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パラダイスな温泉と言えば [ヅカ的近況]

12/23から24まで、群馬県四万温泉に行ってきました。『千と千尋の神隠し』のモデルの一つだという積善館という旅館です。

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いいでしょ〜。

右側の建物の一階部分、なんとお風呂なんです。洋風な窓からわかるように、中も洋風です。中の様子はコチラ。すげーーー。

なのに二階三階は和風なの。この和洋折衷が、たまりません。昭和5年の建築です。なんと80歳。昭和5年の和洋折衷のお風呂に今でも入れるなんて、素晴らしいことです。

んー、これって…「パラダイス」。ふと出て来た言葉が「パラダイス」だった。

パラダイスと言えば、宝塚が始めて公演したパラダイス劇場。宝塚新温泉に作ったプールが使い物にならなかったので、プール部分をふさいで劇場にしたという。
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↑パラダイス劇場になる前のプールの様子。(『宝塚歌劇五十年史』p93)

戦前の宝塚新温泉の貴重な写真はビンテージ・タカラヅカさんに。ちょっと和で、ちょっと洋で、とってもかわいい。

戦前はこういう洋風な温泉がけっこうあったとか。でも、お風呂にみんなで入る文化って、西洋だと古代ローマぐらいで、特殊だよね? だから、洋風な銭湯ってだけで、ものすごーく和洋折衷だよね? 西洋文化、オシャレだから取り入れたい。でも、銭湯文化はやめられない。西洋文化にふれて、パラダイス。温泉入って、パラダイス。少女歌劇でハイカラなもの見て、パラダイス。温泉入って、生徒さんと裸のつきあいしちゃってパラダイス(大正時代は生徒も同じ温泉入ってたそうです。トリビア)。

群馬県でそんなことに思いを馳せつつ、群馬県民しゅん様の退団の報に衝撃を受けたのでした。いまだに信じたくないです。あまちゃきも、これからだと思ってたのに。そして、めおちゃん。。。。がくっ…

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モーツァルト!(帝国劇場 12/18 17:15) [観劇メモ(ヅカ以外)]

これって、アダルトチルドレンの話だったのか…!?

前に一回観てるのですが、感想がブログに見つからない。ってことは2005年版なのかなあ。いや、コンスタンツェは島袋寛子だった気がするから2007年版のような。うーん。

いずれにしても、前観たのは井上芳雄。今回観たのは山崎育三郎。

いっくんは永遠の庇護されキャラだ。『ハレルヤ!』の弟。『ラ・カージュ・オ・フォール』の息子(市村さんはこのときはオカマのお母さんだった)。だから、親と子の問題に見えたんだと思う。

私も母親が教育ママだったので、(もちろん天才じゃないですが。言うまでもなく。)でも親との葛藤はわかる。親の言う通りには絶対にしたくない。そんなことしたら自分じゃなくなる。だけど、親に認められたい。でもそれは、親の言うとおりにしないとかなえられない。永遠に解決しない問題。だから急に優しくなったり、急に放埒な生活をしたりしてしまう。

コンスタンツェも、親や姉に醜いアヒルの子扱いされてるアダルトチルドレンだよねえ。そういう人どうしだから、惹かれ合うんだよねえ。

アマデがウォルフガングを殺そうとするのも、インナーチャイルドの反乱だと考えるとわかりやすい。本来アマデは才能の化身なんだろうけど。男爵夫人は社会を象徴していて、社会に出るってこわくないよ、と歌っているんだけど、一度親との関係で傷ついてしまうと、社会に出ても上手くやっていけないんだよね。。。というふうに、ウォルフガングがアダルトチルドレンだと思うと、話がすんなり入ってくる。

よしおはやっぱり天才肌だからなあ。キレ味鋭いから、どうしても「天才は大変だのう」とちょっとひとごとで観ていたような気がする。どちらの観方が正しいとかではないと思うけど。

ただ、やはり展開がかっったるい作品ではありますね。コロレド大司教とのあれこれが、何度も繰り返しになってるのが、いかん。史実との関係で整理できないのだろうか。親と子の切れない葛藤を表しているといえばいえるのだろうけれども。

島袋寛子が前よりうまくなっていたのも、理解しやすくなった一因かも。ややとげとげしい持ち味だけど、この役にはあっていた。ソロが切々としていた。

やまゆうさんはもはや歌い方が美川憲一だよね…。美声なのに。でもこういう超然とした役にはやはりぴったり。

高橋由美子は老けないなあ。市村さんは老いたお父さんが似合うようになってきた。吉野圭吾はアンサンブルにいても目立つ目立つ。さすがスターさん。前に観たとき一番覚えてるのが吉野さんだったもの(やっぱり2005年版を観たってことかなあ)。

タータンはさすがだった。やや高慢で、説得力があって、地に足ついてる。地に足ついてないウオルフガングの哀れさが際立つ。お父さんが死んだ後だったかな、絶望したウォルフガングの幻想の中で男爵夫人が例の名曲を歌うところで、なぜか涙が。うえーん、お外は怖いんだよーー。

終演後に、アルコ伯爵役の武村淳一(パーチェスターの人なのね)と、いっくんのトークショーがついていた。武村さん司会めちゃうま。いっくん、一階二階まで抽選の品を走って届ける。私の後ろの人が当たったので、届けに来てサインしてる様子をじろじろ見れた。まつげ、なっが〜〜。かっわいい〜〜。

楽屋口にいっくん待ちの列がすごいことになってたようだ(並んだわけじゃないよ! ご飯食べながら見てただけよ!)。人気上昇中ですなあ。これからがますます楽しみだねー。

で、この機会に『ハレルヤ!』再演してくんないかなあ。と、どさくさに紛れて言ってみたりして

宝塚花の踊り絵巻(東京宝塚劇場 12/15 18:30) [観劇メモ]

澄夫ちゃん健在! 日本ものショー万歳!

澄夫ちゃんの作品って、なんか色気があるのよね〜。芝居も脚本はアレだけど、色気はあるのよね〜。

そのうえ、ショー作家としてのツボを心得てる。

特に中詰めの佐渡おけさは楽しい楽しい。ここで盛り上がってほしいというところでちゃんと盛り上がる、ここで人いっぱい出てきてほしいというところでちゃんと出てくる、ここでジャジャンと見得切ってほしいところでちゃんと見得切る。生理的に気持ちいい。

あと、驟雨って場面。敵に追われたレオンが、戦いながら、馴染みの遊女ねねと逃げる。ストーリーがドラマチックだし、とうのたった(失礼)遊女たちが色っぽいし、赤い格子やはしごの使い方も上手いし、最後に船で盆回って暗転するときのポーズの美しいこと!

思えばわたくし、ヅカファンになってから観た日本もののショーというと、すべて春の公演だったんですよ。今回はじめて秋のおどりを観たわけで。紅葉や菊、雪、きれいだわねええ。

あ、しかし、松本先生の菊の童の場面はちと眠かった。そして怖かった。設定さっぱりわからず。後からパンフ読んで、少年のまま不老不死になったと書いてあって、また怖かった(笑)。ピッタリでんがな。

日本もののショーは、都をどりなどの芸者さんの踊りの発表会から来ているという。都をどりは、明治5年の京都博覧会のために考えられたという。今となっては、演歌ショーと、数少ないレビュー劇団にしか残っていない、これらの血筋。劇団も、少なくとも年に一回はやらねばと思っているらしく、昨年は石田で、一昨年は谷で上演した。

けどねー。石田はやっぱり余興っぽかったし、谷のは全然印象に残ってないなあ。日本ものの滲み出るような色気を、誰か受け継げる作家はいないのか。…オギーで観てみたかった気もします。



愛と青春の旅立ち(東京宝塚劇場 12/15 18:30) [観劇メモ]

タカラヅカで婚活は扱わないでほしい。

私、古いですか? ロマンチックラブイデオロギーに毒されてますか? でもタカラヅカってそういうもんでしょ?

むしろ、リネットみたいにはっきり「婚活のために男選びしてます」って公言するほうが、まだ潔い。2番手娘役だからっていうのもある。でも、ポーラはひどいやろ。婚活のために男選びしてるのはリネットと全然変わらないのに、終始、本当の愛とか、傷つく覚悟とか、それこそ「めんどくさい」ことを言う。しかもトップ娘役。

生活のために恋愛を利用するなーーー。タカラヅカの中では、純粋な恋愛だけが見たいんじゃーーー。

『仮面のロマネスク』とか、『ダルレークの恋』みたいな「駆け引き」は、それはそれでいいんです。生活かかってないし。駆け引きと言いつつ、じつは本当にラブだし。駆け引きのふりしてラブ、はかっこいい。でも、ラブのふりして生活のため、は最低。

あっ、ひょっとして、ポーラが最初の婚活からだんだん本当の愛に目覚めるっていう話だったのかしら、これ!? だったらOK。

でも全然そうは見えなかった。下ネタよりも何よりも、そこが気になりました。

ザックの変化は、ポーラに比べれば、表現されていたような気もする。仲間を見捨てて一番になった最初の障害物競争から、仲間を助けたせいで記録更新できなかったけどすがすがしい顔してるっていう、このエピソードが感動的だからね。主人公だから書き込み多いし。

あと、マッチョな場面が多いのも、あんまりピンときませんでした。男子はこういうの楽しいのかなあ…。思えば、私のヅカ2回目の観劇は『誠の群像』by石田で、「なんで男の人が楽しい内容を、女性ばかりの劇団でやらされているんだろう」と思ったものです。

もとの映画を知らないのですが、ベトナム戦争で傷ついたアメリカが、マッチョな訓練で精神叩き直して、再び強いアメリカになるぞーって主旨なんだろうね。。。。その根底思想が私のメンタリティとは相容れないのであった。

もう一個苦言。

鬼軍曹が全然鬼に見えない。あれ、ギャグですか? 余興ですか? なんであの台詞回しでOKが出るのですか? ソルーナさんと接するときのびしっとした感じはいいんだけど、しごきの場面での口調が、「おうきかなめさんが余興で怖い人を演じている」もしくは「おうきかなめさんがゲームのアテレコで悪役キャラを面白おかしく演じている」のどちらかにしか見えないのだ! Noォォォ! 仕方ないので、タータンで置き換えて観ていました(なぜかタータン。無意識にタータン。でも嫌味な感じとか、ピッタリかも)。

だから、どうしてみんなが「フォーリーに負けてたまるか」と言っているのが全くわからない。最後に「あいつのせいだ! 辞めてやる!」となるのも、目が点。体格も細いので、レオンと一騎打ちの場面が、どうみてもレオンのほうが強い。そこを、台詞まわしや動作でなんとかするのが、演技というものではないのでしょうか。

オッサンみたいな路線スターって、もう出ないのかなぁぁぁ(T T) びっくりするほど黒くてかっこいい二番手さんって、もう出ないのかなぁぁぁ(T T) 

その他感想
・プロローグの段取りとか、石田にしてはスムーズでわくわくしました。
・すずみさんのベリーショート金髪に黒い肌が予想外にかっこよかったです。
・ベニー爆上げにいまさらながらに驚きました。
・石田の水輝涼への愛に感動しました。

紫峰七海 お茶会(12/6) [お茶会報告]

忙しくてまとめる時間がなく、忘れてしまったことが多々あり。すみません、すぐ書かないとダメですね。

Q.好きな場面はどこですか。
A.椅子の場面ももちろんなんですが、最初に登場した場面で、一花さんがびくびくしてるのが、たまりませんね!
(その発想がもうめちゃくちゃ悪い人だと思います)

「しほうななみはいい人だ」ってサブリミナルで入ってる、リラクゼーションのテープを流さないといけないと思うんです。
(ますます悪い人の発想だと思います)

嘘かほんとかを当てるゲーム。「生牡蠣は食べられますか?」とか、用意された質問に、ふみかちゃんが「好きですねー」とか答えて、その答えが嘘かほんとかを当てる。ある程度、ふみかちゃんが考えたらしい。NOW ONとかで散々「いい人です」って言ってたのが、じつは嘘でしたーってところから来ているわけですが、なかなかおもしろかった。

けっこうわからんのですよ。なんか照れ笑い的に答えていて、「こりゃ絶対嘘だな」というときもあるけど、まんまとだまされるときもある。役者だのー。(ちなみに、生牡蠣は食べられないそうです。だまされた。)

そこから発展して、黒燕尾はそんなに好きじゃないという話がありました。タキシードのほうがいいけど、タキシードも一番好きってわけじゃないのだそうです。(たしかに、黒燕尾よりタキシードのほうがお似合いだと思います。)

好きなのは、ベスト系。上着脱いでベスト! ってのが「萌え〜〜」なんです! (萌えってそういうとき使うのかな?笑) あとラテン系。サッシュベルトだけとか。本当の意味でスタイルが試されるじゃないですか!(またまた力説)

Q.具体的にはどういう…?
『カサブランカ』のゆうひさんとかー(わかるわかる! 私も大好き!)『アデューマルセイユ』の立さんとオサさんの「訓練はじめるぞ」っていう場面とかー

Q.ご自分の着こなしはいかがですか
私なりにけっこうイケてると思います!! (客席拍手〜)(イケてると思います。黒燕尾よりは(笑))

あと面白かったのは芸名の由来の詳細。

リカさんのファンだったので、あと、入りたいって思ったのが紫苑さんの舞台を見たときだったので、紫は絶対使いたかったんですけど。さらに、おとめに、リカさんと数年でいいから並びたかったんです! だから紫峰を考えたんですが、同期で、字は違うけど「しほう」を希望したのが3人もいたんですよ。で、下の名前はふみかで出したら却下され、大きい感じで、山と来たら海だねってことで適当に考えた七海がOKで、もう「しほう」が使えるなら下はなんでもいいという感じで。(かわいそうな「ななみちゃん」)あ、でも今では下の名前も好きですよ。中国の人に言わせると、すごーくおめでたい名前なんだそうです。しほうななみって。(そうでしょうね、とにかくでっかいですからね。)

…たしかにおとめで並んでました。名前。私がリカファンやってた間に、水面下で、こんなことが行われていたとは! つゆ知らず! 布石が打たれていたとは、おぬしも悪よのう〜。(あ、悪じゃないです、すみません、つい)

(しかし、芸名って一体誰がチェックするんだ? そんなに規制があるなんて、よほどセンスあるやつらなんだろうな?>劇団)(劇団に対して100%懐疑的)

私的 チケット獲得の歴史 [ヅカ的近況]

いろいろとチケットをとっていないことに気付いて、急いで探しはじめる。

『Studio 54』はポスターがいいから観てみたい。まりもちゃんが男前に踊ってくれるかもしれないし。というわけで、まずオークションで悪い席が安くなってないかチェック。…全然出てない。いい席が高く出てるけど、全然売れてない。なぬー。

仕方ない、ぴあをチェック。なんと、ほとんど全日程取り放題。ううーむ。『誰がために鐘はなる』も同様。そういえば、『はじめて愛した』も同じ状況だった。『リラの壁の囚人たち』もそうだったんだ。。。

私がディープなヅカファンになりたての2001〜2002年。チケットというのは取りにくいものでした。(以下、主に東京での話です)友の会で4枠全部入れても、まず当たらないものでした。ヅカの布教をしても、「でもチケット取りにくいんだよね」と注釈をつける必要があるぐらい。一般売りの日には店頭に並んだものです。最終的には、オークションで、悪い席でもせいぜい定価で買うのが普通。

(例外的に、『花供養』が2階席が1割も埋まってなくて驚愕したことがある。二度とこんなことはないだろうと思ったけど、2010年の大劇場の2階がまさに1割ぐらいの入りだったりする…!!)

ちょっと変わってきたのが、自分的には2006年の雪組『ベルサイユのばら』。ぴあで、平日だけど下手5列がとれた。2007年の『黒蜥蜴』でも同じあたりがとれた。チケットが取りやすくなってるんだ、とちょっとうれしかった。今思えば、危機感を抱くべきだったのかも。

この頃だったか、大劇場の阪急交通社貸切が半分ぐらいしか埋まってなくてちょっとびっくりしたことがあったし。

だんだんと、だんだんと、客が減ってきていたんだなあ。。。水さんがトップに就任した頃、「大劇場を満席にしたい」って公言していたものね。

それから2009年頃までは、友の会で平日夜A席を入力すればたいていは当たるから、入力しすぎないように、という感じで観劇していた。取りそびれれば、オークションで悪い席を値下げして売ってるのを選んで買ってた。もちろん演目にもよるけど。

でも、今はオークションにすら出ないのだ。つまり、ダブつかせると、値引きしても売れなくなってきたということ。だから、そもそも最初っから買わない。基本的に買わない。買いびかえる。どうしても観たいものだけ、後から定価でちょこっと買う。そういう客ばかりになってきたんだと思う。

はぁぁ〜。

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コードヒーロー終わってみて、タカラヅカ的美徳について思う [ヅカってなんだ?的記事]

仕事が忙しくて、東西あわせてたったの3回しか観ることができませんでした。もうちょっと回数を観たら、突き抜けてすべてが面白く思えたのでしょうか…??

楽の挨拶で、まあくんが泣いてたそうだ。そりゃそうだよね。こんなひどい作品で、しかも自分に合ってる役でもないし、不況もあるだろうしでチケット売れないし。でも最後まで主演として立派に責任を果たした。あの「なんでここでいきなり歌になる!?」的な、客席が笑っちゃうような場面も、笑うことなくマジメに演じ切った。変な歌詞も変な台詞も、すべて渾身で演じ切った。当たり前のことなんだけど、当たり前のことが大変な公演だったと思う。まあくん以外のみなさんも頑張っていた。そしてファンクラブも、それにこたえようと、いっぱい拍手してた。いっぱい笑ってた。盛り上げようとしてた。東京でさらにそれを感じた。

こういう現場にちょっとでも居合わせると、「あー、タカラヅカってうるわしいなあ」って思う。健気だもん。みんな健気に頑張ってるもん。より良くしようと、日々努力してるもん。ヅカファンとして、この健気さを支えてるんだわ、私! と「宝塚心のふるさと教」の(元)信者として泣きそうになる。

でも、そういう美徳が、危険と紙一重なんだよね。。。。

だって、誰も公式には「駄作」だとは言わない。「パワーのいる作品ですよね」と言い換える。「チケット売れてない」とは言わない。「是非またいらしてください」と言い換える。誰もが思っていることを、口に出さない。それがタカラヅカ。

これがお笑いだったら話は別だ。吉本新喜劇で某大御所の息子が登場すると、彼が演じている役柄に対して罵倒するはずの場面で、罵倒の台詞がだんだん「てめえに力があるわけじゃねーんだよ、親の七光だろ!」と本人への突っ込みに変化して、客席がどっとウケる。本音をずばっと言ってウケる。…タカラヅカだとあり得ないよねー。

タカラヅカは、より良くなるために、美しい建前を守るために、いろんなことを口にしないできた。いろんなことを美しく言い変えてきた。言わないで、生徒たちの頑張りでなんとかしてきた。ファンは言外のことも承知して、ついていってた。

そういった美徳が、ひっくりがえすと、口にしなければいけないことですら、口に出さない風習になっちゃうんだよね。みんなで話し合ったほうがいいこと、客観的に分析しなければいけないことも、表には出さない。何が正しいか、何が正しくないか、多くの人の前に開陳して諮らなければいけないことでも、すべて「無かったこと」にしてしまう。

美徳に続いてほしいと思う。健気であってほしいと思う。でも危険だ。

だからこそ、上手な舵取りが必要なのになあ。常識ある判断を上層部ができなくちゃいけないのになあ。細心の注意が必要なのになあ。一部の生徒の妄言にふりまわされてどうするよ。

また愚痴になってしまいました。

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あっ、ところで。ローズマリー(一花ちゃん)の病院の看護婦、めちゃめちゃあやしかったよねえ。いつ「クリストファー(ふみかちゃん)の手下でした」って出て来るかと期待してたのになあ。

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