SSブログ

モーツァルト!(帝国劇場 12/18 17:15) [観劇メモ(ヅカ以外)]

これって、アダルトチルドレンの話だったのか…!?

前に一回観てるのですが、感想がブログに見つからない。ってことは2005年版なのかなあ。いや、コンスタンツェは島袋寛子だった気がするから2007年版のような。うーん。

いずれにしても、前観たのは井上芳雄。今回観たのは山崎育三郎。

いっくんは永遠の庇護されキャラだ。『ハレルヤ!』の弟。『ラ・カージュ・オ・フォール』の息子(市村さんはこのときはオカマのお母さんだった)。だから、親と子の問題に見えたんだと思う。

私も母親が教育ママだったので、(もちろん天才じゃないですが。言うまでもなく。)でも親との葛藤はわかる。親の言う通りには絶対にしたくない。そんなことしたら自分じゃなくなる。だけど、親に認められたい。でもそれは、親の言うとおりにしないとかなえられない。永遠に解決しない問題。だから急に優しくなったり、急に放埒な生活をしたりしてしまう。

コンスタンツェも、親や姉に醜いアヒルの子扱いされてるアダルトチルドレンだよねえ。そういう人どうしだから、惹かれ合うんだよねえ。

アマデがウォルフガングを殺そうとするのも、インナーチャイルドの反乱だと考えるとわかりやすい。本来アマデは才能の化身なんだろうけど。男爵夫人は社会を象徴していて、社会に出るってこわくないよ、と歌っているんだけど、一度親との関係で傷ついてしまうと、社会に出ても上手くやっていけないんだよね。。。というふうに、ウォルフガングがアダルトチルドレンだと思うと、話がすんなり入ってくる。

よしおはやっぱり天才肌だからなあ。キレ味鋭いから、どうしても「天才は大変だのう」とちょっとひとごとで観ていたような気がする。どちらの観方が正しいとかではないと思うけど。

ただ、やはり展開がかっったるい作品ではありますね。コロレド大司教とのあれこれが、何度も繰り返しになってるのが、いかん。史実との関係で整理できないのだろうか。親と子の切れない葛藤を表しているといえばいえるのだろうけれども。

島袋寛子が前よりうまくなっていたのも、理解しやすくなった一因かも。ややとげとげしい持ち味だけど、この役にはあっていた。ソロが切々としていた。

やまゆうさんはもはや歌い方が美川憲一だよね…。美声なのに。でもこういう超然とした役にはやはりぴったり。

高橋由美子は老けないなあ。市村さんは老いたお父さんが似合うようになってきた。吉野圭吾はアンサンブルにいても目立つ目立つ。さすがスターさん。前に観たとき一番覚えてるのが吉野さんだったもの(やっぱり2005年版を観たってことかなあ)。

タータンはさすがだった。やや高慢で、説得力があって、地に足ついてる。地に足ついてないウオルフガングの哀れさが際立つ。お父さんが死んだ後だったかな、絶望したウォルフガングの幻想の中で男爵夫人が例の名曲を歌うところで、なぜか涙が。うえーん、お外は怖いんだよーー。

終演後に、アルコ伯爵役の武村淳一(パーチェスターの人なのね)と、いっくんのトークショーがついていた。武村さん司会めちゃうま。いっくん、一階二階まで抽選の品を走って届ける。私の後ろの人が当たったので、届けに来てサインしてる様子をじろじろ見れた。まつげ、なっが〜〜。かっわいい〜〜。

楽屋口にいっくん待ちの列がすごいことになってたようだ(並んだわけじゃないよ! ご飯食べながら見てただけよ!)。人気上昇中ですなあ。これからがますます楽しみだねー。

で、この機会に『ハレルヤ!』再演してくんないかなあ。と、どさくさに紛れて言ってみたりして
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。