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信仰を失いかけた信者の毎日(2) [音楽学校裁判]

(またまたうざいシリーズ)

『虞美人』の千秋楽を観る。

馬と鹿の場面で「正直者がバカをみる〜♪」って歌ってるけど、正直者=項羽なんだな、と今さら気づく。

「誰も、何も、信じられない〜♪」項羽にとって、虞美人だけが、信じられる人だった。そのことが、項羽の正直さを支えていた。

それって、タカラヅカの生徒さんを愛することが、自身を清らかにするような、そういうことなんじゃないの。項羽がタカラヅカ的ヒーローなのは、清く正しく美しいから。殺伐とした世の中で、タカラヅカは夢の世界だったんじゃないの。一人一人が大切にされる、愛と夢が存在する世界だったんじゃないの。少なくとも建前は。

なのに、タカラヅカの<組織>は、建前も本音も、清くもなければ、正しくもないし、当然、美しくもないのだ…。

劉邦や張良が策略を繰り広げるのは、仕方ない。生存競争だから。思想的にはすごいとこいってた紀元前の中国だけど、基本的な、食料とか生きていくための物資はまだまだ奪い合わないとやっていけない。

でも今は、21世紀なのにね。なんで「清く正しく美しく」を売りにしてる<組織>で、醜い策略が行われ、それをおおっぴらにしても平気なんだろう。

そんなこと考えていると、つらくなる。

幕間にトイレに並んでいると、背の高い人が「すみません」と横切っていく。小林公一理事長じゃん! つかまえてどやしつけようか、と半分本気で思うが、残り半分の勇気がなく。

トイレの帰りに、小林一三の銅像に手を合わせる。今まで、漠然と「タカラヅカをお守りください」と思っていたけど、これからは本気だ。本気でお祈りする。一三も変なとこある人だけど、宝塚少女歌劇への愛は誰よりも強いし、客の意見をちゃんと聞いた人。子孫と、後継者たちの夢枕に立って、叱ってやってください。お願いします。

最後、あやねが立派な挨拶をしていた。「虞美人が項羽を愛するように、私はタカラヅカを愛してきました。はかない夢かもしれない、でもタカラヅカこそが私の原点。これからも多くのお客様に愛されるタカラヅカであってほしい」(要旨)…鼻水決壊。うわーーーーん。

まとびさんは涙で声がつまっていた。「これからも花組を応援してほしい」と何度も言っていた。どうしよう、まとびさんに頼まれちゃったよ。断れないよ。どうすればいい? 

私は主犯を許すことができないし、それを自然淘汰させようとはせず、あえて抜擢して作る舞台を、決して楽しむことができないだろう。

でも、それが一番つらいのは、生徒さんたちのほうのはずだ。応援しなくちゃいけないと思う。

でも、どうすればいいかわからない。少しでも建設的なことを考えたいけど、堂々巡りだ。

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