少女仮面(芝居砦 満点星 1/26 19:30) [観劇メモ(ヅカ以外)]
この「春日野」のキャラは春日野八千代じゃないよなー。時代を考えると汀夏子だけど、今回の役者さん(水嶋カンナ)の等身バランスや顔立ちだと、順みつきだよねー。
と、「客席の処女」(この作品でヅカファンを指す言葉)は思ふ。
唐十郎が1969年に書いた傑作。宝塚について研究した本を読むと必ずと言っていいほど触れられているので、いつかは観たかった作品。
それがさー、道に迷って遅刻しちゃったんですよ。マンションの地下っていうけど、古い団地みたいな建物のふつーの階段降りてくなんて思いもしなかったよ。周りはお寺と墓地ばっかり、しかも東中野とか落合とかって駅前になんにもないし。最果て感が、アングラにぴったり。。。(横浜市民に言われたくないだろうが 笑)
そしたら「席がないんですー」とのこと。そ、そうだ、そうだった、アングラってのは狭い空間にギチギチ座るもので、席が何番とか決まってるわけじゃなかったんだ。もし「じゃあいいです」ってことになったら返金してくれるのかなあ(笑)。
「立ち見でもいいですか?」「あたぼうよ、こちとらヅカファン、立ち見には慣れてらあ!」とは言いませんでしたが(笑)、結局、立ち見(ご配慮で椅子も貸していただきました(ただし座ると何も見えない^^;)、2/3以上見切れる状態で見ました(上級生の○○さんがかっこいいから袖から観てたんですー、というジェンヌさんの気分だわー、とか思いながら観ていた「客席の処女」)。なので装置とかはよくわからず、全体像をとらえられていないとは思いますが、とりあえず1/3だけを観た感想。
スターとして生きて、13回結婚して13回堕胎して13回離婚して、いまだ引退しておらず、カフェ「肉体」を経営している「春日野」をめぐる物語。だからすごく荒唐無稽な話です。
アングラって宝塚の対局のように思われているけど、確かに宝塚が忌避する生々しさや下品さがあるけど、でも春日野が甘粕正彦とできてたとか、すごく荒唐無稽で、この異世界感は宝塚を観ているときとかなり似ている気がする。
春日野は自分を「肉体の乞食」だという。ファンを感動させてはいても自分は感動していない、自分の肉体はファンに奪われてしまった、と嘆く。
つまり、肉体と幻というのが、テーマ。
幻=宝塚スター、腹話術の人形、嵐が丘をさまようキャサリンとヒースクリフ。
ああ、私たちファンがスターさんをこんな目に合わせているんだよねえ、と劇場でいつも感じることを次々突きつけられて、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
だけど、腹話術師と人形が立場をかえて人形が女をはらませてしまったり。水を飲ませろというのに、実際には飲んでなかったり。
肉体と幻が次々入れ替わるから、深い。
春日野の老化にスポットがあたると(春日野は50代という設定、多分)、観る側だった「客席の処女」である自分が、急に、観られる側として感情移入できたり。ああ、「若い女」っていうのも幻の一つなんだ。
貝という少女が、春日野のファンとして訪ねてくるのだが、嵐が丘の稽古をする中で貝が春日野を引っ掻き回す。
「お前のようなかわいい子が今までどこにいたのかい」「目蒲線周辺!」…ウケる。
稽古と本気の区別がなく、本気で嘆く春日野に、「え、今のお稽古じゃなかったのお?」…イタい。
若い女は、肉体と幻の乖離を認識していないゆえに、残酷なのだ!!
(初演では吉行和子が貝、白石加代子が春日野だそうで。白石加代子のほうが年下だよね? 吉行和子が化け物みたいに若く見えるからいいのかな?)
この貝役が唐十郎の娘大鶴美仁音で、華があるし押し出しが強いしで、まだ大学生だというから、末恐ろしい。しかも、桜木みなとに似てる。(って誰もわかんないだろうなー)
次は1/3じゃなく、ちゃんと観たいです。戯曲も読んでみよー。
と、「客席の処女」(この作品でヅカファンを指す言葉)は思ふ。
唐十郎が1969年に書いた傑作。宝塚について研究した本を読むと必ずと言っていいほど触れられているので、いつかは観たかった作品。
それがさー、道に迷って遅刻しちゃったんですよ。マンションの地下っていうけど、古い団地みたいな建物のふつーの階段降りてくなんて思いもしなかったよ。周りはお寺と墓地ばっかり、しかも東中野とか落合とかって駅前になんにもないし。最果て感が、アングラにぴったり。。。(横浜市民に言われたくないだろうが 笑)
そしたら「席がないんですー」とのこと。そ、そうだ、そうだった、アングラってのは狭い空間にギチギチ座るもので、席が何番とか決まってるわけじゃなかったんだ。もし「じゃあいいです」ってことになったら返金してくれるのかなあ(笑)。
「立ち見でもいいですか?」「あたぼうよ、こちとらヅカファン、立ち見には慣れてらあ!」とは言いませんでしたが(笑)、結局、立ち見(ご配慮で椅子も貸していただきました(ただし座ると何も見えない^^;)、2/3以上見切れる状態で見ました(上級生の○○さんがかっこいいから袖から観てたんですー、というジェンヌさんの気分だわー、とか思いながら観ていた「客席の処女」)。なので装置とかはよくわからず、全体像をとらえられていないとは思いますが、とりあえず1/3だけを観た感想。
スターとして生きて、13回結婚して13回堕胎して13回離婚して、いまだ引退しておらず、カフェ「肉体」を経営している「春日野」をめぐる物語。だからすごく荒唐無稽な話です。
アングラって宝塚の対局のように思われているけど、確かに宝塚が忌避する生々しさや下品さがあるけど、でも春日野が甘粕正彦とできてたとか、すごく荒唐無稽で、この異世界感は宝塚を観ているときとかなり似ている気がする。
春日野は自分を「肉体の乞食」だという。ファンを感動させてはいても自分は感動していない、自分の肉体はファンに奪われてしまった、と嘆く。
つまり、肉体と幻というのが、テーマ。
幻=宝塚スター、腹話術の人形、嵐が丘をさまようキャサリンとヒースクリフ。
ああ、私たちファンがスターさんをこんな目に合わせているんだよねえ、と劇場でいつも感じることを次々突きつけられて、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
だけど、腹話術師と人形が立場をかえて人形が女をはらませてしまったり。水を飲ませろというのに、実際には飲んでなかったり。
肉体と幻が次々入れ替わるから、深い。
春日野の老化にスポットがあたると(春日野は50代という設定、多分)、観る側だった「客席の処女」である自分が、急に、観られる側として感情移入できたり。ああ、「若い女」っていうのも幻の一つなんだ。
貝という少女が、春日野のファンとして訪ねてくるのだが、嵐が丘の稽古をする中で貝が春日野を引っ掻き回す。
「お前のようなかわいい子が今までどこにいたのかい」「目蒲線周辺!」…ウケる。
稽古と本気の区別がなく、本気で嘆く春日野に、「え、今のお稽古じゃなかったのお?」…イタい。
若い女は、肉体と幻の乖離を認識していないゆえに、残酷なのだ!!
(初演では吉行和子が貝、白石加代子が春日野だそうで。白石加代子のほうが年下だよね? 吉行和子が化け物みたいに若く見えるからいいのかな?)
この貝役が唐十郎の娘大鶴美仁音で、華があるし押し出しが強いしで、まだ大学生だというから、末恐ろしい。しかも、桜木みなとに似てる。(って誰もわかんないだろうなー)
次は1/3じゃなく、ちゃんと観たいです。戯曲も読んでみよー。
ご覧になったんですね。私も19日に見ました。
とにかく大鶴美仁音がすごかったです。普通貝はあんなに存在感はありません。とにかく春日野中心の物語ですから。
ラストももっと早くに退場しますし、台本では春日野はひとり孤独に風呂桶の中に沈んでいく、で終わるんです。今回のラストシーンは金守珍オリジナルバージョンです。
ところで関西人の私にとって「めかません」はぴんときませんが、ウケるもんなんですね。それがわかってうれしいです。
by ちどり (2013-02-02 00:05)
ちどり様、ご教示ありがとうございます!
てっきり、貝と春日野がダブル主役なのかと思っていました。演出次第で解釈が変わりそうですね。ぜひ戯曲を読んでみたいと思います。
目蒲線は、絶妙なセレクションです(笑)。
by 竜眼 (2013-02-02 18:09)