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GOLD カミーユとロダン(シアタークリエ 12/24 18:00) [観劇メモ(ヅカ以外)]

新妻聖子の子音があまり好きではないのですが、そんなことはどうでもいいと思えるような、熱演、熱唱でした。感情を歌にのせるって、こういうことなのだなあ。甘えた感じの子音の発声も、カミーユの生意気さ、若さゆえだと感じられるぐらい。

作品としては、30年ぐらいを一気に駆け抜けてしまうし、なんたって愛憎劇なので、メリハリのメリがない。ずっとクライマックスのような話で、そういう意味では疲れるというか単調というか、泣きっぱなしというか。あと、ちょっと詩がメロディーと合ってないような気がした。

カミーユ・クローデルについては、20年ぐらい前にイザベル・アジャーニ主演の映画を見ました。そのときも、ずっしり来たけれども、自分がアラフォーになってからカミーユ・クローデルの人生をまたこうして知ると、実感として「わかるわかる」的なこともあったりして。相手を好きは好きなんだけど自分より下のものだと考えたいロダンの身勝手さとか、上手くいってたときは共同作業がうれしかったのに上手くいかなくなった途端に盗作だと言い出したりするカミーユの哀しみとか。人間って、年をとったら見識も心も広くなるのかと思ってたけど、そうではなくて、むしろ柔軟性がなくなったぶん、欠点ばかりが強調されてしまったり、可能性が狭まったことによって偏屈になってしまったりするんだよなあ、とか、「初老」になったからこそ、わかるわ〜。(でも演じてる新妻聖子は若いわけだから、役者って大変だな、すごいな)

装置がシンプルで、たくさん彫刻が飾ってあって、特に背後に地獄の門とバルザック像があるのがかっこいい。彫刻やテーブルを動かすだけで場面転換が行われるんだけど、全然混乱しないのが不思議。地獄の門がちょっとずつ出来上がって行って、最後、カミーユが精神病院に入れられるところで、開いたみたいに光るのが、予想できたとはいえ、ぞっとして効果的。(こないだの天守物語といい、白井晃の演出は装置がいいみたい?)そう、照明がいいのだ。場面転換がわかりやすいのは照明のおかげかも。心の動き、歌にあわせて、絶妙。衣装も質感や色合いが当時のものっぽくてよかった。

ロダンの石丸幹ニは、こういう傲慢で尊大な役を観たことなかったので新鮮。ヒゲが素敵だったけど、地毛なんだろうか。ポール・クローデルが伊礼彼方で、けっこう落ち着いた演技をしてて、あらあら伊礼くん、成長してるわね〜なんて(上から目線)。カミーユに理解のないお母さんに根岸季衣。ハスキーな声のソロがシャンソンみたいで素敵だった。カミーユに理解のあるお父さんに西岡徳馬。生で観るの初めてかも。テレビだと悪役のイメージがあるけど、いやいや、包容力のある優しい素敵なパパでした。

この、家族のあり方が面白かった。実話なんだろうか。お父さんはカミーユの才能を認めているのに、お母さんは全く認めない(女が裸の男の彫刻を作るなんてはしたない、とも言ってて、なるほど、日本より西洋のほうが裸に拒否反応強いよね)。「父の娘」っていう概念あるよね。お父さんと仲良しで、お父さんのようになろうとする娘。だけど、お父さんは男だけど、娘は女だから、社会の壁にぶつかる…。あっ、エリザベートが典型だ。仲良しだった弟が、「中絶なんかしてないよね?してたら神への冒涜だ!」とか言い出すのも、また上手いというか。中絶させたのは、お前ら社会のほうだろ、とこの場面が一番苦しかった。私は一人っ子なのですが、「小さい頃は弟と仲良しだったのに、大人になってから弟が男社会の側にまわってしまったことがけっこうショック」というエピソードを聞くことがあります。この現代でも。ポール・クローデルって、そういう人だったんだ〜。

ただ、あまりにも厳格なお母さんと、あまりにも理解のあるお父さんと、かけ離れすぎていて、なんでこの二人が結婚したんだろー? と素朴に思った。

カーテンコールでのカミーユとロダンが、恋人同士ではなく、「同志」って感じだったのが印象的。むしろ、お父さんと一緒のほうが、カミーユはラブラブだった。

そうそう、二人の彫刻作品の説明が客席に置いてあったのがとても親切でうれしかった。

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