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ファンへの絶縁状 [音楽学校裁判]

戦前の『歌劇』を読んでいると、ファンと劇団、生徒、スタッフが一体となってタカラヅカを作っていることがわかります。

よく小林一三はファンからの手紙を載せ、「それはデマです、安心してください」とか「そういった生徒は厳重注意します」などと答えていました。生徒監が答えることもあります。

今ヅカファンが、まるで自分たちが大株主でもあるかのように、演目や人事に口をはさみたがり、タカラヅカの将来を心配するのは、創立時からの伝統なのです。そして、<組織>もそれにある程度こたえて一緒にタカラヅカ<文化>を作ってきたのが、一三時代からの由緒ある伝統なのです。

でも、その伝統も終わったみたいです。

音楽学校裁判の和解は、原告の身分は保証されたが、それ以外の和解内容は、被告側の要求により非公表。マスコミへのコメントやHPでは、「良心に従って証言をした生徒たちがネットで中傷されて遺憾」。

あの〜、謝罪はないんですか? 原告の退学を取り消す=万引きは捏造と認めた。公表しない=後ろめたい=自分たちが悪いとわかってる。和解を持ちかけた=敗訴するとわかってる=自分たちが悪いとわかってる。なのに、謝罪しない。「良心に従って」って、誰が見てもいじめだとわかるあの証言が「良心」? しかもコメント出してるのが、讒言を真に受けた事務長←なんで更迭されてないの?

そしてファンの「膿みを出して清く正しくなってほしい」という願いを「中傷」呼ばわりですよ。。。

タカラヅカは家庭的で、ファンも生徒も劇団と一体となった面白い<文化>。その特色を、<組織>自らが踏みにじったということでしょうね。

純粋に原告の勝利(条件つきではあるが)を祝うべきところを、勝手なことに、ファンがないがしろにされたこと、<組織>がとことん清くなかったことにショックを受けてしまいました。一週間前の私の記事はあまりに楽観的すぎましたね…。

「あきらめてはいないが、絶望しているのです」@虞美人、「すべての希望は、消えた」@王家に捧ぐ歌、ここでついヅカの台詞が出てしまうのが、哀しい。(しかもどっちもキムシンだ!)

::::::::本家はコチラです→a posteriori takarazuka:::::::
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