SSブログ

タカラヅカの本質云々はただの保守なのか!? [ヅカってなんだ?的記事]

宝塚イズム17号、発売になっています。今回は、ニジンスキーについてと、蘭寿さんトップ就任について(蘭寿さんというよりは人事政策の話です、蘭寿さんファンのみなさん、すみません)、書かせていただきました。

と言っても、その主張は、
・ニジンスキー→男同士のからみもやりすぎるとトップ娘役の意味なくなっちゃうんじゃないの?
・蘭寿さんトップ就任→充実した二番手時代って大事だよね

うーん、私って、こんなに保守的だったのか…!

今まで、「宝塚の伝統」というものを疑って見ていて、女性ばかり→男性だっていたでしょ、未婚者ばかり→既婚者だっていたでしょ、トップスター制度が特色→ここ40年のものでしょ、という見方をしてきたつもりでございました。

なのに、公演評を書くと、途端に「トップと二番手が拮抗していてほしい」「トップ娘役をないがしろにしないほうがいい」って、最近の慣習に固執している自分。。。

「宝塚は観るもんじゃなくて参加するもの」「海外ミュージカルもいいけど、宛書きが大事」っていう主張も、同じく、とても保守的だと思う。自分が観はじめた頃のことにこだわっているだけなのかも。

もし、今のファンの大半が、「トップ娘役なんていらねー」「男同士の絡みだけでいい」「会なんてめんどくさい」「メディアの露出が多ければそれで妄想できるからいい」「下手なオリジナルより海外ミュージカルのほうがいい」と思うのだったら、それでいいのかも。そうやって変わってきたのかも。ついていけない人は、脱落するのみなのかも。(いや、さすがに、「トップ娘役いらねー」「海外ミュージカルオンリーでいい」なんてファンは、いないだろうけども…いや、どうかな…。)

古い『歌劇』を読みながら、宝塚の本質はずっと変わっていないと思ってきたけど、それってなんだろう。自分がこだわっていることは何なんだろうか。

::::::::本家はコチラです→a posteriori takarazuka:::::::
nice!(0)  コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。