虞美人がやや眠い理由2=オグリ!が面白かった理由? [観劇メモ]
「不快」ってわけじゃないけど、「すげー面白い!」ってわけでもない『虞美人』。場面場面は盛り上がるし、言いたいことには共感するんだけど、脳内補完もできるんだけど、全体として高まっていかない。
のは、目の前に見えてない話が多いからじゃないかなー。
「だいたくきょうの反乱が起こった」とか。
「おうりょうをたった今殺してきたんだ」とか。
「こうりょうが死んだ—♪」とか。
「そうむしょうという男が」とか。
伝聞ばっかりやん!
「こうこうこういう理由で漢の国を与えられたが」
説明、なげーよ。
「釜を壊せ—!」
全然その動作してないし! …あとあと考えると、あー、あれが背水の陣なのね、と。
逆に、子期を接待するエピソードなんか、めっちゃテンション上がるよね。あとは、宋義のお稚児狂いと項羽との言い争いとか(しかも後ろに兵士が立ってるのがかっこいい)。目の前でその事件が起きてるから、頭で考えなくても納得できる。こういう場面がいっぱいあるといいんだけどなあ。
馬と鹿の話は、面白い。語り手がいて、伝聞ではあるんだけど、民衆が突然「役」になって演じているから、わかりやすい。
あっ、これと同じパターンが、『オグリ!』だ!
『オグリ!』の何が楽しかったかって、目の前で、荒唐無稽なお話が実際に展開されちゃうことですよ。あくまでも荒唐無稽な形でね。
小栗判官は説教節。つまり、言葉だけで語られるお話だった。言葉だけだからこそできる、荒唐無稽な鬼鹿毛や地獄や蘇り。それが次第に、人形で演じられるようになった。カラクリを使って、荒唐無稽なものをちょっとだけ形にしてみる。
まさにそれと同じことを、『オグリ!』はやってたんだ。馬のすっごい技を、ちゃっちいカラクリで見せる。馬のすごさを、ただでかいだけの馬の頭で象徴する。弓矢を素手でとるのも、カラクリだってわかるカラクリで見せる。荒唐無稽なことを承知で、目の前に見せてくれた。だから小気味よかったんだ。
でも、虞美人はね…、あんなに豪華なのにね…。
戦闘場面も美しすぎるし。エアー戦死してるし。
『王家に捧ぐ歌』の殺し合い場面とか、悪くなかったのになあ。でもあれは反戦がテーマだから必要な場面だったけど、今回は項羽の誠実さがテーマだから、そこまではしなかったんだろうなあ。戦いの場面をどこまでタカラヅカでやるかって、難しいよなあ。
::::::::本家はコチラです→a posteriori takarazuka:::::::
のは、目の前に見えてない話が多いからじゃないかなー。
「だいたくきょうの反乱が起こった」とか。
「おうりょうをたった今殺してきたんだ」とか。
「こうりょうが死んだ—♪」とか。
「そうむしょうという男が」とか。
伝聞ばっかりやん!
「こうこうこういう理由で漢の国を与えられたが」
説明、なげーよ。
「釜を壊せ—!」
全然その動作してないし! …あとあと考えると、あー、あれが背水の陣なのね、と。
逆に、子期を接待するエピソードなんか、めっちゃテンション上がるよね。あとは、宋義のお稚児狂いと項羽との言い争いとか(しかも後ろに兵士が立ってるのがかっこいい)。目の前でその事件が起きてるから、頭で考えなくても納得できる。こういう場面がいっぱいあるといいんだけどなあ。
馬と鹿の話は、面白い。語り手がいて、伝聞ではあるんだけど、民衆が突然「役」になって演じているから、わかりやすい。
あっ、これと同じパターンが、『オグリ!』だ!
『オグリ!』の何が楽しかったかって、目の前で、荒唐無稽なお話が実際に展開されちゃうことですよ。あくまでも荒唐無稽な形でね。
小栗判官は説教節。つまり、言葉だけで語られるお話だった。言葉だけだからこそできる、荒唐無稽な鬼鹿毛や地獄や蘇り。それが次第に、人形で演じられるようになった。カラクリを使って、荒唐無稽なものをちょっとだけ形にしてみる。
まさにそれと同じことを、『オグリ!』はやってたんだ。馬のすっごい技を、ちゃっちいカラクリで見せる。馬のすごさを、ただでかいだけの馬の頭で象徴する。弓矢を素手でとるのも、カラクリだってわかるカラクリで見せる。荒唐無稽なことを承知で、目の前に見せてくれた。だから小気味よかったんだ。
でも、虞美人はね…、あんなに豪華なのにね…。
戦闘場面も美しすぎるし。エアー戦死してるし。
『王家に捧ぐ歌』の殺し合い場面とか、悪くなかったのになあ。でもあれは反戦がテーマだから必要な場面だったけど、今回は項羽の誠実さがテーマだから、そこまではしなかったんだろうなあ。戦いの場面をどこまでタカラヅカでやるかって、難しいよなあ。
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