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BUND/NEON 上海 犯罪被害者の会 [観劇メモ]

この作品、作りとしてはすごく上手なんだよね。何度観ても退屈しなかった(主役二人の場面以外は)。ミュージカルの作りとしては、最初からこれだけ出来ていれば優秀! すごい新人があらわれた!! と思う。さすが小池の弟子(らしい)。

けど、話の論理はめちゃくちゃなのだー。サスペンスがサスペンスになってないことも、もちろんなんだけど。

そもそも、劉衛強の名前がわかってるなら、そこから調べればよかったのでは? いきなり大ボスの杜月笙にコンタクトをとるって、アホとしか〜。

…Mr.ブレナンって、本当に無謀というか、無策なんですね。@胡烔華

それなのに優秀ってことになってるのが不思議だなあ。まあくんの立ち回りはチョーかっこよくて、優秀の片鱗が見えるけど、話としては、全然優秀じゃないのだ。トホホ。

そして致命的なのが主役二人が主役になっていないこと。主役だから、当然クリストファーとミシェルの場面が多いのだけれども、そこでは話が全然動かなくて、眠くなっちゃうのよー。

コキュートスという裏切り者が凍っている川がサブタイトルであるにも関わらず、クリストファーには裏切ったとかいう罪が一切ないのが、まず変じゃない?

かろうじてミシェルには、妹を憎んでいたという罪があるから、最後の告白シーンがドラマチックっぽいけど。でも、たいしたことじゃないよね。「あたしがいかに最低な人間か!」って言ってるけど、「いや、それ、たいしたことないから」と客席中、誰もが突っ込んでいる。

ミシェルが事件に荷担してたら面白いのになあ。実質、見殺しにしたんだろうけれども、それをはっきりとは描いていないし。

最近、犯罪被害者の人権ということが言われています。加害者の人権を守ることが優先されてきたけど、被害者だって世間の目にさらされて大変なんだぞ、メンタル面も大変なんだぞ、と。もちろん、遺族も。

法的な問題だけじゃなく、文学の世界でもそういう意識が必要なんじゃないかな、と思った。だって、被害者より加害者のほうがドラマを作りやすい、ってのが伝統的にあるじゃないですか。俺は悪者なんだぜ…というほうが、ドラマチック。でも、本当は、被害にあった人、その家族や恋人ってのも相当、心に傷を負うわけで。まさにそこが、描けていないわけです。

せめて、ハリー作品みたいに遊び人になっちゃってるとか、たっくん作品みたいにやる気なくて閑職についてるとか、そういう目に見える状況にはできなかったんだろうか。恋人を殺された心の傷、は歌詞だけで示すのは足りませぬ。

でも宝塚は、白いヒーローが主役のことがほとんどなんだよね。昔ながらの娯楽作品のお約束、そして「清く正しく美しく」のお約束がどうしてもある。でも作家は文学作品ぽくしたくて。そうすると、簡単に描きやすい罪人のほうにフォーカスをあてちゃう。…植田景子の描く男性が、パーフェクトすぎてつまらないか、ひねくれものすぎて共感できないか、どっちかになっちゃうのと似ている状況なのではなかろうか。。。

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