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ニジンスキーのすみれコード違反について [ヅカってなんだ?的記事]

バウ公演ニジンスキー、全体的な感想はあとで書くとして、まずは問題の…。

男同士の肉体関係をここまではっきり描いたのって、芝居では初めてだと思う。ショーで男役同士でチューするのは最近はよくあるけど、芝居で男役同士のチューをここまではっきりやったのは初めてなのでは? ショーなら一瞬だし、深く考えないけど、芝居だと二人の関係性とか、これまでのこととか思い起こさせてしまって、めちゃくちゃ生々しい。同棲してたんだ〜、同棲ね…うわーっ。

そういえば『studio54』でも、パトロン(越リュウ)がスター(みりお)の首筋にチューしてたな。保護者と被保護者という立場は今回と同じだ。でも首筋にチューなら、それだけかもねって選択肢が残ってるけど、今回はほんとのチュー。ディアギレフがニジンスキーにチューして、そのうえネクタイはずしまである。これはみんながザワザワするのも無理はない。

あともう一つは、「牧神の午後」の振りで、一人Hがはっきりわかる振付けになってたこと。

この2点が、作品の出来云々よりも目立ってしまう、いわゆる「すみれコード」を逸脱している点だと思う。

だけど、じつは私はこれらはそれほど気にならない。(特に2点目は史実通りにするしかない。)

むしろ、違うところが気になる。

それは、肉体関係を拒否するところ。キスシーンのあと、ネクタイはずしがあって、するとニジンスキーがディアギレフに「今日は疲れてるので、ちょっと…」って言うの。いやー、それは生々しすぎるでしょ。生活臭が出ちゃってるでしょ。キスシーン→ネクタイはずし→と来たら、暗転でしょ、タカラヅカ的には。そういえば『睡れる月』でも、やっぱり保護者(ヒロさん)と被保護者(かしげ)で、チューではないにせよ、そういう場面があった。けど、あれも暗転で終わってたはず。オトメにとって、キスより先のことはあいまいなまま、幻想的なままであってほしいのです。疲れてるから断るとかそういう生活臭は興ざめなんです。(これは男女の場面でも同じかも)

そして、一番、あ〜あと思ってしまったのが、最後の『ヴェニスに死す』のエピソード。ディアギレフは、気に入った男の子には『ヴェニスに死す』の本を渡すのだそうだ。『ヴェニスに死す』というと(私は映画しか知らないのですが)、年老いた男が美少年を追いかけ回す話でしょう。そこに文学的に深い意味があることはわかる。でも、タカラヅカの舞台で想起させないでほしかった。(気に入った男の子には『ヴェニスに死す』の本を渡すというのは、キタロウくんのお茶会で聞いたので、史実だと思ったんだけど、本当のところ、どうなんでしょう?)

なぜなら、我々ファンとジェンヌさんの関係みたいだから。いい年した女性たちが、自分よりずっと若くてきれいな女性に群がっている様子を、なんとか麗しい言葉で魔法をかけて成り立たせている世界なのに、魔法を解いてしまうような連想をさせないでほしかった。

原田諒はきっと、すごく真面目で、史実通りできるところは史実通りにしたかったんじゃないか。その真面目さで、ヅカファン(っていうか私一人かもしれないけど)のびみょーな心理を理解できないんじゃないか。という気がする。。。ヒロインをヒロインらしく変えればいい、というだけじゃないんだよ〜。

::::::::本家はコチラです→a posteriori takarazuka:::::::

ところで、ロモラが晩年追っかけしてたタカラヅカのスターって、誰なんだろう??
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