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ロジェ(東京宝塚劇場 8/22 16:00) [観劇メモ]

この作品、すごく好きです。思いっきりロジェに感情移入して、シュミットと会う直前なんか、全身の血の気がひくぐらい緊張した。シュミットを撃てない場面で、ごーごー泣いた。B席の端っこでw

「本能的に、シュミットを追わずにはいられない」という台詞が何度も出てくるけど、自分に重なる。神戸地裁まで行ってしまったのは、頭で考えているわけじゃない、どうしてもそうせざるを得なかったから。

「それを強いた人間が今も口をぬぐって暮らしている、それが許せない」という台詞も、あーーーと思う。それを新人公演で96期生が言うのか。もんのすごい、極め付けの嫌味だな。 

「私たちがもっと気をつけていれば防げたかもしれない…」と、戦犯とうすうす気づいていた妻が言う。あーーーと思う。

ハリー、わざとやってるよね? 「悪」を成した人間を追い詰める話。罪とは何か。罪を犯したほうはどう生きていくか。傷ついたほうはどう生きていくか。

でも、「悪」と思っていたシュミットに会ってみたら、「悪」の一文字ではなかった。「お医者さんで、貧しい人を助けてて、過去の罪にはそれなりに理由があって、自分のお父さんだって悪かったし、一番悪いのは戦争だし、でもだからといって人殺ししていいわけじゃない、今だって戦犯を助けてるから罪に問われる、でもでも」数百文字が必要。

人間って、一文字で説明できるものじゃないんだよ。そうつきつけられてしまったら、撃てない。ちろん、やったことは「悪」だし、その罪は消せない。ロジェは決して許していない。でも撃てない。撃てないんだよ。

それが、神戸地裁でより詳細を知ってちょっと驚いた気持ちと重なる。そりゃ、やったことは悪い。悪いけど、ただ「悪」だけでは片づけられない。緑豆は「文面通り受け取れば、96期や組織を許せってことになっちゃうじゃん(怒)」って言うんだけど…、いや、許してはいない、許してはいないけど、ただ「悪」の一文字じゃないってことが言いたいのだ。

ゲルハルトだってそうだよね。戦犯、第三帝国を作ろうといまだにもくろんでいる。でも、家族の前ではいいお父さん。。。だからって許されるわけじゃないけど、知れば知るほど、人間って一言では括れないって思う。

そんなテーマが、ハリー独特の台詞遣いで語られ、薄暗い街角が次々出てくると、もうハリー信者としては感服するしかなく。

そのうえ、私はミズトートの粘着っぷりが大好きだったのです。よく言えば誠実で几帳面、悪く言えばしつこい(すみません!) そんなミズに、ストーカートートと、復讐の鬼ロジェはぴったりだと思うの。サヨナラ公演としてのベタな場面はないけど、でも、水がよく言うように「終わりはない」、男役芸も、水夏希としての人生も、(わたし個人的には裁判も)そんなハリーのメッセージだと思った。

ただ、このテーマに感情移入できない人には、ちょっとつらいかも、とは思う。だって、クライマックスまで、たいして何も起きないんだもん。普通、最初からクライマックスまで、主人公の心は徐々に動いていくでしょう。でも、この話はシュミットに会うまで、焦らして焦らして焦らして、なのよね。退屈してしまうかもなあ。ゲルハルトの密輸からだんだんとシュミットの居場所が明らかになる過程も、私は面白かったけど、伝聞が多いから盛り上がらないという人もいるかもしれない。

でも好きです。

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