コードヒーロー終わってみて、タカラヅカ的美徳について思う [ヅカってなんだ?的記事]
仕事が忙しくて、東西あわせてたったの3回しか観ることができませんでした。もうちょっと回数を観たら、突き抜けてすべてが面白く思えたのでしょうか…??
楽の挨拶で、まあくんが泣いてたそうだ。そりゃそうだよね。こんなひどい作品で、しかも自分に合ってる役でもないし、不況もあるだろうしでチケット売れないし。でも最後まで主演として立派に責任を果たした。あの「なんでここでいきなり歌になる!?」的な、客席が笑っちゃうような場面も、笑うことなくマジメに演じ切った。変な歌詞も変な台詞も、すべて渾身で演じ切った。当たり前のことなんだけど、当たり前のことが大変な公演だったと思う。まあくん以外のみなさんも頑張っていた。そしてファンクラブも、それにこたえようと、いっぱい拍手してた。いっぱい笑ってた。盛り上げようとしてた。東京でさらにそれを感じた。
こういう現場にちょっとでも居合わせると、「あー、タカラヅカってうるわしいなあ」って思う。健気だもん。みんな健気に頑張ってるもん。より良くしようと、日々努力してるもん。ヅカファンとして、この健気さを支えてるんだわ、私! と「宝塚心のふるさと教」の(元)信者として泣きそうになる。
でも、そういう美徳が、危険と紙一重なんだよね。。。。
だって、誰も公式には「駄作」だとは言わない。「パワーのいる作品ですよね」と言い換える。「チケット売れてない」とは言わない。「是非またいらしてください」と言い換える。誰もが思っていることを、口に出さない。それがタカラヅカ。
これがお笑いだったら話は別だ。吉本新喜劇で某大御所の息子が登場すると、彼が演じている役柄に対して罵倒するはずの場面で、罵倒の台詞がだんだん「てめえに力があるわけじゃねーんだよ、親の七光だろ!」と本人への突っ込みに変化して、客席がどっとウケる。本音をずばっと言ってウケる。…タカラヅカだとあり得ないよねー。
タカラヅカは、より良くなるために、美しい建前を守るために、いろんなことを口にしないできた。いろんなことを美しく言い変えてきた。言わないで、生徒たちの頑張りでなんとかしてきた。ファンは言外のことも承知して、ついていってた。
そういった美徳が、ひっくりがえすと、口にしなければいけないことですら、口に出さない風習になっちゃうんだよね。みんなで話し合ったほうがいいこと、客観的に分析しなければいけないことも、表には出さない。何が正しいか、何が正しくないか、多くの人の前に開陳して諮らなければいけないことでも、すべて「無かったこと」にしてしまう。
美徳に続いてほしいと思う。健気であってほしいと思う。でも危険だ。
だからこそ、上手な舵取りが必要なのになあ。常識ある判断を上層部ができなくちゃいけないのになあ。細心の注意が必要なのになあ。一部の生徒の妄言にふりまわされてどうするよ。
また愚痴になってしまいました。
::::::::本家はコチラです→a posteriori takarazuka:::::::
あっ、ところで。ローズマリー(一花ちゃん)の病院の看護婦、めちゃめちゃあやしかったよねえ。いつ「クリストファー(ふみかちゃん)の手下でした」って出て来るかと期待してたのになあ。
楽の挨拶で、まあくんが泣いてたそうだ。そりゃそうだよね。こんなひどい作品で、しかも自分に合ってる役でもないし、不況もあるだろうしでチケット売れないし。でも最後まで主演として立派に責任を果たした。あの「なんでここでいきなり歌になる!?」的な、客席が笑っちゃうような場面も、笑うことなくマジメに演じ切った。変な歌詞も変な台詞も、すべて渾身で演じ切った。当たり前のことなんだけど、当たり前のことが大変な公演だったと思う。まあくん以外のみなさんも頑張っていた。そしてファンクラブも、それにこたえようと、いっぱい拍手してた。いっぱい笑ってた。盛り上げようとしてた。東京でさらにそれを感じた。
こういう現場にちょっとでも居合わせると、「あー、タカラヅカってうるわしいなあ」って思う。健気だもん。みんな健気に頑張ってるもん。より良くしようと、日々努力してるもん。ヅカファンとして、この健気さを支えてるんだわ、私! と「宝塚心のふるさと教」の(元)信者として泣きそうになる。
でも、そういう美徳が、危険と紙一重なんだよね。。。。
だって、誰も公式には「駄作」だとは言わない。「パワーのいる作品ですよね」と言い換える。「チケット売れてない」とは言わない。「是非またいらしてください」と言い換える。誰もが思っていることを、口に出さない。それがタカラヅカ。
これがお笑いだったら話は別だ。吉本新喜劇で某大御所の息子が登場すると、彼が演じている役柄に対して罵倒するはずの場面で、罵倒の台詞がだんだん「てめえに力があるわけじゃねーんだよ、親の七光だろ!」と本人への突っ込みに変化して、客席がどっとウケる。本音をずばっと言ってウケる。…タカラヅカだとあり得ないよねー。
タカラヅカは、より良くなるために、美しい建前を守るために、いろんなことを口にしないできた。いろんなことを美しく言い変えてきた。言わないで、生徒たちの頑張りでなんとかしてきた。ファンは言外のことも承知して、ついていってた。
そういった美徳が、ひっくりがえすと、口にしなければいけないことですら、口に出さない風習になっちゃうんだよね。みんなで話し合ったほうがいいこと、客観的に分析しなければいけないことも、表には出さない。何が正しいか、何が正しくないか、多くの人の前に開陳して諮らなければいけないことでも、すべて「無かったこと」にしてしまう。
美徳に続いてほしいと思う。健気であってほしいと思う。でも危険だ。
だからこそ、上手な舵取りが必要なのになあ。常識ある判断を上層部ができなくちゃいけないのになあ。細心の注意が必要なのになあ。一部の生徒の妄言にふりまわされてどうするよ。
また愚痴になってしまいました。
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あっ、ところで。ローズマリー(一花ちゃん)の病院の看護婦、めちゃめちゃあやしかったよねえ。いつ「クリストファー(ふみかちゃん)の手下でした」って出て来るかと期待してたのになあ。
まさに、この作品を感じてもやもやと感じていたこを言葉にして頂けた思いです。私の好きな生徒さんは今回この作品に出演していまして、せっせと通い拍手を送り、観劇できなかった日もお見送りにだけでも行き、ささやかだけれど精一杯、応援しました。美しい建前を守るため、皆が思っているであろうことを誰も口にせずに……。
しかし、果たしてこれが観客としての正しい姿であろうかと今も自問しています。伝統的な宝塚ファンとして正しい姿であっても、本当に誠実な姿であろうかと。
これがこんな駄作(あーあ、とうとう言っちゃった)でなければ、純粋な励ましを生徒さんに送れたかもしれないのに、今回は「がんばってください」の言葉の裏に、(こんな作品だけど)(こんな役だけど)(だからこそ応援してるから!)(出てる人の辛さも、分かってるから!)(辛い時こそファンは味方だから!)という思いがありました。そして、生徒さんの感謝の言葉にも、辛さは滲み出ていたと、思い込みを差し引いても思うのです。
千秋楽の会場で、立ちあがって拍手を送ったのは、断じて作品に対してでも演出に対してでも上演にGOサインを出した劇団にでもなく、この環境で精一杯最善を尽くし続けた生徒さんへの賛辞と労い以外の何物でもありません。このこと、劇団にはきっと伝わっていないのです。「この作品にも熱心なファンがいた」「分かる人はわかるんだね!」などと思われたら、行く先はどんなにか暗く狭く険しいことか……。
とても暗い気持です。などという本心は、ファンなら言っちゃいけないんでしょうねぇ。これ、どこの全体主義でしょう。怖や怖や。
by 杏仁 (2010-12-14 05:17)
最近期待しているのは、謝先生の再演が続くこと。
つまり、元生徒のOGさんが「オモシロイ!」と思える作品を、
故郷タカラヅカで先生差し置いて作ってくれないかなぁということ。
OGインタビューか何かで謝先生が、
振付家や演出家よりもっと突っ込んだ、
制作サイドでもっとOGが活躍してくれるといいなぁと語ってました。
もう先生や組織に頼れないのであれば、
やはり生徒さんやOGさんに期待するしかないのかなぁと思います。
ここまで生徒頼みって、なんかヒドイ組織ですよね、あらためて。
そう考えると、現役で演出やっちゃった春日野御大はスゴイ。
…それより、年明け二手に分かれる宙組がどちらも面白そうなので、
2回上京するのはしんどいなぁとひぃひぃ言いつつも、
面白い作品に出合えそうなワクワクには逆らえないっ!
by はるすかえ☆ (2010-12-14 21:46)
杏仁さま、ありがとうございます、あのガードの中に、そしてスタオベの中にいらっしゃったんですね。
生徒さんとファンとで、口に出さないけど通じ合ってるこの状態、すごくうるわしいと思います。でも、なんで本音を言えないんだろうと、苦しくなります。
昔ひどい客入りだったと聞く作品はあっても、その作家が干されたり、してないですよね。。。全体主義、まさにそうですね。「清く正しく美しく」が全体主義国家だなんて、怖い冗談です。
by 竜眼 (2010-12-14 22:18)
はるすかえ☆さま、こんばんは!
元生徒さんか〜、なるほど! 謝先生みたいなOGが増えるといいですねえ。先生たちの腐った体制をなんとか打開していただきたいです。
ヴァレンチノと大野作品は私も楽しみです^^
by 竜眼 (2010-12-14 22:24)