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信仰を失いかけた信者の毎日(3) [音楽学校裁判]

タカラヅカは大衆演劇だから、これまでの大衆向けの物語からいろんな類型を受け継いでいる。その中の一つが「正義の味方」だ。不正を暴き、権力に対抗し、理想の世界を目指している。遠山の金さん、怪傑ゾロ…、それらの末裔が、『バレンシアの熱い花』の黒い天使であり、オスカルでもであり。ハリー作品ですかしてる男たちだって、最終的には不正を暴いている。

私は無力だから、不正を正せない。だからこそ夢を見たい。特に、『スカーレットピンパーネル』はあり得ないほど話が上手く行く、冒険活劇だ。「そう簡単に行きますかいな」と突っ込みながらも、最後は、すかっとする。私のかわりに、彼らが不正をただしてくれる。その夢が見られる。勧善懲悪のどこが悪い、そういう夢が見たいときだってあるんだよ。

なのに。

劇場のこの空間そのものに不正がある。

そう思うと集中できない。

「どうしてだろう、この世の中に、不正と欺瞞、あふれてる」あふれてますねえ、ええ。「人が自由に喜び分ち、愛し合える至福の日は、来るだろうか」来ないよーーー。「とつくにに嵐吹き荒れても、僕は見逃しはしない」見逃すしかないよね、立場上ね。。。

自分に厳しいきりやさん。「お立場がありますでしょう」@紫子。その心中やいかに。ただでさえトップは大変なのにさあ。「不正あるやん」「見逃してるやん」という突っ込みを押し流すだけの集中力まで、要求されちゃうんだよ。そんなの、とんだとばっちりだよ。もちろん、きりやんの熱唱はそんな邪念を吹き飛ばし、途中からは気にならなくなったけども。

普通の芸能界なら、あの人とあの人は険悪らしいねー、とか、あの事務所サイテー、とか、舞台見ている最中には、そんなには気にならない。舞台は舞台で完結しているから。関係性や事務所にそこまでの思い入れがないから。

でも、タカラヅカは普通の芸能界とは違う。タカラヅカという世界そのものを楽しむもの。舞台だけでは完結しない。舞台の向こうには常に、タカラヅカという世界全体が見えている。生徒たちの関係性、裏話、それらもすべて、ファンが消費し、お金を払うもの。退団公演で、死ぬ役をやったりする、それでファンが泣いたりする、初心者だったころの私はそのリンクぶりに驚いたものです。

主人公(=トップスター)はどんな作品でも必ず魅力的に描かれるのだから、同じように愛称の部分のトップスターさんも組子に愛される魅力的な人物だと、当然、みなす。それがタカラヅカ。主人公が不正を暴く役であれば、同じようにタカラヅカの世界でも不正が正されていてほしいと思う。そう上手くはいかなくても、せめて、その価値観を共有しているはずだと、当然、思う。

それなのに、舞台の向こうに見える世界には、不正を助長している<組織>があるのだ。こんな状況で、一体どうして、正義の味方のお話に感動できようか。愛称の部分のファンタジーが壊れ、商品価値がなくなったら、舞台にも必ず影響する。それがヅカファンの心理なのだ(少なくとも私は)。

きっと<組織>の人からしたら、愛称の部分まで愛されている=ファンと劇団が近い=特殊な世界=なんでも許される=治外法権、と思ってるんだろうなー。

でも、こっちの感覚は違うぜ。愛称の部分も愛好している=その部分のファンタジーも大切=ファンタジーは壊れやすい=細心の注意を払えよ、なんだよ。

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信仰を失いかけた信者の毎日(2) [音楽学校裁判]

(またまたうざいシリーズ)

『虞美人』の千秋楽を観る。

馬と鹿の場面で「正直者がバカをみる〜♪」って歌ってるけど、正直者=項羽なんだな、と今さら気づく。

「誰も、何も、信じられない〜♪」項羽にとって、虞美人だけが、信じられる人だった。そのことが、項羽の正直さを支えていた。

それって、タカラヅカの生徒さんを愛することが、自身を清らかにするような、そういうことなんじゃないの。項羽がタカラヅカ的ヒーローなのは、清く正しく美しいから。殺伐とした世の中で、タカラヅカは夢の世界だったんじゃないの。一人一人が大切にされる、愛と夢が存在する世界だったんじゃないの。少なくとも建前は。

なのに、タカラヅカの<組織>は、建前も本音も、清くもなければ、正しくもないし、当然、美しくもないのだ…。

劉邦や張良が策略を繰り広げるのは、仕方ない。生存競争だから。思想的にはすごいとこいってた紀元前の中国だけど、基本的な、食料とか生きていくための物資はまだまだ奪い合わないとやっていけない。

でも今は、21世紀なのにね。なんで「清く正しく美しく」を売りにしてる<組織>で、醜い策略が行われ、それをおおっぴらにしても平気なんだろう。

そんなこと考えていると、つらくなる。

幕間にトイレに並んでいると、背の高い人が「すみません」と横切っていく。小林公一理事長じゃん! つかまえてどやしつけようか、と半分本気で思うが、残り半分の勇気がなく。

トイレの帰りに、小林一三の銅像に手を合わせる。今まで、漠然と「タカラヅカをお守りください」と思っていたけど、これからは本気だ。本気でお祈りする。一三も変なとこある人だけど、宝塚少女歌劇への愛は誰よりも強いし、客の意見をちゃんと聞いた人。子孫と、後継者たちの夢枕に立って、叱ってやってください。お願いします。

最後、あやねが立派な挨拶をしていた。「虞美人が項羽を愛するように、私はタカラヅカを愛してきました。はかない夢かもしれない、でもタカラヅカこそが私の原点。これからも多くのお客様に愛されるタカラヅカであってほしい」(要旨)…鼻水決壊。うわーーーーん。

まとびさんは涙で声がつまっていた。「これからも花組を応援してほしい」と何度も言っていた。どうしよう、まとびさんに頼まれちゃったよ。断れないよ。どうすればいい? 

私は主犯を許すことができないし、それを自然淘汰させようとはせず、あえて抜擢して作る舞台を、決して楽しむことができないだろう。

でも、それが一番つらいのは、生徒さんたちのほうのはずだ。応援しなくちゃいけないと思う。

でも、どうすればいいかわからない。少しでも建設的なことを考えたいけど、堂々巡りだ。

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信仰を失いかけた信者の毎日 [音楽学校裁判]

(うざいとは思いますが、記録として書いておきます。読みたくない人はとばしてください)

96期生の組配属が発表になり、今の贔屓組である花と雪にばかり主犯格が配属されたことにショックを受ける。

悪いのは音楽学校や歌劇団という<組織>で、傍観してしまった生徒などにまで罪を追究しようとまでは思わないが、そうは言っても、やはり主犯は許しがたい。

今までもいじめっ子はいただろうけれど、今回は「いじめしてました、別に悪くないです」と公の場(裁判)で開き直ったところが、全然違う。そして、<組織>がまんまと乗っかり、無実の生徒を退学させたという、人権侵害の象徴の人物でもあるわけだ。

…それって、タカラヅカを愛してないでしょう。むしろ冒涜してるでしょう。

タカラヅカを愛してない、冒涜してる人が、タカラヅカの舞台に立つことが、ありえないと思う。潔癖すぎると言われようが、生理的に許せない。

ましてや、タカラヅカが大好きで、ジェンヌらしくあろうと心血を注いでいる(そこまでしなくても、と思うほど努力してると傍目で見ていて思う)my贔屓の横に、そんな人物が立つかもしれない。オペラでのぞいているとき、目に入っちゃう。

ありえなーい。

と、ショックを受けつつも、お茶会があったりする。一体どんな気持ちで行けばいいの。。。これからはもう、チケット代をすべて差し入れ代にしてしまおうか、いやいや、舞台観ないって本末転倒でしょう。でも、今までのようには舞台を観られないしなあ。

そうは言っても、お茶会は楽しくて。私、あの人がいる限り、まだタカラヅカを愛することができるわ、などとほわほわした気分で。お友達とおしゃべりして、楽しく帰宅する。

なのに、追い打ちをかけるように、雪で主犯格が新人公演ヒロインだと発表される。

喧嘩売ってんのか。

売ってるんでしょうね…。<組織>は、自分たちの罪に気づいているけど後にひけないので、仕方なく96期生を入団させた、と思いたかったけど、それすらも打ち砕かれたわけだ。本当に開き直ってるんだ。

6/18の敗訴後、控訴しちゃうかもね。それがどれだけ愚かなことか。

と、ショックを受けつつも、観劇予定が入っているので、うつうつとした気分で劇場に行く。

そうは言っても、みんなの熱演はすごい。楽しい。やっぱ項羽様の最期は泣ける〜。

でも、ふと、下級生を楽しくチェックできるのも、今だけかも、と気づく(次からはタカラヅカを冒涜しても平気な人が目に入り込んじゃうから)。

と、ショックを受けつつも、やっぱり出待ちには参加してしまう。劇場にいる人たち、ガードに入っている人たちを見て、不思議に思う。みんな、どうして平然としていられるんだろう。裁判傍聴記録を読んでいないのだろうか? 見たくないものを見ないでいられる、その強さが私には無い。

そうは言っても、出でふにゃふにゃしたご贔屓さんを見られるのは、楽しい。幸せだ。

帰宅すると、いままであまり興味を持っていなかった緑豆が「ヒロインやる子ってどんな子なの??」と聞いてくる。さすがに、96期生が抜擢されるとなると、気が気じゃないよなあ。劇団のこの策は、見て見ぬふりをしてきたファンに興味を持たせてしまって、完全に失策でしょう。真実が広まるのは喜ばしいことだが、内容が内容だけに、緑豆に説明していて空しくなる。

阪急トラベルサポートでも訴訟があって、裁判官が全うな判断を下したのに、控訴するという。阪急ってブラック企業だったんだ。そんな企業に金払ってたんだ。

ここ数日で、上がったり下がったりだよ。。。

もともと、タカラヅカって変、伝統を捏造してる、なのに惹かれる自分て何? という素朴な疑問から入ったんだっけ。この変な事件も(というか、タカラヅカそのもの?)最期まで、見届けたい。見届けるだけの勇気を、どうかお与えください、ユーリ先輩。

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信仰を失いかけた信者のすること [音楽学校裁判]

「宝塚心のふるさと教」という信仰を失いつつあるのかもしれない、今日このごろ。最近、ふと気分がふさがるのだが、これは「信じていた宗教組織が腐敗していたと知ったショック」なんだと思う。

え、そこまで宗教チックなのか、ヅカファンて。と引かれると思うけど、自分でも相当引く。自分に(笑)。

ヅカファンの中にはいろいろあって、サークル活動みたいに会活動が楽しい人とか、パトロンするのが楽しいマダムとか、いろいろだと思うのですが、自分は少女の狂気で(←精神年齢が幼い、の意味です)、何かに自分を捧げたいと思っているのかもしれないです。何か良きものに自分が入れ込んでいると思い込み、それに陶酔したいのです。

しかし、その宗教の組織がとことんアホで、教義に反していた、と。それをまた、精神年齢が幼いから、いちいちショック受けてる、と。

ああ、ユーリ先輩のように、「革命が俺を裏切ったとしても、俺は革命を裏切らない」と言えるようになりたい。組織が腐敗していても、基本的な精神は不滅なわけで、たとえ誰もそれを実践していないとしても、せめて近づけるようにしたい。

それで、何をしたくなるかというと、昔の『歌劇』を読みたくなる。前から歴史探訪は好きだったけど、ますます昔のことを知りたい。これって、まんま、教会が腐敗して、基本に帰ろうとして聖書を読み返すのと、一緒じゃん! わしはマルティン・ルターか!

ほんと、宗教なんだよね、タカラヅカ。起これ、宗教改革。

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「清く正しく美しく」以前に善悪の区別が必要だったとは [音楽学校裁判]

新しい『宝塚おとめ』に96期生が載っている。別に、すごい悪どい顔をしているわけじゃない。いままでとぱっと見かわらない(私の目が節穴なのかもしれないけど)。だからこそ、今までも同じようなことがあったのかもしれない、と思ってしまう。

よく「いじめは今までもあったってわかってるのに、どうしてそんなに怒ってるの?」って言われる。まあねー。そうなんだよ。そうなんだけどさー。

でも、でもでもでも。少なくとも、「いじめを「悪いこと」だと認識している」と思っていたんですよ。

タカラヅカに本音と建前の二つがあることはわかっている。本音の部分が生じてしまうのは仕方がない。でも、建前に近づく努力をしている、と思っていたんです。「みんなで魔法をかけあっている」世界だと思っていたんです。(少なくとも、一部の良心ある人はそうしていると思います、今でも)

別に、悪いことを隠せと言っているわけじゃないです。悪いことしちゃうのは仕方ないとしても、悪いことを良くしていきたいという建前を大事にしてほしいってことです。

だから、96期生の一部や音楽学校の職員が裁判で証言した内容が、(そうは明言してないけど論理的には)明らかに「いじめしてました!」「学校もいじめを助長してました!」とわかるような内容だったことに驚いた。誰が聞いてもその行為はいじめだし、それを反省もしていない。

つまり、宝塚の<組織>は、悪いことを良くしようなんて、これっぽっちも思っていないってことですよね? それをしゃべれば「いじめをしていました」と明らかにしてしまうってことも理解できないぐらい、頭が悪いってことなんですか? っていうかそもそも、善悪の区別もついてないってこと???

言いかえれば「いじめやりました、でも別に悪いことじゃないです、これがタカラヅカの常識です」NOぉぉぉぉぉぉぉ!

魔法がとけちゃうよ…。私ってじつは潔癖だったのね…。

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タカラヅカという<組織>が俺を裏切ったとしても@音楽学校裁判 [音楽学校裁判]

傍聴記録を読むかぎり、音楽学校の負けは100%確実だと思われる。

仮処分に二度も従わず、HPにも「正当性を主張する」と書いていたので、よっぽど正当な理由があるのか〜? と思わなくもなかったが、蓋をあけてみたら、正当な理由は全然無かった。失笑ものだった。

なんでオオヤケの裁判の場に持っていったんだろう。仮処分を受け入れておけばまだマシだったのに。96期生の顔も名前もオオヤケになり、マスコミにも取り上げられ、イメージダウンは甚だしい。いいことは一つもない。そんな判断もできない組織なのかと思うと呆れる。それなのに、何事もなかったように、初舞台が行われるとは、しらじらしいにもほどがある。

一つだけいいことがあるとすれば、この際に膿を出して体制を改善すること、かなあ。これまでも散々言われてきた、いじめ。大昔からあるけど(本読んでるとよく出てくる)、ここまでおおごとになったのは、やはり程度が増しているからと推察されるわけで。判決が出た段階で、人事を入れ替え、謝罪の記者会見を開いて。…んな頭、ないか。

イヤなら観なけりゃいいじゃないか、と言われそうだが、それはちと違う。なんなのかなー、これは。うーん、怒りなんだよね。

タカラヅカという<文化>を、宝塚歌劇団や音楽学校や阪急という<組織>が冒涜していることに怒りを感じる。もちろん、後者がなければ前者はないんだけど、でも、別もの。私は別に、組織に心酔しているわけじゃない。タカラヅカという文化が気になる、大事にしたいだけなんだ。(今まで、一作トップとかでひどい目にあってきたファンの人ならもうじゅうじゅうわかってることなんだろうけど、すみません、いまさら)

無形文化財にしてもいいぐらいの男役芸、娘役芸、信じられないぐらいの集中力で見せてくれるパフォーマンス、過酷な状況で頑張っている生徒(こうなってみると、頑張っている生徒は全員じゃないのかも、という懸念がリアルになってしまったが)、ほかでは大きな団体がもうなくなってしまったレビューの文化、大正時代から続く女学生文化、アマチュアを愛でる文化、清く正しく美しくというアホみたいなでもじつは大切な建前…。

『ロシアン・ブルー』のユーリ先輩の決め台詞「革命が俺を裏切ったとしても、俺は革命を裏切らない」は、厳密に言えば、「革命<政府>が俺を裏切ったとしても、俺は革命の<精神>を裏切らない」だよね? だから、「タカラヅカという<組織>が俺を裏切ったとしても、俺はタカラヅカという<文化>を裏切らない」なんだ。おお。ユーリ先輩のように言える人は<組織>の上層部にはいないのか!? (いたら、こんなことになってないか…)

<組織>に忠誠を誓えない自分は、根っからのヅカファンではないんだろうなと思う。。。初舞台のロケット披露風景をスカステで見て、「あー、このノリ、別に好きじゃないんだった。一生懸命(のふり)すぎてコワい。」と思い出した。もともとアンチヅカだったんだ、自分。タカラヅカの神髄は「少女性」だと思うのだが、それが良く転べば「一途」、悪く転べば「狂信」。少女たちにしかできないタカラヅカ。だからこそ、「狂信」に転ばせないで<文化>の高みに持って行くには、相当の注意が必要。その注意を<組織>が怠ったら、途端に汚いものになる。

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