SSブログ
ヅカってなんだ?的記事 ブログトップ
前の10件 | 次の10件

男役と女形は対照じゃないー女らしさアピール [ヅカってなんだ?的記事]

MISSという雑誌に花組スターさんが載っているということでチェック。うれしかったのは、まとびさんがご愛用のサンタマリアノヴェッラのボディミルクが、私が何本もリピートしてるものだったこと! わーいわーい、私もあんな美肌になるかしら〜。ライナス様もあの薔薇とクチナシの香りに包まれているのね〜。

ん? ライナスおじさんが? 薔薇とクチナシって、いかにもレディースな香りを使うってか? 変くない?

ヅカファンになってはや10年。やっぱり慣れません。男役という第三のジェンダーに。

だって、男役芸を極める! と言いつつ、オフでは女らしさをアピールするんだもん。わかんないな〜。「女子トイレに入って驚かれました」的発言も、結局は女の子ですアピール。ましてや、まとびさんは入り出もけっこう女っぽい。料理の腕も自慢する。男の料理じゃなくて、普通に女子の料理。そして我々も、「オフでは綺麗なお姉さんだよね」というのを誉め言葉として使う。

昔に比べたらずっとオフでも男らしくなったと言いますが。(スカート履かなくなったし)でもやっぱり、基本、きれいな女性であることアピールが多いですよね。

じゃあ、女形はどうなんだ。玉三郎や篠井英介さんが、「オフでは男らしいんです」アピールする? 男らしいアピールってなんだろう、えっと、バイクでツーリングします、とか? すね毛もじゃもじゃなんです、とか? しないよなー。全然、しない。絶対、しない。篠井さん、スタジオパークとか徹子の部屋で、愛用化粧品を披露してたもん。むしろ女らしいほうをアピールするよなあ。

ってことは、男役も女形も、結局は女らしさをアピールしてるってこと? なんでだ? そもそも、男役にしろ女形にしろ、異性装はすべて反主流=反男らしさ、ってことなのかな?

うーん、わからん。

::::::::本家はコチラです→a posteriori takarazuka:::::::

女形は「じつはおっさんアピール」がけっこうあるらしい! コメント欄から教えていただきました。引き続き勉強します…

nice!(1)  コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

夢の世界と現実とをつなぐ細くて透明な糸 [ヅカってなんだ?的記事]

ヅカファンの知り合いの方が亡くなった。まだまだ若いのに。

お葬式に行った人の報告によると、応援していた生徒さんからお花が来ていたそうだ。生徒さんはその日、入り出で黒い服を着ていたそうだ。

亡くなったことを聞いてからずっとショックで今も胃が痛いけど、その報告を聞いて初めて泣いた。

タカラジェンヌはフェアリーで、夢の世界の人なのに。人の死という、おそろしいほど強制的に起こる現実の地平に、降りてきてくれるんだ。変な言い方だけど。

ファンがジェンヌを応援してるのは、架空の世界の人に勝手に憧れてるもののような気がしてた。いや、そりゃ、ジェンヌさんだって、本名のときは現実の人間なんだけど。でも、ファンの前では芸名じゃないですか。ただの芸能人よりもっと究極の架空の存在。

でも、その芸名の人からお葬式に花が来るんだ。なんか不思議。夢の世界の人と、現実の人間との間に、糸がつながってるんだ。思いは通じてるんだ。ヅカファン以外の人からは見えないかもしれないけど、夢の世界と現実とをつなぐ、細くて透明な糸が、ちゃんと存在してるんだ。

もちろん、こういうときの慣習みたいなものがあるのかもしれないけど。その方のお人柄とか、生徒さんのお人柄とかもあるんだろうけど。

きっとその方は、天国で「なんで○○さんからお花来てんのー、逆やないのー」って突っ込んでたんだろうな。

::::::::本家はコチラです→a posteriori takarazuka:::::::


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

組織の不条理の中で生きる [ヅカってなんだ?的記事]

今いる部署が解体してしまうかもしれん。それも、上の人のちょっとした思いつきの影響で。ずっと同じ部署にいられないのは宮仕えの定めとは言え、気に入って頑張ってきた部署だけに、ちょっとした思いつきでないがしろにされるのは、悲しすぎる。大きな組織ってほんと、「上司は思いつきで物を言う」(橋本治)の連続だ。

と思いながら、花影アリスの退団あいさつをスカステで見る。

あーりーすーーー。君がトップにならないなんて、思いもしなかったよ。あいあいも。さゆも。ユミコも。みんなそうだ。

ちょっとしたことで上手くいく人もいれば、頑張っても報われない人もいる。上の人のちょっとした思いつきで、変な公演やらされ、貴重なジェンヌ人生の一部を費やす。トップになって当然と思われていた人が、なれずに辞める。

なのに、ジェンヌはみんな健気だよなあ…。少しでも楽しみを見出して、気丈に頑張ってるよなあ…。労働条件だって相当過酷だろうになあ…。

自分は相当、楽な職種だろうに、全然ダメですよ。あんなに強く、美しく、清らかではいられないですよ。(注:自分が、トップ娘役になると目されているほど職場で花形だ、という意味では決してありません。念のため。)

ちょうど今の自分の年って、1/3をかけると(ジェンヌの人生は普通の社会人の3倍の速さだという)、研究科6〜7年目。同期たちが、これからどういうコースを歩むか。バリバリ路線スターになるか、職人になるか、そのどちらにもなれないか…。

運命に翻弄され、野望を果たせずに退団するジェンヌ。でも、「悔いは無い」と言う。毎日毎日、与えられた役に打ち込んできたから。その生きざまに、憧れるやね。

昔は、専業主婦の奥さまが、自分がなれなかった「働く女性」という夢を、トップスターに託していたという(知り合いのおばさまの言による)。でも私は、「働く女性」にはなったので、もっと現実的に、組織の一員としての困難を重ね合わせることができる。オジサン向け雑誌が武将や実業家を取り上げるみたいに、私はジェンヌに何らかのモデルを見出し、美化しようとしているのかもしれん。

::::::::本家はコチラです→a posteriori takarazuka:::::::

nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

オトメの被虐願望2 [ヅカってなんだ?的記事]

ボレロのもう一個の問題シーン。これってレイプだよねー…。陵辱された女がセリ下がっていくって場面じゃん…。何これ、最っっ低!!! とゆう場面があります。

タカラヅカでは、襲われそうになる場面ってのはけっこうあって、定番と言えなくもないんです。じつはオトメは襲われたいと思っていなくもないんじゃないか、と私は思っているんです。→オトメの被虐願望

だから、この場面もその延長じゃん、と言われればそうなのだ。だけど、この場面はイヤなの。絶対にイヤなの。

なんでこの場面だけがイヤなのかがわからない。

実際にやってるみたいに見えるから? でも、ショーでよく、トップ男役とトップ娘役が「そ、それは…」みたいなポーズになってること、あるじゃないですか。『ラブシンフォニー』のルーレットの場面とか。芝居の一場面でも、『薔薇に降る雨』の幻想エッチ場面とか。でも、あれは全然イヤじゃないのだ。

でもそれらは、合意の上ですからね。じゃあ、今回は合意じゃないからイヤなのかな。そりゃまあそうだわな。

でも、『ロマンチカ宝塚』とかのヤクザに襲われる場面はまだOKだったわけで(イヤだった人もけっこういると思うけど、自分はぎりぎりOK。助けが来るし。)。違いは、未遂か既遂か、ってことだけだなあ。なんでそこが重要なんだろう。

逆に言うと、なんで今回の場面は絶対イヤなのに、ほかの襲われ場面はイイと思ってしまうんだろうか!?

つまりは、全部、オトメの妄想なんですよ、タカラヅカは。だから、襲われそうになるのは楽しい妄想なの。上にあげた記事みたいに、「自分、モテモテ!?」気分が味わえるから。オトメは現実の恋愛したことないから、そこまで思われてる、みたく勘違いしちゃう。でも、そんなアホなオトメでも、当然、好きでもない人との既遂はイヤなの。いくら現実知らなくても、それはイヤなんです。一方、合意の上なら、既遂でも全然かまわない。キャハ☆

バカだな…バカすぎる。でも、オトメの妄想ってそんなものだ。

::::::::本家はコチラです→a posteriori takarazuka:::::::
nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

男か女かどっちかにしてくれ@BOLERO、オスカルetc. [ヅカってなんだ?的記事]

ラヴェルのボレロにのって、レオンがセンターで踊る荘厳な場面。

レオン以外全員が着ている衣装が気になる。ホルターネックにパンツスタイル、全身金で頭はターバンっぽいやつ。で、胸がある。男役も女役も。

きもいよー、きもすぎるよー。なんでテルとかあかしに胸があるんだよー。男っぽく踊っている彼らに、胸があると、「!? オカマさん? それは人工の胸? オカマバー?」って思っちゃう。

ほかにもさあ、えーっと、『エンター・ザ・レビュー』のアランフェスの場面でも、男役女役問わず同じ衣装で、胸があったよね。スカートだったけど。そのかが男っぽく踊ってるのに、胸があって「キモ」とか思った記憶が。

素の彼女たちに胸があるのは頭ではわかってる。でも、舞台では彼女らは男役。男なんですよ、どんな場面でも! 稽古場風景とかオフでの格好とは話が違う、これは舞台の上なんです! 

だって、あんたら、鳩の役の二人は片方はパンツ、片方はスカートに設定してるじゃん。なんでそこまでするっていうぐらいに、普段はショーの衣装を男と女に分けてるじゃん。肌の露出が多いほうが女。くびれたラインを見せるのが女。肌を露出しないのが男。直線的なラインなのが男。そういうふうに、男と女の決まり事を、無理矢理にでも作ってるじゃん。

『紫子』でほっとしたのは、紫子が女々しくないことだった。男っぽく育ったんだから男役仕様、でもストーリーの上では女、それで何の問題もなかった(わたし的には)。まあ、原作でもさばさばしてたから当然なんだけど。あれで女々しかったら、相当キモいくないか?

って、そのキモいのがオスカルなわけで。原作では凛々しいオスカルなのに、なぜかタカラヅカのオスカルは女々しい。軍服を着ているのに、ナヨったせりふを言わされてる。(初演当時から女々しいと言われていた!@高声低声)

女が男を演じるんだから、中途半端はやめにしてほしいの。どっちかに決めてほしいの。

なのになぜあの場面(とオスカル)だけ、中途半端なのか。

いや、ひょっとして確信犯なのか? 「両性的なもの」を狙っているのか? 昔の岡田敬二のショーで両性具有を意味する「アンドロジェニー」というのがあって、これがかなり批判されていた論文を読んだことがある。(今すぐにコピーが見つからん)

時代なのかもしれないな。ボレロのあの場面は、鴨川作品が元だそうだ。昔のタカラヅカの本を読んでいると、男役でもオフで当然のようにスカートはいてるし、衣装もウエストコンシャスだし、男役は男らしく、というよりは、スター性のほうが重視されてるような印象がある。だから、スターが男になったり女になったり、その中間になったりするのは全然OKだったのかもしれない。

でも、今の感覚からすると、男役と女役は明確に分かれていてほしい。両性的なものはその根底を覆すように思えてしまって興ざめ。世の中の現実の男女が中性的になっているからなのかもしれない。

演じているほうも、「胸ありの衣装のときは、男役ってことを忘れて踊ってください」って言われても、そりゃ無理でしょー。そうできるタイプの人もいるかもしれないけど、できない人も絶対いるでしょー。いっそ、「女役としてやってください」って言ってくれればいいのに。それならそれでメイクも踊り方も変えるから(って時間が足りないけど)。

男役も女役もファンタジーなんだから、徹底してやってほしいんだよなあ。中途半端だと夢が醒めるなり。頼む。

::::::::本家はコチラです→a posteriori takarazuka:::::::

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

今もタカラヅカに生きる「エス」〜スカステ番組における男女役割を楽しむ2 [ヅカってなんだ?的記事]

録画してあった「夢スポット」のクリスマスバージョンを見た。

なんなんだ、これ。なんなんだ、これ。なんなんだ、これ。なんなんだ、これ。なんなんだ、これ。(以下無限に繰り返し)

出演者は瞳ゆゆちゃんと彩城レアちゃん。二人は「親友」という設定。

なのに、クリスマスは毎年宝塚ホテルで過ごしているんだって。

ええー、それって「親友」じゃなくて「恋人」じゃん!!! それ以外ありえないじゃん!!!

しかも、去年のクリスマス、宝塚ホテルで食事をしながら些細なことでケンカになり、それ以来会ってないんだって。

ええー、それって「親友」じゃなくて「恋人」じゃん!!! それ以外ありえないじゃん!!! 自分的には、そんな濃密な関係は、友達関係では発生しないんですが、、、

そして、今年のクリスマス、「また来ちゃった…会えるわけないのに…」。売店では、「あいつが好きなドーナツ…」とかやってるわけですよ。

そのうえ、宝塚ホテルで過ごすって、食事するだけじゃなくてスイートに泊まるってことなんだって。

ええー、それって「親友」じゃなくて「恋人」じゃん!!! それ以外ありえないじゃん!!!

でも、あくまでも「親友」らしい。女の子同士という設定。でも、服装からして、ゆゆちゃんは娘役、レアちゃんは男役。かといって、芝居で男女をやってるわけじゃない。でもやっぱり、娘役と男役。でも「親友」。なんか変、なんか変、なんか変。

あーーー、これって、大正〜昭和初期の女学生同士の擬似恋愛なのかも。「エス」ってやつ(SisterのS)。女子二人の濃密な関係。

今みたいに、男女交際(死語?)がふつーで、男女二人で歩いてても誰からも何も言われない時代からすると、すごく変に見える。それぞれ彼氏作って、クリスマスは男女で過ごしてそう。もしくは、女女で恋人同士なら、はっきりそう言えばいい。単なる友達同士ならここまで執着しない。

だけど、男女二人で歩いたら後ろ指さされるような時代だったら、おかしくないのかもしれないな。「女学校 → 結婚」しかない時代なら、女学校の中で恋人みたいなものを見つけ、でも、結婚に差し障りのないよう「友情」って言っておく、とゆう。男社会とは隔絶されてるだけに、同士的な絆もありそうだし。

すごいのは、そんな大正時代の女学生文化が、21世紀になってもごく自然に生きているということです。何の突っ込みもなく、番組として流れていることです。おそるべし、タカラヅカ…。

::::::::本家はコチラです→a posteriori takarazuka:::::::
nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

阪神教と宝塚教 [ヅカってなんだ?的記事]

井上章一の本は好きなんだけど、読んでないのもけっこうあると気づいて、ちょこちょこ読むことにしている今日このごろ。

彼は阪神ファンだそうで。え、京都の人なのに? いやいやいやいや、

阪神=大阪の象徴なんて考え方は、虚像!

じつはごく最近のもので、マスコミ主導の作られた虚像なんですってー。知りませんでした。そんなことを解き明かしつつも、虚像にすがる阪神ファンの気持ちをつづったエッセイ集が『「あと一球っ!」の精神史』(太田出版, 2003.9.)。ヅカファンとして共感せざるを得ないのです、これが。

「ふつうどこの球場でも、試合が終わったら観客はぞろぞろ帰りはじめますね。でも、甲子園では(中略)ヒーロー・インタビューを聞き終わったら「六甲おろし」を三番まで歌います。三番まで歌い終わったら、今度は選手ひとりひとりのバッティングマーチがつづきます。
この儀式を最後まで終えてからようやく帰りはじめるわけですから、これはもう宗教でしょう。阪神教右翼席派の勤行です。甲子園はまさしく聖地です。
ファンも自分たちがもりあげていることで選手をささえ、相手チームをビビらせていると思って球場に来ています。自分たち観客もコマとなり試合を動かしていると思っている。
なんでそんな幻想にひたれるのかというと、球団が情けないからです。」(p136-137)

球団を歌劇団に、甲子園を宝塚大劇場(か東京宝塚劇場)に置き換えても、意味通じます。全然通じます。

「球団があんなふうやから。心さむざむとさせられるような球団やから俺たちがささえなあかん。あんな球団にやとわれた選手もかわいそうやけど、そのぶんわしらがささえたるとファンがかってに思ってくれる。それが球場のものすごいもりあがりをつくっている。」(p131)

ぬぉぉぉ。「あんな劇団だから、あたしたちが○○ちゃんを支えないと」って、我々しょっちゅう言ってますけど! その心意気で一生懸命出待ちの列に並んでますけど! まさに→コレ

しかも、井上章一は、劇団、じゃなかった球団はわざとやってるんじゃないか、とまで言う。そうなの? そうなの? 歌劇団はファンを盛り上がらせるために、わざと冷たい仕打ちをしてるの? 一作トップもそういう作戦なの? 

ま、半分冗談なんでしょうけれども、でもそんな気持ちがあるのは、阪神ファンもヅカファンも同じなんですねえ。小林一三と阪神との話もちょっと書いてありました。

::::::::本家はコチラです→a posteriori takarazuka:::::::
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(2) 
共通テーマ:演劇

ジェンヌさん=ブランドみたいなもの? [ヅカってなんだ?的記事]

退団の報がショックなのは、もう会えなくなるということだけじゃなくて、ジェンヌとファンの距離が、短いようでいて全然遠いという事実をつきつけられることだ。(というようなことはすでにこの記事で書いてますが)

ファンはものすごーく単純に、ごくごく単純に、まるで子供が好きなものを追いかけるように、ただただ、素敵だなーと思ってジェンヌさんを好きになるでしょ。

でも本当は、それはジェンヌさん本人ではなく、その芸名や愛称で呼ばれるひとつのブランドに過ぎないんだよね。

本名のその人は、そのブランドを作っている人。ファンはそのブランドに集って買う人。ブランドのお店があってこそ、彼らは集ってる。退団ってのはそのお店をおろすこと。タカラヅカの場合、ほぼ100%必ずお店は店じまいする。

でも子供はそんなこと知らないから。ただただ好きな人に会いに行ってたのに、それは「人」じゃなくて「お店」だって言われたら、ビックリだよ。しかも、数ヶ月後にお店なくなるよって言われちゃうなんて、にわかには信じられないよなあ。

つまりはそういう「ブランド」に集ってサークル活動する「ゲーム」のようなものなんだってことを、そのうち理解できるようになるんだろうか、自分。。。

::::::::本家はコチラです→a posteriori takarazuka:::::::
nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

千秋楽は宗教的法悦の行事〜ベルばら/Exciter!! 千秋楽 [ヅカってなんだ?的記事]

子アンドレと子マリーズの方言場面で、笑いがまったく起こらない。それはもう、ちーっとも(@オグリ)。

あっ、千秋楽なんだ。と、そんなところでまず実感する。ほとんどの人が初見じゃない。観劇ではなく、あくまでも千秋楽という儀式に参加しに来てるんだ。

それがショーだと、もう、拍手が揃う揃う。普段はまばらな拍手場所も、びしーっと決まる。この気持ち良さ。しかも、退団者4人が一瞬フィーチャーされる箇所で、普段は入らない拍手が、ぶわーっと入る。ああ、劇場にいる全員が仲間なんだ! 同志なんだ! やばい、やばいよ、この快感。

この数ヶ月間、ベルばらの支離滅裂さに一緒に立ち向かったよね。ちょっとしたところに楽しみを見つけて、熱演する生徒さんたちを応援してきたよね。そして一時間半の苦行に耐えたご褒美『Exciter!!』を楽しみ尽くしたよね。特に東京公演中はインフルエンザの猛威を心配し、かといって何もできないから、とにかく観て拍手して、お手紙書くとか出待ちするとかお祈りするとか、そんなこんな気をもんだ一ヶ月間だったよね。

そんな一体感を味わっていると、ハッチさん(夏美よう)の挨拶(珍しく噛まなかった・笑)がまた、ねえ。休演者が出たことをお詫びし、「休んだ生徒は泣きながら自分がいかに舞台が好きかを痛感し、休まなかった生徒は困難を乗り切る団結力を学び、この経験が私たちを成長させた」と。「それを支えてくれたお客様に感謝する」と…。わぁぁ、客席だけじゃなく、舞台の上の人たちも(もちろんきっと裏方さんも)、劇場全体が仲間で、同志なんだ! 

そのうえ、読み上げる退団者のメッセージ。いつも思うんだけど、コーラスに入れたとか、○○の場面に出れたとか、そういったちょっとしたことでも、一人一人の生徒さんにとって大事なことなんだなあって、胸が熱くなる。ようちゃん(嶺乃一真)が『ジャワの踊り子』でオサ(春野寿美礼)をかばって死んだ子だとは知らなかった。メドヘットかわいかったね。聖花まいちゃんは全ツのマダム役がよかったけど、自分に近い役だと言っててちょっと驚いた。レネちゃん(紫陽レネ)は、蒼いくちづけのお父さん役が素敵だったので、それをあげてくれてうれしかった。マメ(日向燦)はねー、「陰コーラスなのに調子にのって愛華みれさんのソロパートまで歌ってしまったのは、今でもよくない思い出です」とか、いちいち笑かす。も〜。

退団者の挨拶。これまたいつも思うけど、若いのに、みんなしっかりしてるよね。レネちゃんの、一言一言、言葉を選んで感謝をのべる挨拶に涙し、マメのぶっ飛んだ挨拶に泣き笑いし。退団挨拶って、感謝の言葉に集約されるけど、さっきからの流れだと、その一端に、自分もいるかも?? と一瞬勘違いしてしまいそうになる。いや、もっと近しい人に向けて言っているんだろうけど、たまに客席にいるだけの自分でも、このタカラヅカ教の一員として、感謝されてる? とか思っちゃいそうになる。いいの? いいの? それでいいの?

さらにたたみかけるように、まとびさん(真飛聖)の挨拶が、とぎれとぎれになるぐらい、思いが詰まっていて。あの大きな羽根が光輪となって、客席を包み込み、客席からまた光がかえって、ものすごい一体感の中で光が循環しているように見えてくる。そして、最後に歌う曲は、なんとタカラヅカフォーエバー。うわぁぁぁ、現代の自画自賛ソングの最高峰来ました! 否が応でも、タカラヅカ最高!

まとびさんが退団者に何か一言、とうながした2回目。4人ともが「花組最高!」と叫んだ。で、まとびさんどうするかと思ったら、「客席のみなさんも、花組」「最高ーー!!!」当然です、当然客席が一体となって叫ぶんです。

千秋楽が儀式だとはわかっていた、わかっていたよ。だけど、トップやご贔屓の退団でもないのに、こんなにも宗教的な法悦を味わってしまうとは思わなかった。危険だ、危険すぎる、タカラヅカ。だから、ヅカファンになってしまったんだよなあ。やめられないんだよなあ。何十年これやってる方はすごいなあ。

::::::::本家はコチラです→a posteriori takarazuka:::::::
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

スカステ番組における男女役割を楽しむ [ヅカってなんだ?的記事]

夢スポット。ご贔屓さんが出るから初回を勇んで録画したけど、この番組自体、好きです。ニュース内でスカフェが沿線案内に出かけたりするのも好きです。

何がいいって、あのローカル局っぽいノリ。台本読んでまーす、みたいな気恥ずかしい会話。それを、スタジオじゃなくて外でやるから、またモゾモゾ感が倍増で、面白いんだよね〜。

そのローカル局っぽさのきわみが、男役と娘役の役割分担ね。テレ東の「いい旅・夢気分」って最近はそうでもないけど、昔は必ず男女ペアじゃなかった? しかも、「男」が連れて行く側で、「女」が連れていってもらう側っていう。あれを思い出すんだよ〜。

今回、マジで驚いたのが、ふみかちゃんが連れてく側で、じゅりあが連れていってもらう側だったこと。あー、やっぱりそうなのかー。同期で、しかも、じゅりあがどんなにカッコイイ女役であっても、ここはあくまでも、男役が娘役をエスコート、っていう枠組みなのね〜。

一方で、じゅりあといまっちが担当した初回は、じゅりあが案内役で、いまっちが教えてもらう側だったじゃん。あれは「学年の上下が男女役割より優先する」ってことなのか。ふむふむ。(スカフェ第一期で、シナちゃんとテルが一学年違いで、娘役のほうが上だったけど、どっか出かけたりしたかな?)

でも、2回目の研ルイスと花陽みらは、男役が学年上ということで、どっちにしても研ちゃんが連れて行く側。

タカラヅカってつくづく、現実世界を引き写しているよねぇ。

まあ、今回は、ヅカファンが観劇する前にランチを食べるなら、っていう設定だから、ヅカファン=大半が女性、ということでこういう役割なのかもしれないけども。

でも、やっぱり、そもそも男と女でワンセット、というその考え方自体が、そもそもすごいよなあ。スカイフェアリーズも、スカイレポーターズも、そもそもトップコンビっていう考え方が、もう、なんていうか、プリミティブな「人間こうあるべき」っていうきわめて保守的なコードを反映しているわけで。

しかもすごいのが、実際には、じゅりあに「ふみか、もっとケーキに反応して!」とか言われながら撮影が行われたという事実…!! じゅ、じゅりあ…!!

娘役のほうが男役より強くないとやってられない、とはタカラヅカ界でよく言われることではありますが。男性のほうが繊細で脆いというのは、現実世界でも一緒でしょう。そんなところまで、現実世界のひきうつしだとは、ほんと面白いです。タカラヅカ。

現実世界をひきうつしたコードを、とことん演じ尽くすジェンヌさんたち。それを面白がって見るファン。タカラヅカの楽しみ方の一つであります。

::::::::本家はコチラです→a posteriori takarazuka:::::::
nice!(0)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇
前の10件 | 次の10件 ヅカってなんだ?的記事 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。