SSブログ

娘役という型がはじけたときの一瞬の輝き [ヅカってなんだ?的記事]

今さらですが、かおりのサヨナラ番組を見て泣いた。「宝塚らしさを大事にしてほしい。」そんな当たり前のことを言うサヨナラ挨拶が、増えたような気がする。彩音も言ってた。みんな暗に心配しているんだろうな。

かおりは本当にいい女役になったよね。『情熱のバルセロナ』のリンダ、『ロミオとジュリエット』のキャピレット夫人、『黒い瞳』のエカテリーナ。そして『ハウ・トゥ・サクシード』のヘディ。お色気おバカなのに、宝塚らしい品があった。

ヒロインをやった娘役が、堂々たる女役としてストーリーの中核を担い、舞台をオーラで埋める。こういうのを観るのが、宝塚の喜びの一つだ。

そして、悲しみの一つでもある。だって、そうなった後すぐ辞めちゃうんだもん。

なんで、こういう役者さんが辞めてしまうんだろう。いつかは辞めるものだとしても(乙女というのは卒業するものである)、もっともっと重宝されてもいいんじゃないかと思う。

「女役」を蔑称みたいに言う人がいるのも許せない。名誉なことだと思う。みんな、トップにこだわりすぎだ。っていうか、トップにばかり比重がありすぎなんだと思う、今の宝塚が。(って、そんな昔を観ていたわけじゃないけど、伝え聞く話)

まちゃみの、『竜馬伝』のお蝶さんもよかった。

アリスの、『Je Chanter』のジジもよかった。

あいあいは、まあ最初から女役っぽかったが、『夢の浮橋』とか、よかったなあ。

さゆは、女役ってキャラじゃなかったけど、『ロシアン・ブルー』でのはじけっぷりは最高だった。

あまちゃきの、『メランコリック・ジゴロ』の女役かっこよかった。もうちょっといてくれたら、もっといい女役になっただろうに。

…みんな、その頃には辞めることを決めていたのかな。決めていたからこそ、あそこまでの演技ができたのかな。だとしたら「娘役」(女役の対比語ではない意味。男役と違う娘役、という意味)ってなんなんだろう。

娘役という型を一生懸命作って、その中でもがいて、そこで熟成された何かが、娘役という型を破ったときに、ものすごい光を発するんだろうか。しかし、その光は長持ちはしないらしい。。。

そうした一瞬の光を観るために、劇場に通っているのかもしれないなあ。


十年一昔 [ヅカ的近況]

昨年は、ヅカファン歴10年目の年でした。

100年近い歴史の中では新参者ですが、「90周年の運動会、生で観てるんですか〜、いいな〜」って言われたりすることも増えて、そろそろ完全なる新参者ではないのかも、と思い始めました。

たしかに、10年前には思いもしなかったことが起き、時間の流れを感じます。(裁判をのぞいても)

(あ、ちなみに、自分が路線スターさん以外の人のファンになることは、想定内っす。ヅカファンになりたての頃から専科さん大好きだったんで。)

まず、ゆうひがトップになるとは、思わなかった(笑)。全くならないとも思わなかったが、まさか、こういう形でなるとは、思わなかった。

イケコがここまで期待されるとも、思わなかった。

ハリーが駄作認定されるとも、思わなかった。

まともなショーを作れるのが藤井大介だけになるとも、思ってなかった。

オギーが絶対に辞めないとは思っていなかったが、それがこんな打撃になるとは思っていなかった。

あと、ファンの数が減った。「レオンさんのお茶会で1000人集めたんですって!」と言われて、「え、トップのお茶会で1000人集まらないことのほうが普通なの?」と聞いてしまった。ガードする人は4割ぐらいになり、劇場は8割ぐらい?(東京の平日夜で計算)。全体的にも減っているけど、ファンクラブに入るようなファンのほうがさらに減っているんだろう。

いや、でも、一番驚いたのは、あーちゃんが副組長になったことだな。うん。『With a song in my heart』の中詰め銀橋でつまんなそーに揺れていたあーちゃんが、今や、お姫様属性をいかした女役として、何か新たな道を切り開いているような気がする。松本悠里ポジかもしれん。


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。