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私的 チケット獲得の歴史 [ヅカ的近況]

いろいろとチケットをとっていないことに気付いて、急いで探しはじめる。

『Studio 54』はポスターがいいから観てみたい。まりもちゃんが男前に踊ってくれるかもしれないし。というわけで、まずオークションで悪い席が安くなってないかチェック。…全然出てない。いい席が高く出てるけど、全然売れてない。なぬー。

仕方ない、ぴあをチェック。なんと、ほとんど全日程取り放題。ううーむ。『誰がために鐘はなる』も同様。そういえば、『はじめて愛した』も同じ状況だった。『リラの壁の囚人たち』もそうだったんだ。。。

私がディープなヅカファンになりたての2001〜2002年。チケットというのは取りにくいものでした。(以下、主に東京での話です)友の会で4枠全部入れても、まず当たらないものでした。ヅカの布教をしても、「でもチケット取りにくいんだよね」と注釈をつける必要があるぐらい。一般売りの日には店頭に並んだものです。最終的には、オークションで、悪い席でもせいぜい定価で買うのが普通。

(例外的に、『花供養』が2階席が1割も埋まってなくて驚愕したことがある。二度とこんなことはないだろうと思ったけど、2010年の大劇場の2階がまさに1割ぐらいの入りだったりする…!!)

ちょっと変わってきたのが、自分的には2006年の雪組『ベルサイユのばら』。ぴあで、平日だけど下手5列がとれた。2007年の『黒蜥蜴』でも同じあたりがとれた。チケットが取りやすくなってるんだ、とちょっとうれしかった。今思えば、危機感を抱くべきだったのかも。

この頃だったか、大劇場の阪急交通社貸切が半分ぐらいしか埋まってなくてちょっとびっくりしたことがあったし。

だんだんと、だんだんと、客が減ってきていたんだなあ。。。水さんがトップに就任した頃、「大劇場を満席にしたい」って公言していたものね。

それから2009年頃までは、友の会で平日夜A席を入力すればたいていは当たるから、入力しすぎないように、という感じで観劇していた。取りそびれれば、オークションで悪い席を値下げして売ってるのを選んで買ってた。もちろん演目にもよるけど。

でも、今はオークションにすら出ないのだ。つまり、ダブつかせると、値引きしても売れなくなってきたということ。だから、そもそも最初っから買わない。基本的に買わない。買いびかえる。どうしても観たいものだけ、後から定価でちょこっと買う。そういう客ばかりになってきたんだと思う。

はぁぁ〜。

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コードヒーロー終わってみて、タカラヅカ的美徳について思う [ヅカってなんだ?的記事]

仕事が忙しくて、東西あわせてたったの3回しか観ることができませんでした。もうちょっと回数を観たら、突き抜けてすべてが面白く思えたのでしょうか…??

楽の挨拶で、まあくんが泣いてたそうだ。そりゃそうだよね。こんなひどい作品で、しかも自分に合ってる役でもないし、不況もあるだろうしでチケット売れないし。でも最後まで主演として立派に責任を果たした。あの「なんでここでいきなり歌になる!?」的な、客席が笑っちゃうような場面も、笑うことなくマジメに演じ切った。変な歌詞も変な台詞も、すべて渾身で演じ切った。当たり前のことなんだけど、当たり前のことが大変な公演だったと思う。まあくん以外のみなさんも頑張っていた。そしてファンクラブも、それにこたえようと、いっぱい拍手してた。いっぱい笑ってた。盛り上げようとしてた。東京でさらにそれを感じた。

こういう現場にちょっとでも居合わせると、「あー、タカラヅカってうるわしいなあ」って思う。健気だもん。みんな健気に頑張ってるもん。より良くしようと、日々努力してるもん。ヅカファンとして、この健気さを支えてるんだわ、私! と「宝塚心のふるさと教」の(元)信者として泣きそうになる。

でも、そういう美徳が、危険と紙一重なんだよね。。。。

だって、誰も公式には「駄作」だとは言わない。「パワーのいる作品ですよね」と言い換える。「チケット売れてない」とは言わない。「是非またいらしてください」と言い換える。誰もが思っていることを、口に出さない。それがタカラヅカ。

これがお笑いだったら話は別だ。吉本新喜劇で某大御所の息子が登場すると、彼が演じている役柄に対して罵倒するはずの場面で、罵倒の台詞がだんだん「てめえに力があるわけじゃねーんだよ、親の七光だろ!」と本人への突っ込みに変化して、客席がどっとウケる。本音をずばっと言ってウケる。…タカラヅカだとあり得ないよねー。

タカラヅカは、より良くなるために、美しい建前を守るために、いろんなことを口にしないできた。いろんなことを美しく言い変えてきた。言わないで、生徒たちの頑張りでなんとかしてきた。ファンは言外のことも承知して、ついていってた。

そういった美徳が、ひっくりがえすと、口にしなければいけないことですら、口に出さない風習になっちゃうんだよね。みんなで話し合ったほうがいいこと、客観的に分析しなければいけないことも、表には出さない。何が正しいか、何が正しくないか、多くの人の前に開陳して諮らなければいけないことでも、すべて「無かったこと」にしてしまう。

美徳に続いてほしいと思う。健気であってほしいと思う。でも危険だ。

だからこそ、上手な舵取りが必要なのになあ。常識ある判断を上層部ができなくちゃいけないのになあ。細心の注意が必要なのになあ。一部の生徒の妄言にふりまわされてどうするよ。

また愚痴になってしまいました。

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あっ、ところで。ローズマリー(一花ちゃん)の病院の看護婦、めちゃめちゃあやしかったよねえ。いつ「クリストファー(ふみかちゃん)の手下でした」って出て来るかと期待してたのになあ。
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