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「清く正しく美しく」以前に善悪の区別が必要だったとは [音楽学校裁判]

新しい『宝塚おとめ』に96期生が載っている。別に、すごい悪どい顔をしているわけじゃない。いままでとぱっと見かわらない(私の目が節穴なのかもしれないけど)。だからこそ、今までも同じようなことがあったのかもしれない、と思ってしまう。

よく「いじめは今までもあったってわかってるのに、どうしてそんなに怒ってるの?」って言われる。まあねー。そうなんだよ。そうなんだけどさー。

でも、でもでもでも。少なくとも、「いじめを「悪いこと」だと認識している」と思っていたんですよ。

タカラヅカに本音と建前の二つがあることはわかっている。本音の部分が生じてしまうのは仕方がない。でも、建前に近づく努力をしている、と思っていたんです。「みんなで魔法をかけあっている」世界だと思っていたんです。(少なくとも、一部の良心ある人はそうしていると思います、今でも)

別に、悪いことを隠せと言っているわけじゃないです。悪いことしちゃうのは仕方ないとしても、悪いことを良くしていきたいという建前を大事にしてほしいってことです。

だから、96期生の一部や音楽学校の職員が裁判で証言した内容が、(そうは明言してないけど論理的には)明らかに「いじめしてました!」「学校もいじめを助長してました!」とわかるような内容だったことに驚いた。誰が聞いてもその行為はいじめだし、それを反省もしていない。

つまり、宝塚の<組織>は、悪いことを良くしようなんて、これっぽっちも思っていないってことですよね? それをしゃべれば「いじめをしていました」と明らかにしてしまうってことも理解できないぐらい、頭が悪いってことなんですか? っていうかそもそも、善悪の区別もついてないってこと???

言いかえれば「いじめやりました、でも別に悪いことじゃないです、これがタカラヅカの常識です」NOぉぉぉぉぉぉぉ!

魔法がとけちゃうよ…。私ってじつは潔癖だったのね…。

::::::::本家はコチラです→a posteriori takarazuka:::::::


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