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96期のWさんについて [音楽学校裁判]

(修正しました)

96期でブログをさらされた件で自主退学を迫られたWさんが、98期に復学して文化祭に出演したこと(入団はしないという噂)について、少数意見だとは思いますが、あえて書いてみます。


私は裁判記録を読むうちに、Wさんのことをむしろ気の毒だと思うようになりました。なぜなら、

●Wさんは、96期生の中で数少ない、いじめに関与していない生徒である
(原告さんがそう明言しています)


●Wさんは、原告さんに謝罪している
(ブログに原告さんをうとましく思う記述があったこと、騒動で迷惑をかけたことについて)


●ブログをやっていた生徒はほかにもたくさんいた
(WさんのブログURLを掲示板に載せた人がツイッターでそう書いていました。なぜWさんのブログを選んで掲示板に晒したかというと、同期内でいじめがあることがわかる記述があったからという点だけだそうです)


●お行儀の悪さは、他の生徒も同じ
(Wさんがブログに載せた写真は他の生徒が撮ったものが多いです。また、お行儀の悪い格好で写っているほかの生徒がたくさんいます。裁判記録から察するに、あのようなお行儀の悪さは多くの生徒が共有していた価値観であると推察できます)


●裁判記録につづられたWさんの陳述書には、痛切な反省の弁がある



「死ね」「存在を消して」と恒常的に言うような生徒が半数近くいて、誰もがお行儀悪かった。そんな中で、暴言を吐かず、すでに反省し謝罪もしているWさんは、相対的に見れば、むしろ「白」に近いんじゃないかと思えてきました。

むしろ、退学させられたのは、ほぼトバッチリで、気の毒である、とも思います。


もちろん、お行儀悪いのはよろしくないし、それが表に出たのは大事件ですが、もう全員がそうだったのなら、それはまずは学校の責任でしょう。ネットリテラシー教育をしてこなかったこと、お行儀よくするよう指導してこなかったこと。


なぜ復学したのかアナウンスが何もないし、学校側の責任者やいじめ首謀者の処分がなくて全然整合性がないことなど、よくわからないことはたくさんあります。また、いくら文字情報で、誰それが「死ね」と言ってたと聞いても、写真のほうがインパクトあります。

とはいえ、Wさんの復学だけを見ると私は良いことだと思ったのでした。


「裁判沙汰になるいじめがあった」と、「お行儀の悪い写真が流出した」の間には、いろいろなことがあります。私の知らないこともいろいろあると思いますが、とりあえず、裁判記録からわかることを書いてみました。


(ちなみに、文化祭でのWさんは歌も芝居もダンスも上手く、スタイルもいいし、華もありました。成績はかなり上位なのではないかと思います。)

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ストックホルム症候群 [音楽学校裁判]

いつものように雪組のNOW ON STAGEを見る。そしたら、いわくつきの人が右端にヒロインとして座ってた。「悪名広めないでね」が頭の中にこだまする。なのに、ほかの生徒さんたちは見慣れた愛すべき顔ぶれで、今までどおり楽しく番組を見たいと思う。

頭がぐらぐらする。足元がぐらぐらする。この異次元感。

見ないで、消しちゃうか。

いや、左のほうは見たいしな。

そうするとなぜか私の脳の神経がわさわさと動きを始める。いわくつきの人も、けっこう色が白いいい? 若いからきれいなのかもおお? 歌上手いんでしょうう? そうなんでしょう?? お願い、そうだと言って!

驚くべきことに、私の脳は、なんとかしていわくつきの人の美点を探そうという方向に神経細胞を作り始めたのだ。

恐るべし、人間の生存本能。

だって、そうでなきゃこの番組を見られないんだもの。この人を認めてしまえば、かわいいと思ってしまえば、上手いと思ってしまえば、過去のことなんかなかったことにしてしまえば、この番組を今までどおり楽しめるし、これからも観劇し続けられる。

まるで、ストックホルム症候群だ。誘拐された被害者が、生き延びるために、自分から加害者に恋愛感情を抱くという。

待て待て待て。自分に嘘ついてどうするんだ。自分の目と心を信じないなんて、絶対にしてはいけないことだ。誘拐されたわけじゃないんだから、全然耐えられるはずだ。

私の目では、ヒロインとして規格外だし、歌も上手いと思わなかった(「はじめて愛した」)。私の心は、本人が極悪でなかったとしても、96期の首席を研1で抜擢する劇団には絶対に納得できない。

ものごとは0か1じゃない。いわくつきの人を全て容認する、もしくは、この番組を全て否定する、0か1かを選ぶのは比較的楽だ。しかも前者は、たとえ嘘の容認であっても、怒りや悲しみを発しないから、一時的には周囲から歓迎されるだろう。でも、ものごとは0か1じゃない。

96期生全員が黒か、全員が白か。答えは、どちらでもない。真っ黒なやつもいれば、薄いグレーもいる。それを、「みんな悪くない、かわいそう」と言うのも間違っているし、全員を口汚くののしるのも違うと思う。ものごとは0か1じゃない。

0でも1でもないところで踏みとどまって、ただただ、この状況をじーーーっと見つめていたいと思う。

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「家庭的」であることの罪 [音楽学校裁判]

私は家族制度というものに喧嘩売ってるような人間ですが、そんな私でも「家族」と思う人たちがいました。それが、タカラヅカです。一三がお父さんと呼ばれていたように、家庭的であることがタカラヅカの特色の一つで、その心地いい一体感を私は愛していました。

なのに、私はその家族の一員ではなかった。裁判の過程で、ファンは家族の一員でもなんでもないとつきつけられた。それがショックだった。

でも、裁判記録を読んでいくうちに、そもそも、その「家族」というありかたが問題なのかもしれない、私が愛してきた「家庭的」な雰囲気こそが、問題の根っこにあるのかもしれない。と思うようになってきたのだ。悲しいことに。

なぜなら、音楽学校側の言うことにつきまとう不思議な感覚は、ひょっとしたら、ドメスティックバイオレンス法ができる前の、児童虐待という考え方ができる前の、「家庭に警察は入ってこないでください」的な考え方に近いのではないかと感じたから。

ドメスティックバイオレンスという概念ができる前、児童虐待という考え方ができる前、「女房は俺の持ち物なんだから殴ってどこが悪い」と言うようなオヤジがたくさんいたやに聞いております。「子どもは私の持ち物なんだから殴ってどこが悪い」と言うような親がたくさんいたやに聞いております。

いやいや、持ち物じゃないから。一人一人、人権があるから。

でも。

「音楽学校は、宝塚歌劇団ひいては申立外阪急電鉄とは別の組織ではあるが、営利企業である、申立外阪急電鉄の特殊な従業員養成期間ということになる。したがって、音楽学校は、学校法人として社会的私的かつ営利的なものというほかない。また、抗告人と被抗告人とのあいだの在学関係の法的性質は、私企業の特殊な従業員養成期間としての音楽学校の性格にかんがみれば、単純な私法上の取引契約と同視できるような個人間の在学契約といえる。」(2009.4.15 保全抗告申立書)

つまり「私的な関係だから首にしてもいいんです!」ってこと。

えーっと、雇い主と雇われ人であっても、無実の罪で退職させることはおかしいと思うのですがー。

「学校にとって大切なのは、(原告)さんの行為、行状が生徒として好ましくない行状をしたかどうかであって、被害者のコンビニが被害届けを出すかどうかという問題ではないと考えています」(2010.3.10 今西副校長陳述書)

いや、だからその行状は万引きしたかどうかという事実が肝心なのではないのかね? コンビニが事実は無いって言ってるのに? ひょっとして、少しでも疑いをかけられたら、それが悪い行状ってこと?

『マグダレンの祈り』という映画を思いだす。厳格なカトリックの精神に支配されたアイルランドで、実在した修道院の話。いとこに乱暴された主人公、なぜかいとこは一切罪に問われず、主人公は穢れた女ということで修道院に入れられ、刑務所よりひどい非人間的な扱いを受ける。家族、親戚は穢れた存在がいなくなって、安泰だ。自分たちはカトリックに背いていないという体裁をつくろえるから。でもその裏には、無実の人間が苦しんでいる。これらを、神の愛の名のもとに教会が率先して行っているというのが、また怖い。

私はつい、「一三の教えが受け継がれていない」などと言ってしまうけど、それもよくないのかもしれない、と思う。一三を神格化すればするほど、その子孫である小林家の家父長制を強化してしまう。一三の教えが全く受け継がれていないとしても。神をたたえればたたえるほど、教会や修道院の力を強化してしまう。神の本当の愛が全く実践されていないとしても。「清く正しく美しく」「家庭的な雰囲気」…素晴らしい教えなのに、間違った使われ方をすると、糾弾しにくい障壁にもなり、悪しきことの温床にもなってしまう。

昔はもっともっと家庭的だったはずだけど、実際のところどうだったのだろう。同じように排除された人がたくさんいたんだろうか。少しは良識のある人が上層部にいたんだろうか。わからない。知りたくない気もする。でも、少なくとも、それを表沙汰にしたらブランドが傷つくという頭ぐらいはあっただろうな。。。

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バカにかまうな。 [音楽学校裁判]

ちょっと前、バカにかまうな、が自分の標語でした。

仕事で、とある提携先が、違法なことをしていたので、ちょっと待て、それやるならこの手続きふんでください、と頼んでるのに、「おれ、間違ってない」と言い張る。それに対していちいち「○○法の解釈では、これはこうでこうなんです」と相手をしていると、ほんと疲れる。時間の無駄。もう、とりあえず書類出してくれればなんでもいい、と思うしかない。

要するに、期待をしてしまうんです。バカな人に。賢くなってほしい、と。

(人をバカ呼ばわりして、タカビーですが、前振りですのでご容赦を)

ネットで、「でもやっぱり原告は変な子だったんでしょ?」と、すごーく細かなことを論拠に、とんちんかんなことを言う人がいた。そういう人にいちいち、「全体をみてから考えろ」「それはこうこうこういう背景があるから、こうなんだ」と誰かが説明しても、全然理解しない。いちいちイライラしないほうがいいということに、だいぶ経ってから気づいた。

要するに、期待してしまうんです。バカな人に。同じレベルで話したいな、と。

(人をバカ呼ばわりして、タカビーですが、前振りですのでご容赦を)

裁判の経過をみていると、本当に阪急はバカなんだと思う。音楽学校? 歌劇団? 阪急? わかんないけど、とにかく組織が。

仮処分の段階で、地裁に「音楽学校の言ってることおかしいよ」と言われているのに、「俺、間違ってない」と言い張る。高裁にも「いや、全然おかしいし」と言われても粘る。せっかく高裁が和解をすすめているのに、つっぱねる。

バカだねー。その段階で和解して謝罪しておけば、こんなことにはならなかったのに。

それを何回も繰り返して、そのうえ本訴に自ら持ち込む(音楽学校のほうから、はやく訴えろって手続きしてる)。防犯ビデオの証拠ありますから! などと言っておきながら、ビデオには万引き現場は映っておらず。

生徒を証人に出せ、なんて原告側は言ってないのに、13人も自ら出して、生徒の実名を世間に広めてる。なのに、生徒が危険な目にあうから法廷で遮断措置をしてくれなどという。それを裁判所にあっさり却下されてる。

これだけ証人出せば説得力あるだろう、と思ってたのかもしれないが、事実認定は問題ともされず。つまり、音楽学校の言い分はまったく通らず。なのに、和解にいろいろ条件をつけようと粘る。

怒りを通り越して、呆れる。そりゃー、あんな変な人事、演目やってるんだから、マーケティングも何も考えてないってことはわかってたけど。法的なブレインもいないとは。

音楽学校側の書類の、読みにくいこと読みにくいこと。要旨をメモしようとしても、要旨が何かわからないから、メモが取れない。原告代理人の論理立っててわかりやすく、すかっとする文章と、あまりにも差がありすぎる。

今までは右肩あがりの経済でなんとかなっていたかもしれないけど、これからは無理でしょう。

私だって愚かものだけど、「間違ってるよ」って言われたら、「そうかな」って振り返ることはできるよ。少なくとも。

あーあ、スターリン批判(スターリンが死んだ途端「やっぱあれ間違いでしたー」)みたいになったりしないかなあああ。

要するに、期待してしまうんです。バカな組織に。まともになってほしいと。だからつらい。「バカにかまうな」と言い聞かせる。

中には、バカになりたい人もいるみたいだけど。緑豆いわく「ねーねー、メモカは悪い子じゃないよね?」「だしよりはねw」「いい子だよね?」「はあ? あのメモは悪意に満ちてますが?」「お願いだから、いい子だって言って。歌うまいって言って。かわいいって言って」「何を無茶なことを…」「だってそうでなきゃ、ロミジュリ観れないよ」…観客もバカにならないと、ついていけない劇団って、、、(T T)

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お前が耐えた苦しみなら、私も耐えてみせよう [音楽学校裁判]

(悲観的すぎたので書き直しました、気弱ですみません…)

タカラヅカにつぶれてほしいのかどうか聞かれて、しばし考えてみた。

永遠に続いてほしいと思う。 ←【願望】

でも、今のやり方を続けると、確実につぶれる。 ←【予測】

少なくとも、私が愛した宝塚ではなくなる。今すでにそうなりつつある。

「離婚しようとしてるけど、まだまだ未練があるってところかなー」(にやにや)と言われました。

【願望】と【予測】が一致してればいいんだけどなあ。「続いてほしいし、続くと思う」または「つぶれると思うし、つぶれてかまわない」。自分は一致していないところがつらい。

劇場にいると、孤独を感じる。なぜみんな、主犯がパレードで降りてきても普通に拍手してるんだろう? してないのはあたしだけ? あたし一人がおかしいのか? みんなあいつを認めてるのか? ただのいじめっ子ならいっぱいいただろうが、これは万引き捏造、劇団がお墨付きを与えて野放しだぞ?

少なくとも、東京の劇場では裁判の話はしづらい。「興ざめなこと言うな」とか言われそうだし、私も、トップファンで退団に向けてスパートする人などに、決して水をさしたくない。これがムラだったら、それはそれとして、お稽古待ちしながら「ほらほら、あいつやでー」「ほんまむかつくわ、音校」とか言い合えるのかな。

孤独だ…。これは一体、何の試練なんだろうか。

とぶつぶつ言っていたら、緑豆に「生徒さんや内部の人でも孤独に耐えてる人がいるだろうね」と言われた。とある方にも「心ある生徒さんはたくさんいるはずだよ」と言われた。生徒さんや内部の人に比べたら、自分は楽な立場なんだから、耐えられないわけがない。そういう生徒さんをちゃんと応援しなくちゃ。

そうか、「ひとーりでー抱えーきれない、切ないー思いがあったーなーらー、誰かをー愛してごーらん、奇跡がー起こる、きっと、かならずー」@Exciter!! ってそういう意味なのね? 大介よ…

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神戸地裁で裁判記録を読んできました [音楽学校裁判]

これまでネットで情報収集はしてきたけど、やはり実際に裁判の書類を読むと、これまで曖昧だったことがはっきりするし、知らなかったこともまだまだありました。(8時間ぶっ通しで流し読みしたので、もっと時間をかけてじっくり読めば、もっといろいろわかったと思う)

知れば知るほど、音楽学校のアホさに呆れる。。。まさに無法地帯。ここは本当に21世紀の日本なのか?? おそらく今も無法地帯なんだと思われます。だって人事変わってないし。改善案を提示できるんだったらしてるだろうから。

知れば知るほど、原告のけなげさに、涙する。

知れば知るほど、96期生ひとりひとりにいろんなことがあったことがわかる。

知れば知るほど、主犯の、人をおとしいれる技術に舌をまく。おそろしすぎる。

結論はもちろん変わらない。でも、細部を知ると知らないとでは、重みがつくづく違います。

なんでこの子はここで裏切ってしまったんだろう、なんでこんなひどいことを言ってしまうんだろう、なんで誰かがとめなかったんだろう、、、、

どれもこれも重い。重いからこそ、何も知らないよりはまだ希望がある。と思う。半端な情報で「96期ってどうなの」と思っているのと、知識を得ているのとでは、心理は全然違うし、知ることで何か変わると思いたい。(私にとって「知る」=善だからなんだけど。職業柄、当然。)

ネットに情報が流れてしまうご時世、本訴に持ち込んだからには、音楽学校は最後まですべてを明らかにすべきだった。でも彼らはそうしなかった。夢のベールをみずから半端に剥いで、半端に逃げた。

だから、ファンは自力で真実を知ろうとしなくちゃいけない。夢のベールが<組織>によって剥がされたその痛々しい部分を、私たちは努力して見つめる必要があると思う。…単なる知識欲? 自己満足? かも。でも私にはそれしかできないよ。知りたくないという方の気持ちもわかるけど、私は知ることでしか楽になれない。

司法という制度があってよかった、とつくづく思う。これおかしい、と声をあげて、それを正しく判断する仕組みがあって、その過程がちゃんと公開されてて、誰でも見られる。すごい制度。もちろん今も冤罪事件とかあるけど、それでも人類は何千年かけて、少しづつ進歩しているんだと思う。

裁判記録は誰でも簡単に見られます。もちろん、事前に電話して、その日見られるか、必要なもの(収入印紙とか)など、聞いておく必要はありますが。ただ、時系列順にもなってないし、見出しもついてないので、あらすじと登場人物は頭に入ってないと厳しいかも。

裁判記録の閲覧は無理でも、ネットにアップされている裁判傍聴記録などはぜひ読んでほしいです。(効率よく裁判記録を読めたのは、そういう方たちの努力のおかげだとつくづく感謝。)
http://www20.atwiki.jp/bullying/
http://kobe-101.blogspot.com/
http://sakurasaku-zuka.blogspot.com/
http://fair-trial.blogspot.com/


裁判は終わっても、根本的には何も終わっていません。


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信仰を失いかけた信者の毎日(4) [音楽学校裁判]

裁判終結後、初の東京宝塚劇場。ちょっと居心地が悪い。まるで、ディープなヅカファンになる前の、年に1〜2回観ていたころのような感じ。興味深いことが行われているんだけど、自分とは関係ない、と感じてしまう。でも、当時と違うのは、私はこの舞台をけっこう知っているということ。花影アリスが退団することも知っているし、研2の生徒だって見分けられる。でももう、私の居場所ではないのかも。さみしー。

こんな気分の私の頭の中に響く台詞は、

「私のイザベラも死んだ…!」 byフェルナンド@バレンシアの熱い花

いや、イザベラ生きてますが(笑)と客席全員が突っ込んだあの台詞。復讐が終わり、黒い天使という仮の姿をやめるとき、身分違いの恋もあきらめなければいけない。だから、抽象的な意味で「死んだ」って言ってるんだよね。生きてるけど、自分のイザベラはもういないの。そこで上演されてるけど、私のタカラヅカはもうないの。かなしすぎる。

でも、めそめそして負のオーラをまき散らすのもよくないから、なんとか元気にならないとね。

こんな気分の私の頭の中に響く歌は、(←悲劇のヒロインごっこ)

「顎で受け止めて、ニヤリとしてからー、スマーイル」byサリー@Me and My Girl

大好きなビルと一緒にいたいけど、ヘアフォード家に自分の居場所はない。邪魔ものなんだって。世界が違い過ぎる。タカラヅカを観たいけど、価値観が違い過ぎる、世界が違い過ぎる、最初っからわかってたのに。

ただ、サリーは上流階級の常識を身につけてハッピーエンドになるけど、私はタカラヅカの常識を身につけようなんて、じつはこれっぽっちも思っちゃいない。タカラヅカの<組織>が、企業として当然の一般常識を身につけるべきだと思うから。

こんな気分の私の頭の中に響く台詞は、(←まだ続く、悲劇のヒロインごっこ)

「私は誰も裏切らなかった、人の裏もかかなかった」by項羽@虞美人

いや、まあ、ズルしたり、なまけものだったり、自分、相当ダメ人間ですが、でも、少なくともネット上で96期生を口汚くののしったりはしていない。悪いことしたら謝る。なのに。。。「誰も〜、何も〜、しんじーられないー」ですよ。銀橋の上手で「生き残った者こそ、哀れ、か…」とつぶやくのは、のちのち反省した96期生ってところか?

だから、私には、もうできることなぞないのだが。

「祈ることよ」byアイーダ@王家に捧ぐ歌

「ひとつだけできることがあるわ、祈ることよ。」そうだね、それぐらいしかないね、できることは。愛し合うものが死ななくてもいいように。無実の生徒が退学しなくてもいいように。清く正しく美しい世界がいつか実現するように。

そして、あの<組織>に属している、心ある人が、少しでも幸せでいられますように。

私が本格的にヅカファンになったのは、2002年、1作トップでもけなげに笑顔で頑張るブンちゃんと、あんなに上手いのに、「ソロ一曲まるまる歌えてうれしいです」とけなげに語る専科の方々のエンカレッジコンサートのおかげなんです。この2つがなかったら、自分、ここまではまってなかった。キーワードは「けなげ」です。(今回の事件で、一番けなげだったのは原告ですが)

腐った組織の中で、今回の件に心をいため、それでもけなげに頑張る人たちはいると思う。という私は懲りないバカなのかな。いや、そんなことはないはず。辞めたほうが懸命かもしれないけど、まだ今は在団してる、けなげな生徒さんや、先生たち、スタッフの方々もいくばくかはいると思う。そんな人たちが、ひどいめにあわずに、少しでも幸せであってほしいと思う。生徒さんを心から応援して通っているファンの方々も、ひどいめにあわずに、少しでも幸せであってほしいと思う。

…虐げられてる生徒さんを応援するっていうこの手の心理、昔からよくある、これまた幻想かもしれない立ち位置ではあるけど、そこしか着地点はない、かも…自分の中で。

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ファンへの絶縁状 [音楽学校裁判]

戦前の『歌劇』を読んでいると、ファンと劇団、生徒、スタッフが一体となってタカラヅカを作っていることがわかります。

よく小林一三はファンからの手紙を載せ、「それはデマです、安心してください」とか「そういった生徒は厳重注意します」などと答えていました。生徒監が答えることもあります。

今ヅカファンが、まるで自分たちが大株主でもあるかのように、演目や人事に口をはさみたがり、タカラヅカの将来を心配するのは、創立時からの伝統なのです。そして、<組織>もそれにある程度こたえて一緒にタカラヅカ<文化>を作ってきたのが、一三時代からの由緒ある伝統なのです。

でも、その伝統も終わったみたいです。

音楽学校裁判の和解は、原告の身分は保証されたが、それ以外の和解内容は、被告側の要求により非公表。マスコミへのコメントやHPでは、「良心に従って証言をした生徒たちがネットで中傷されて遺憾」。

あの〜、謝罪はないんですか? 原告の退学を取り消す=万引きは捏造と認めた。公表しない=後ろめたい=自分たちが悪いとわかってる。和解を持ちかけた=敗訴するとわかってる=自分たちが悪いとわかってる。なのに、謝罪しない。「良心に従って」って、誰が見てもいじめだとわかるあの証言が「良心」? しかもコメント出してるのが、讒言を真に受けた事務長←なんで更迭されてないの?

そしてファンの「膿みを出して清く正しくなってほしい」という願いを「中傷」呼ばわりですよ。。。

タカラヅカは家庭的で、ファンも生徒も劇団と一体となった面白い<文化>。その特色を、<組織>自らが踏みにじったということでしょうね。

純粋に原告の勝利(条件つきではあるが)を祝うべきところを、勝手なことに、ファンがないがしろにされたこと、<組織>がとことん清くなかったことにショックを受けてしまいました。一週間前の私の記事はあまりに楽観的すぎましたね…。

「あきらめてはいないが、絶望しているのです」@虞美人、「すべての希望は、消えた」@王家に捧ぐ歌、ここでついヅカの台詞が出てしまうのが、哀しい。(しかもどっちもキムシンだ!)

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和解! [音楽学校裁判]

(わかりにくかったのと、希望的観測ばかりだったので、改訂しました)

7/14に音楽学校裁判の和解調停が開かれ、その後報告会も行われると、原告側弁護士から支援者に連絡があったそうです。

(和解はもうあり得ないと思って、こないだ劇団や阪急に呪詛の手紙、もとい、「控訴なんて絶対しないでちゃんと謝罪すべし」手紙を書いたところでした…ちょっと間抜けな私。)

当然、原告の主張が通らないと和解しないよね? ってことは、「いじめありました」「万引きはねつ造でした」って音楽学校が認めたってことだよね? 認めて謝ったほうが、敗訴になってマスコミに散々取り上げられるよりはマシだっていう、判断なんだよね?

もしそうなら、まだちょっと安心としたというか…。敗訴→控訴、よりは救いがある。

で、でも、それならなんでもっと早くにそうしておかなかったのか!? 96期生に初舞台は絶対に踏ませる。夢華メモちゃんには絶対に新公ヒロインをやらせる。ってのがどうしても必要だった。ってこと??? 

それとも、とりあえず退学処分取り消すからいいでしょ的な、うやむやな和解なのかなあ…。

あ~、7/14の報告が待ち遠しいです。

それに、和解だとインパクト弱いから、謝ったとしても、ただ謝ってそれだけ、にしてしまう恐れが大いにある。音楽学校のあり方がちゃんと改善されなかったら、腐敗していく一方だ。もちろん、さすがに多少の危機感は持っただろうけど。

大塩平八郎の乱のあと、幕府の腐敗はなんら改善されず、開国(幕府崩壊)まで30年を要したわけで…。

この茫漠とした不信感たるや。決して拭い去れるものではない。

「研1だけの場面があるのよ、ロジェに。マヤさんとかしゃべってる後ろの通行人が全員研1なのよ。悪印象持ってたら、そんな場面作らないよね???」…興味なかったはずの緑豆が、語気を荒くしている。「あんた、96期生が抜擢されてもなんとも思ってなかったんじゃないの?」「だってさー」「ハリーに裏切られた、って思ってるってこと?」「うーん…」「深い意味があるんじゃないの? その場面に」「いやー、ないよ…」

今度遠征したときには、裁判の記録を閲覧しに行くつもりです。

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