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「なかったことにしたくない 実父から性虐待を受けた私の告白」を読んで [ヅカってなんだ?的記事]

あうら真輝。『落陽のパレルモ』のときに変な辞め方をしたという記憶があります。ネットでは、心を病んでいたんだとか、同期にいじめられたんだとか言われてました。

それが、本名東小雪さん=東京ディズニーランドで同性結婚式をした元ジェンヌ、そしてLGBTの活動家ということでここ数年メディアに取り上げられ、へーーーと思っていましたが。

本を書いたということで買ってみました。心を病んでもいたし、同期にいじめられた(険悪になったというべきか?)というのも、ある意味あたってました。でももっともっと、いろーーーんなことがあったのですね。なにごとも、詳細を知ることが大事だとつくづく思いました。

(以下、けっこうネタバレです!)



この本では、実の父親から性的虐待を受けていたこともカミングアウトしています。お父さんと仲が良かった楽しい思い出もある。でも一方で、おぞましい、本当にひどい虐待の記憶もカウンセリングで蘇ってきた。お父さんが死ぬ前に後悔していたようにとれる言動もあるし、お母さんの葛藤もあるし(お母さんは性虐待を知っていただろうに、なかったことにしている、つまり虐待を助長)。「性的虐待」という言葉から感じる「おぞましい」「かわいそう」「ひどい」という直接的な印象とは違う、もっともっと複雑なものを感じました。

全体的に冷静に、客観的に書かれています。前向きで、社会全体をよくしたいという気持ちにあふれています。個人を攻撃するものではありません。虐待を受けた人、セクシュアリティに悩む人にとっては、大きな希望になる本だと思います。

「なかったことにしたくない」というタイトルが、素晴らしいです。自分自身で性的虐待をなかったことにしていた、そうしないと生きていけなかったから。でも、体も心も拒否反応を示して、拒食症になったり、学校に行けなかったりする。お父さんもお母さんも、なかったことにして表面は幸せな家庭を演じていた。

こういうことって、蔓延してますよね。特に日本は、原発も、第二次大戦中のことも、客観的に分析して対処しなければ改善できないのに、なかったことにしようとしている。そうして放置するから、どんどんひどくなる。

で、宝塚です。あの96期のいじめ事件をなかったことにしている宝塚です。なんて絶妙なタイトルなんでしょう。

宝塚では、ほかにもなかったことにしていることがあって、この本ではそれを「暴力」と規定しているのが画期的です。それは「指導」。

スターさんの思い出話として、本科が予科に行う「指導」の厳しさは、「みんなで舞台に立つには必要なこと」「今となっては楽しい思い出」と語られますが、私はずっと疑問だったんですよ。廊下を直角に曲がることが、舞台に立つのに必要なことなのかあ? ちゃんと眠って授業を受けるほうが舞台に必要なことなのでは? 昔は掃除は専門の人がやってたんだから必要ないんじゃないの? と。でも、詳細を知らないから、「自分のような人間には、馴染めないところなんだろうなあ、宝塚って」というところに話を落ち着けていました。

この本には「指導」の詳細がかかれています。怒られる理由が、そんなくだらないことだったとは…。完璧にこなすことが無理なことなんですよ。それを、たまたま発見されたとき、怒られる。なんて前近代的。しかも、その後の同期同士の「お話合い」という名の対策会議を含めると、ほぼ徹夜。それが毎日。(ちなみにこの「お話合い」、96期では原告さんの吊し上げ会になったわけですが、学校側は「お話合いなんて存在しない、消灯時間に寝ている」と主張してました。バカだね~) 仙堂花歩が吉本のトーク番組で言ってた「予科顔」のことも書いてありました。怒られたときにするべき顔が決まっているという。「あなたになんか謝られたくないです!」という本科生のセリフと、それを待ち構えていたかのように発する「すみませんでした!」というセリフ。ゲームだと思えばそれはそれでやり過ごせるかもしれないけど、半分以上の生徒の生理がとまるような生活は、正常じゃないですよね?

この本がさらにすごいのは、自分が本科になったときの加害が楽しかったと告白していることなんです。おおおお。そうか、やっぱりそういう美味しい面があるから続いているんだ。そして、それを後ろめたいと思うからいままで誰も言わなかったんだ。

96期以降、寮での指導はなくなった(最初の数週間だけはあったらしいですが)、指導があればあんな事件は起きなかっただろうと言われています。それは本当に正しいと思います。だけど、じゃあ、本科の指導を戻したほうがいいかというとそれは違う。だってどちらも暴力だから。

初舞台生がおかれた状況のひどさも読んでいてつらかったです。いじめ事件にしても、「指導」にしても、全体的に基本的人権をあまり考慮しない職場であることがわかり、「ああ、やっぱりな…」と腑に落ちました。(96期の裁判の記録を読んでいて「外部漏らし禁止規則」というものがあることを知りましたが、普通の芸能人と同じように、戦略的に必要であれば彼氏がいることを黙っているとか、はしたない話をしないとか、それでいいじゃないですか。過剰に秘密の園を演出するから、こういう前近代的な体制が秘密のままで野放しになってしまうんじゃないんでしょうか。)

こういう世界で生き残っていける人は、たまたま運がよかった、たまたま体力があった、たまたま器用だった、たまたま精神的に追い詰められにくいタイプだった、、、ということなんでしょう。まさにサバイバル。もちろん、舞台の世界は厳しく、体力も運も器用さも精神力も必要で、そういう人しか上にはあがれないことは理解できます。だからといって、そうでない人を無惨に追い出すような形になるのは、人権侵害でしょう。芸事の世界では当たり前? 人権が守られない芸事なんて、やめたほうがいいと思います。スポーツでも、お相撲でも、会社でも、なんでもそうです。

100周年の式典のトークで先輩たちが、おかしなルールについて疑問を呈し、そんなルールは昔はなかった、と話していたことも書いてあります。マヤさん(未沙のえる)も、必要ないルールが多すぎるとサヨナラ番組で言ってましたね。個人的な意地悪は昔からある(天津乙女だって代役の人に意地悪したって本に書かれてます)、だけどそれを恒常的な暴力にしてしまう体制は本当になんとかしないといけないと思うのです。

東さんは、宝塚を否定しているわけではないんです。もともと憧れて入ったのだし、先輩たちに対する敬意が垣間見えるのも好感が持てました。

素敵な世界は、内部も素敵であってほしい。一人ひとりが幸せになれる世界がきてほしい。東さんの本が良い契機になればいいなと思いました。


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