ニジンスキー(宝塚バウホール 5/1 14:30) [観劇メモ]
(追記しました)
チギにこの役は合っている。強靭さ、繊細さ、透明感。(そりゃ、本物のニジンスキーのような跳躍力は到底無理だけども、そのあたりは求めていないからOK)美しいチギが悩んだり苦しんだり、あゆっちといるときにちょっとだけうれしそうだったり、それを観ているだけでも眼福。
作品としても破綻がなく、とてもわかりやすい。重い題材かもしれないけど、まとまってるから、そんなにどんよりしない。ミュージカルとしてはかなり綺麗。ニジンスキーとロモラが打ち解ける場面でのバラの使い方なんか、上出来。NOW ON STAGEで「原田先生は台詞と歌のつなぎとか、タイミングにこだわりがある」って話題が出てた。そういうセンスが「手堅い」と我々に感じさせる。
ただ、天才が自由を求めてうまくいかず狂ってしまう話、というのは、それだけでドラマチックだよねえ。まとまりよくて当たり前だ。そう考えると、『Je Chante』のときに「手堅い」と褒めたけど、デビュー2作目でも同じように「手堅い」だけなのは、いかがなものかと。。。。史実(原作みたいなもの)を、ヒロインの扱いを変えて、きれいにミュージカル化しただけなんじゃ…?? デビューあたりの作品では、「なんじゃこりゃ」と思われても、やりたいことが明確になっている作家のほうが、いいのでは。。。
だいたい、天才の狂気を描くには、人間心理が大雑把すぎる。たとえば、「独自の振付けで、肉体や若さではなく精神を表現したい」ってしきりに言うけど、その精神性をつきつめたら狂ってしまったということなの? それとも精神を認めてもらえなかったから狂ってしまったということなの? ディアギレフは自分の若さや才能しか愛してくれないけど、ロモラは精神を愛してくれたということ? 深い意味がありそうでいながら、つきつめないで曖昧なままだから、ニジンスキーに心底共感して観るところまでいかないのがとても残念。
それに今回は、役が少なすぎた。主要3人以外では、五峰さんと、あとはせいぜいシューマイぐらいしか印象に残らない。磯野さんがあんなチョイ役だなんて、きゃびいに何の役もないなんて、ありえへん。こういう点では、まだ『Je Chante』のほうが幾分マシだったよなあ。役が少ないってことが、わかりやすいの理由でもあるんだろうけど、宝塚歌劇としては×でしょう。
あゆっちは顔ぷくぷくで、そこが恵まれたお嬢様らしくて、ああ、こういうお嬢様なら苦労なんか知らなくてもその純粋さで天才の苦悩を癒すことができるのかもしれないな、と思わせてくれた。ミーマイでサリーがジャスパー卿の前で「顎で受け止めて」を歌うみたいな。って通じますかね? あのお爺ちゃんは下町っ子のサリーの気持ちなんかわかるわけないんだけど、なんか癒されるじゃん。(って、お爺ちゃんと一緒にされるあゆっち)
キタロウくんは久々のおヒゲがお似合い。ヒゲ好きな私はそこだけでまず、はふはふ。重厚な演技で立派な二番手ポジションでした。けど、どうしても「いい人」のように見えてしまう。ディアギレフはもっとイヤらしい人のイメージだったので、ちょっと違和感があった。でもそれはそれで、「この人も悩んでるんだろうなあ」と思える。
最後のほうでのあゆっちVSキタロウのバトルシーンはなかなか面白い。(でもこれ「おネエ同士のキャットファイトで」っていう原田諒の指示らしいんだけど、二人ともおネエキャラじゃないよねえ。)
五峰さんのバレリーナ姿はきれいだなあ。ちょっと年いった、でも現役バレリーナって風格が、いかにもそれっぽい。リサリサ、お高い女って感じできれいだなあ。出番少なすぎやろー。せしる、「愛」を経てメイクがナチュラルになった? キングのちょっと浅黒い感じで眼鏡でインテリっぽい嫌味な顔、なかなかツボ。翔ちゃんの女役は意味不明。大きすぎる。女役でブレイクさせたかったのかもしれないが、これは失敗だな。まあ、やってみないとわからないものだろうけど。
バレエの衣装はどれも綺麗だったな。
チギにこの役は合っている。強靭さ、繊細さ、透明感。(そりゃ、本物のニジンスキーのような跳躍力は到底無理だけども、そのあたりは求めていないからOK)美しいチギが悩んだり苦しんだり、あゆっちといるときにちょっとだけうれしそうだったり、それを観ているだけでも眼福。
作品としても破綻がなく、とてもわかりやすい。重い題材かもしれないけど、まとまってるから、そんなにどんよりしない。ミュージカルとしてはかなり綺麗。ニジンスキーとロモラが打ち解ける場面でのバラの使い方なんか、上出来。NOW ON STAGEで「原田先生は台詞と歌のつなぎとか、タイミングにこだわりがある」って話題が出てた。そういうセンスが「手堅い」と我々に感じさせる。
ただ、天才が自由を求めてうまくいかず狂ってしまう話、というのは、それだけでドラマチックだよねえ。まとまりよくて当たり前だ。そう考えると、『Je Chante』のときに「手堅い」と褒めたけど、デビュー2作目でも同じように「手堅い」だけなのは、いかがなものかと。。。。史実(原作みたいなもの)を、ヒロインの扱いを変えて、きれいにミュージカル化しただけなんじゃ…?? デビューあたりの作品では、「なんじゃこりゃ」と思われても、やりたいことが明確になっている作家のほうが、いいのでは。。。
だいたい、天才の狂気を描くには、人間心理が大雑把すぎる。たとえば、「独自の振付けで、肉体や若さではなく精神を表現したい」ってしきりに言うけど、その精神性をつきつめたら狂ってしまったということなの? それとも精神を認めてもらえなかったから狂ってしまったということなの? ディアギレフは自分の若さや才能しか愛してくれないけど、ロモラは精神を愛してくれたということ? 深い意味がありそうでいながら、つきつめないで曖昧なままだから、ニジンスキーに心底共感して観るところまでいかないのがとても残念。
それに今回は、役が少なすぎた。主要3人以外では、五峰さんと、あとはせいぜいシューマイぐらいしか印象に残らない。磯野さんがあんなチョイ役だなんて、きゃびいに何の役もないなんて、ありえへん。こういう点では、まだ『Je Chante』のほうが幾分マシだったよなあ。役が少ないってことが、わかりやすいの理由でもあるんだろうけど、宝塚歌劇としては×でしょう。
あゆっちは顔ぷくぷくで、そこが恵まれたお嬢様らしくて、ああ、こういうお嬢様なら苦労なんか知らなくてもその純粋さで天才の苦悩を癒すことができるのかもしれないな、と思わせてくれた。ミーマイでサリーがジャスパー卿の前で「顎で受け止めて」を歌うみたいな。って通じますかね? あのお爺ちゃんは下町っ子のサリーの気持ちなんかわかるわけないんだけど、なんか癒されるじゃん。(って、お爺ちゃんと一緒にされるあゆっち)
キタロウくんは久々のおヒゲがお似合い。ヒゲ好きな私はそこだけでまず、はふはふ。重厚な演技で立派な二番手ポジションでした。けど、どうしても「いい人」のように見えてしまう。ディアギレフはもっとイヤらしい人のイメージだったので、ちょっと違和感があった。でもそれはそれで、「この人も悩んでるんだろうなあ」と思える。
最後のほうでのあゆっちVSキタロウのバトルシーンはなかなか面白い。(でもこれ「おネエ同士のキャットファイトで」っていう原田諒の指示らしいんだけど、二人ともおネエキャラじゃないよねえ。)
五峰さんのバレリーナ姿はきれいだなあ。ちょっと年いった、でも現役バレリーナって風格が、いかにもそれっぽい。リサリサ、お高い女って感じできれいだなあ。出番少なすぎやろー。せしる、「愛」を経てメイクがナチュラルになった? キングのちょっと浅黒い感じで眼鏡でインテリっぽい嫌味な顔、なかなかツボ。翔ちゃんの女役は意味不明。大きすぎる。女役でブレイクさせたかったのかもしれないが、これは失敗だな。まあ、やってみないとわからないものだろうけど。
バレエの衣装はどれも綺麗だったな。
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