが、オヤジ仕様じゃなくて良いなあ、と思うわけです。
キャスト語りが全然できてないけど、原作比較続きます。
一夢庵風流記 前田慶次 / My Dream TAKARAZUKA(東京宝塚劇場 8/2 15:30) [観劇メモ]
前田慶次がかっこよすぎる。家康を斬るかに見せかけて斬らず、「覚悟のないものは斬らぬ」だってさ! きゃー。
そいでもって、恋に一途なの。「男が女を抱く理由はひとつ、惚れたからだ、それ以外あるのか?」だってさ! きゃー。
こんなセリフを大野たっくんが書いたのかと思うと、ぎょえー(床でじたばた)。
いや、原作にあるのかもしれん。幸い、つーか久々のたっくん大劇場ということで複数回チケット確保したので、これから原作読んで予習復習しますよ~。相変わらず役が多いから、久々にパンフ買って例の配役長文解説も読み込みますよ~。
しかし、かなりエンターテイメント要素を意識しているんですかね。大野作品は地味で難解だからちょっと…という人でも、それなりに楽しめるのでは。(この題材は劇団から指示されたものだそうで)
最近の大河ドラマに登場した、利家とまつ、直江兼次、黒田官兵衛と有名どころがいっぱい(それは原作がそうか)だし、なんといっても前田慶次のキャラクターが豪放磊落で気持ちいい。そして、話の展開がゲーム的というか(ラスボスは誰だー的な)、もうちょっと無難な言い方とすると、よくできた時代劇みたい。
と思ったら、原作の隆慶一郎は小説を書く前は時代劇などテレビや映画の脚本家だったんですね。しかも、トドさんが松平忠輝をやった『捨て童子・松平忠輝』の作者。どおりで慶次が「鬼っ子さま」にかぶると思った。ああいうキャラは本当に気持ちいい。
それがまた壮さんに似合ってて。いたずらっ子で、憎めなくて、爽やかで。馬がいつも一緒っていうのも、偶然だろうけど壮さんの代表作(と私が勝手に思っている)『オグリ!』を思わせるし。
馬。馬。馬の中の人すごい。松風ぬいぐるみがバカ売れするのもよくわかる。動作がとっても可愛らしい。
あゆっちがしっかりしてて、壮さんが叱られてる図が多いのも、オフの二人のイメージと逆で、それもまたドキドキする。
いやあ、ラブシーンもよかったです。ただ、あそこまでラブ重視なら、最後の思い切る場面をもっと情感豊かにしてほしかったな。『ロシアン・ブルー』の別れのように、思い合って別れるんですということを強調してほしかった。
それ以外は特に不満に思うところもなく。いろんな人物の思いや、策略が網の目のようになって、それをセリフから読み取るのが楽しいという、大野作品らしさを楽しみました。たくさんの生徒に役があって、それぞれ思わせぶりだから、生徒さんも自分の役の背景を考えるのが楽しいに違いない。一つの場面でも、きっといろんなことが起きているに違いない。
あと、衣装が豪華なのも楽しかった。傾奇者らしい刺繍や柄がかっこいい。装置はシンプルだけど、秀吉や家康が乗っている車(?)など、そこそこ豪華。退団公演だからお金がかけられたのかなあ。
登場人物についてなどは、また予習復習&観劇したら書きます。予習復習と次回の観劇が楽しみだなんて、これこそわたし的な宝塚の醍醐味です。(だからたっくん辞めないでー)
ショーは中村Bだなあという感じで。音楽は相変わらず好みだけど、かっこいいスーツ場面が一か所に固まっているのは構成の難。中詰めに至るラテン場面(?)が、曲が暗いのに衣装や装置は南国風カラフルという相変わらずなセンスが理解できぬ。そして、白い衣装の場面やパレードのさよなら仕様の歌詞が、いかにもすぎてド素人の極み、すごく白けてしまうのだけれども、一体誰が書いたの……えっ、これが宇崎竜童と阿木燿子なの!? ずこーーー。
そいでもって、恋に一途なの。「男が女を抱く理由はひとつ、惚れたからだ、それ以外あるのか?」だってさ! きゃー。
こんなセリフを大野たっくんが書いたのかと思うと、ぎょえー(床でじたばた)。
いや、原作にあるのかもしれん。幸い、つーか久々のたっくん大劇場ということで複数回チケット確保したので、これから原作読んで予習復習しますよ~。相変わらず役が多いから、久々にパンフ買って例の配役長文解説も読み込みますよ~。
しかし、かなりエンターテイメント要素を意識しているんですかね。大野作品は地味で難解だからちょっと…という人でも、それなりに楽しめるのでは。(この題材は劇団から指示されたものだそうで)
最近の大河ドラマに登場した、利家とまつ、直江兼次、黒田官兵衛と有名どころがいっぱい(それは原作がそうか)だし、なんといっても前田慶次のキャラクターが豪放磊落で気持ちいい。そして、話の展開がゲーム的というか(ラスボスは誰だー的な)、もうちょっと無難な言い方とすると、よくできた時代劇みたい。
と思ったら、原作の隆慶一郎は小説を書く前は時代劇などテレビや映画の脚本家だったんですね。しかも、トドさんが松平忠輝をやった『捨て童子・松平忠輝』の作者。どおりで慶次が「鬼っ子さま」にかぶると思った。ああいうキャラは本当に気持ちいい。
それがまた壮さんに似合ってて。いたずらっ子で、憎めなくて、爽やかで。馬がいつも一緒っていうのも、偶然だろうけど壮さんの代表作(と私が勝手に思っている)『オグリ!』を思わせるし。
馬。馬。馬の中の人すごい。松風ぬいぐるみがバカ売れするのもよくわかる。動作がとっても可愛らしい。
あゆっちがしっかりしてて、壮さんが叱られてる図が多いのも、オフの二人のイメージと逆で、それもまたドキドキする。
いやあ、ラブシーンもよかったです。ただ、あそこまでラブ重視なら、最後の思い切る場面をもっと情感豊かにしてほしかったな。『ロシアン・ブルー』の別れのように、思い合って別れるんですということを強調してほしかった。
それ以外は特に不満に思うところもなく。いろんな人物の思いや、策略が網の目のようになって、それをセリフから読み取るのが楽しいという、大野作品らしさを楽しみました。たくさんの生徒に役があって、それぞれ思わせぶりだから、生徒さんも自分の役の背景を考えるのが楽しいに違いない。一つの場面でも、きっといろんなことが起きているに違いない。
あと、衣装が豪華なのも楽しかった。傾奇者らしい刺繍や柄がかっこいい。装置はシンプルだけど、秀吉や家康が乗っている車(?)など、そこそこ豪華。退団公演だからお金がかけられたのかなあ。
登場人物についてなどは、また予習復習&観劇したら書きます。予習復習と次回の観劇が楽しみだなんて、これこそわたし的な宝塚の醍醐味です。(だからたっくん辞めないでー)
ショーは中村Bだなあという感じで。音楽は相変わらず好みだけど、かっこいいスーツ場面が一か所に固まっているのは構成の難。中詰めに至るラテン場面(?)が、曲が暗いのに衣装や装置は南国風カラフルという相変わらずなセンスが理解できぬ。そして、白い衣装の場面やパレードのさよなら仕様の歌詞が、いかにもすぎてド素人の極み、すごく白けてしまうのだけれども、一体誰が書いたの……えっ、これが宇崎竜童と阿木燿子なの!? ずこーーー。
La vie(銀河劇場 8/1 19:00) [観劇メモ(ヅカ以外)]
大空ユウヒさんが児玉明子と組んで、スキャンダラスな画家タマラ・ド・レンピッカの生涯を演じる舞台。
晩年のレンピッカをインタビューするという形式で、老婆レンピッカの語りと、ショー場面が交互に展開。ショー場面はジャズありパントマイムあり。
こういう構成でも全く退屈にならないのは、レンピッカの人生が波乱万丈なこともあるけど、まず音楽がいいのが大きいかなあ。よく聞く曲でもアレンジが新鮮だし。舞台装置にキャンバスが使われているのも気が利いている。
でもねー、なんといってもユウヒの老婆の語りが素晴らしい。この人、こんな声出せたっけ? 娘役のような倍音がかった発声で、老いの苦しみを語るの。退団後、意図してか生々しい役をやっているユウヒさん。暗い情念が似合うユウヒさん。しかし、外側はやはりクールでシャープ。そんな人が語る老い。不思議だな〜
老いを表すために、映像でユウヒの顔をどんどん老けさせてガイコツにする趣向があって面白かった。宝塚ではできないよなあ。
ただラスト、死んだレンピッカの魂が踊ったあと、そこで終わりにしておけばいいのに、レンピッカの絵を観る現代人としてのユウヒが登場して希望を歌うことに違和感があった。老いを受け入れて死んだ人にたいして、それは白々しくないか? 人生というタイトルの重みをずっしり感じて終わりたいのに。しかも歌詞が英語混じりだし(タイトルはフランス語だじょ)。
ユウヒの女度は上がってました。メイクも島田珠代じゃなくなってた(笑)書きまつげを増やしたんだな。あ、背中はまだ男でした。
レンピッカの恋人役(女性よ)の珠洲春希が良かった!!宝塚時代もすごいダンサーだったけど、ますますしなやかで美しい。肉感的だけどいやらしくない。女性同士のラブシーンのダンスが一幕ラストなんだけど、ずーっとずーっと観ていたかった。この二人の組み合わせがこんなにいいなんて。もはや萌え。宝塚時代は、『誰がために鐘は鳴る』のロバートと道案内のお爺さんだったのにね。
いまっちがシンガーとして、よっちがダンサーとして出演。よっちはまだまだ男っぽいけど、超セクシーな場面があった。ドキドキ。
終演後のトークショーは、ダンサーの岡崎さんが司会。ハイテンションでユウヒが笑ってた。音楽の和田さん(この人のキャラもかわいい)とユウヒのやりとりが深かった。私もいいと思ったセリフ「神様が作ったものはすべて最良のもの」だから写しているだけとタマラは言う→しかし、タマラの絵はかなり特殊→あれは「凍結」だと思っている→自分も脚本をそれ以上でもそれ以下でもないと思って役に取り組んでいる、という話が印象的だった。
晩年のレンピッカをインタビューするという形式で、老婆レンピッカの語りと、ショー場面が交互に展開。ショー場面はジャズありパントマイムあり。
こういう構成でも全く退屈にならないのは、レンピッカの人生が波乱万丈なこともあるけど、まず音楽がいいのが大きいかなあ。よく聞く曲でもアレンジが新鮮だし。舞台装置にキャンバスが使われているのも気が利いている。
でもねー、なんといってもユウヒの老婆の語りが素晴らしい。この人、こんな声出せたっけ? 娘役のような倍音がかった発声で、老いの苦しみを語るの。退団後、意図してか生々しい役をやっているユウヒさん。暗い情念が似合うユウヒさん。しかし、外側はやはりクールでシャープ。そんな人が語る老い。不思議だな〜
老いを表すために、映像でユウヒの顔をどんどん老けさせてガイコツにする趣向があって面白かった。宝塚ではできないよなあ。
ただラスト、死んだレンピッカの魂が踊ったあと、そこで終わりにしておけばいいのに、レンピッカの絵を観る現代人としてのユウヒが登場して希望を歌うことに違和感があった。老いを受け入れて死んだ人にたいして、それは白々しくないか? 人生というタイトルの重みをずっしり感じて終わりたいのに。しかも歌詞が英語混じりだし(タイトルはフランス語だじょ)。
ユウヒの女度は上がってました。メイクも島田珠代じゃなくなってた(笑)書きまつげを増やしたんだな。あ、背中はまだ男でした。
レンピッカの恋人役(女性よ)の珠洲春希が良かった!!宝塚時代もすごいダンサーだったけど、ますますしなやかで美しい。肉感的だけどいやらしくない。女性同士のラブシーンのダンスが一幕ラストなんだけど、ずーっとずーっと観ていたかった。この二人の組み合わせがこんなにいいなんて。もはや萌え。宝塚時代は、『誰がために鐘は鳴る』のロバートと道案内のお爺さんだったのにね。
いまっちがシンガーとして、よっちがダンサーとして出演。よっちはまだまだ男っぽいけど、超セクシーな場面があった。ドキドキ。
終演後のトークショーは、ダンサーの岡崎さんが司会。ハイテンションでユウヒが笑ってた。音楽の和田さん(この人のキャラもかわいい)とユウヒのやりとりが深かった。私もいいと思ったセリフ「神様が作ったものはすべて最良のもの」だから写しているだけとタマラは言う→しかし、タマラの絵はかなり特殊→あれは「凍結」だと思っている→自分も脚本をそれ以上でもそれ以下でもないと思って役に取り組んでいる、という話が印象的だった。
夏のおどり(8/1 11:30 新橋演舞場) [観劇メモ(ヅカ以外)]
OSKのトップ、桜花昇ぼる退団公演でございます。
2002年か3年の3月、青年館でのOSK公演を観てまして。近鉄に切られることが決まって、最後の東京公演ということでした。桜花さんは三番手かな、いい声で華があって、この人を観られなくなるなんて残念だなあと思ってました。マミさんが笠置シヅ子をやった公演に桜花さんが友人役で出たのも観ました。
あれから10年以上。トップとして退団なのかあ。すごいなあ。ってて、OSKがすごいよ。東京公演けっこうやるようになって。新陳代謝も行われ? よくまあ立派に。ファンのみなさまの支援もさぞかし。
宝塚はノスタルジー、SKDはセクシー、OSKは元気。というのが私の印象なのですが、復活に頑張ってきた物語はまさに元気とリンクします。
一幕は日本ものショー。中詰めの時代劇みたいな場面がすごく楽しかった。音楽はジャズとかで、まさに昔のかっこよくて面白い時代劇。
袴に扇の場面では、桜花さんから高世さんに金の扇を渡す場面もあり。
二幕は洋ものショー。太陽がテーマで桜花さんのキャラだという。なるほど、暑苦しいもんね(誉めてます)(ところで、ソレイユーという節がフランス語として変な気がするのだが)
サバンナみたいな場面からスーツの場面になるところが超絶かっこよかった。
ことりちゃんがスパニッシュでせり上がりしてた。ことりちゃん、かわいいだけじゃなくて大人っぽいダンサーなのがいいのよねえ。お茶会あったら行きたいよ〜
スタイルがいい悠浦あやとくんかな? 場面ひとつもらって、エトワールもやって、ガンガンにあがってきてますな。
チェリーガールズっていうのかな? 娘役5人のセクシー場面。これはセクシー過ぎた。特にセンターの娘役が私にはやりすぎに見える。いや、すごく素敵なんだけど、少女歌劇ではないというか、オジサンが喜んでしまいそう。
もちろん、全体的にガンガンに踊るのが気持ちいいです。
が、桜花さんに、ひいてはOSKにどっぷりはまらなかったのは何故なのかなあ。
ノスタルジーと元気ならノスタルジーのほうが自分好みなのか。あとね、お芝居があまりない(東京の大きな劇場ではやってないよね?)のが大きいかなあ。桜花さんが南座で源氏物語やったの観たけど、脚本もいまいちだし、演技もいまいちだった…めんご…。芝居って、かなり頻繁にやらないと力がつかないのではないかな。踊りのOSKとしてやってきたのは正解だけど、芝居の力も蓄えて、東京の大きな劇場でお芝居やってくれたらうれしいな。
って、外野の無責任な願望でした。
2002年か3年の3月、青年館でのOSK公演を観てまして。近鉄に切られることが決まって、最後の東京公演ということでした。桜花さんは三番手かな、いい声で華があって、この人を観られなくなるなんて残念だなあと思ってました。マミさんが笠置シヅ子をやった公演に桜花さんが友人役で出たのも観ました。
あれから10年以上。トップとして退団なのかあ。すごいなあ。ってて、OSKがすごいよ。東京公演けっこうやるようになって。新陳代謝も行われ? よくまあ立派に。ファンのみなさまの支援もさぞかし。
宝塚はノスタルジー、SKDはセクシー、OSKは元気。というのが私の印象なのですが、復活に頑張ってきた物語はまさに元気とリンクします。
一幕は日本ものショー。中詰めの時代劇みたいな場面がすごく楽しかった。音楽はジャズとかで、まさに昔のかっこよくて面白い時代劇。
袴に扇の場面では、桜花さんから高世さんに金の扇を渡す場面もあり。
二幕は洋ものショー。太陽がテーマで桜花さんのキャラだという。なるほど、暑苦しいもんね(誉めてます)(ところで、ソレイユーという節がフランス語として変な気がするのだが)
サバンナみたいな場面からスーツの場面になるところが超絶かっこよかった。
ことりちゃんがスパニッシュでせり上がりしてた。ことりちゃん、かわいいだけじゃなくて大人っぽいダンサーなのがいいのよねえ。お茶会あったら行きたいよ〜
スタイルがいい悠浦あやとくんかな? 場面ひとつもらって、エトワールもやって、ガンガンにあがってきてますな。
チェリーガールズっていうのかな? 娘役5人のセクシー場面。これはセクシー過ぎた。特にセンターの娘役が私にはやりすぎに見える。いや、すごく素敵なんだけど、少女歌劇ではないというか、オジサンが喜んでしまいそう。
もちろん、全体的にガンガンに踊るのが気持ちいいです。
が、桜花さんに、ひいてはOSKにどっぷりはまらなかったのは何故なのかなあ。
ノスタルジーと元気ならノスタルジーのほうが自分好みなのか。あとね、お芝居があまりない(東京の大きな劇場ではやってないよね?)のが大きいかなあ。桜花さんが南座で源氏物語やったの観たけど、脚本もいまいちだし、演技もいまいちだった…めんご…。芝居って、かなり頻繁にやらないと力がつかないのではないかな。踊りのOSKとしてやってきたのは正解だけど、芝居の力も蓄えて、東京の大きな劇場でお芝居やってくれたらうれしいな。
って、外野の無責任な願望でした。