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オペラ・ド・マランドロ(東京芸術劇場中ホール 7/30 19:00) [観劇メモ(ヅカ以外)]

ベガーズオペラ(≒三文オペラ)の真意がわかったよ!! ベガーズオペラを観たとき、なんか面白そうなんだけど、本当のところは理解できてないな…と思っていたんだけど、今やっとわかった、オギー(荻田浩一)ありがとう!

注:1728年にイギリス人が書いた「ベガーズ・オペラ」を、1928年にドイツ人のブレヒトが「三文オペラ」にして、さらに1979年にブラジルで改変されたのが「オペラ・ド・マランドロ」。ふ〜。

とりあえず、ブレヒトの目指した演劇が、劇的演劇ではなく叙事的演劇である、エモーショナルなミュージカルを期待したら間違い、ということだけ頭に入れておいた。(叙事的演劇=観客に批判的な思考を促して事件の本質に迫らせようとするもの、だそうです。)

舞台は1941年のブラジル。ヤクザ(マランドロ=ならずもの)や売春婦が住んでるような街で、言ってみれば壮大なジャンケンが行われている。密輸業者(別所哲也)が結婚した女は、売春宿の娘(石川梨華)。売春宿のお父ちゃん(小林勝也)は刑事(石井一孝)に金を貸している。刑事は密輸業者の幼馴染で、元彼女(マルシア)をとられたことがある。元彼女は今は密輸業者の愛人で、例の売春宿につとめている。AはBに強く、BはCに強いが、CはAに強い。大人数でこれをやってて、相手が変わると力関係が変わり、立場が変わると上下関係がガラリと変わる。手下としてこき使っていたやつが、いきなり看守になって自分をいじめにかかったり。トランプの「大貧民」みたい。しかも、力の見せつけ合いはあくまでも脅しであって、それが楽しいコミュニケーションでもあるみたい。(こういうところは日本人の文化ではなかなか理解しにくいところ。)「○○されたくなかったら××しろ」「××するからその前に○○をやめろ」(にらみ合い)。猫の喧嘩か。

壮大なジャンケンが次々繰り返されると、だんだんと、刑事も娼婦もオカマ(田中ロウマ)も密輸業者も、みんなフラットな場所に立ってる、平等な存在なんじゃないかと思えてくる。刑事は賄賂をもらい放題だし、売春宿のお父ちゃんが娼婦たちに「お前たちに労働組合を作ってやろう」などと言いだすし、正義とか法律とか秩序なんて、完全に無視。諧謔の極み。これって、ひとつの希望だ。夢だ。貧しくて、毎日混乱した生活をしてるけど、でも、どうせみんな平等な存在なんじゃないの? 「王様になったらどうする?」と娼婦やマランドロたちが歌うナンバーを聴きながら、なるほど、だから、ベガー(乞食)のオペラなんだ!! と腑に落ちた。

舞台がブラジルに置き換えられているのもいい。なんたって、金。今でも貧富の差が激しいブラジルでは、日本では想像もつかないぐらいお金に露骨らしい。しかも、すごいインフレ。一か月前の2億が、今の200億なんて言われてて、「億」の単位だけで、お金がいかに重要で、同時にいかに馬鹿馬鹿しいものかがわかる。金は、いわばジャンケンの切り札だ。身分制度とか生まれとかと関係なく、金さえあれば、なんでもできる。幸せになれる。それもまた、ある種の平等、夢だよね?

登場人物の設定も、300年以上前の「乞食王」とかよりはわかりやすい。乞食だけどリーダーで裕福って、頭ではわかるけど、実感としてわかんないもん。乞食王は売春宿のお父ちゃん。盗賊は密輸業者。現代でも通用するもんね。

ブラジル、しかも1941年に限定したのもちゃんと意味があることらしい。ブラジルって、途中まではナチス寄りだったのが、最終的には連合国側につくのね。知らなかった。物語が「さてどうなる」ってところで、その劇的な変化が訪れる。みんな平等でフラットな存在、そんな夢を見てたけど、社会全体が大きく揺り動かされてしまう。「大貧民」でいうところの「革命」だ。密輸業者の妻が、組織を合法的な会社にしようとするところも象徴的。「これから時代は変わるんだから、近代的なビルにオフィスを置いて」と語る彼女は明らかに異質で、マランドロの世界をぶっ壊す存在だったのだ。実はヒロインが一番悪いヤツ。その足の下には、牢獄に入った夫がいる。。。

そして最後は。

「持ち前の機知とバイタリティで泳ぎ切ろうとした社会の波間に最後には砕け散る、その立ち行き難い現実の哀れと虚しさを、せめて空々しく笑い飛ばすラストのドンデン返し、またの名を楽屋オチ。それもまた、この物語の遺伝子な気がします。その暴力的な強引さは、せめてそこが最後の夢の在り処だと訴えているかのようです。……この世界の外が。」(パンフのオギーの言葉より) 

なるほど、だから劇中劇なんだ!! 劇中劇であることも、ずっと理解できなかったんだよね。でも、クライマックスで夢破れそうになったとき、「これ、単なる芝居だから」「俺たち、ただの役者だから」と、フラットであること、平等であることをまた示してくれる。芝居が解体した外に、まだ夢があるって思える。しかも、その転換が行われるのが、オカマ役のナンバーだというのもまた象徴的なのだ。男と女の境界をフラットにする存在だから。

ステージングがタカラヅカ時代に見慣れたオギーのショーみたいで、とーーーってもうれしかった。振り付け、DIAMOND☆DOGSの面々やアンサンブルの舞台での居方が、もう、もう、オギーのショーなのよ〜。それに、オギーがこの仕事を引き受けたのは、音楽が好みだからなんじゃないか、と思うぐらい、音楽がオギーっぽくて心地よい。でも、フィナーレで突如登場するサンバチームは不要だと思うなあ。世界観と合わない。

売春宿のお父ちゃん役の小林勝也が上手い! かっこいい! 声がいい! 文学座の人なのか〜。いい人そうなのに、すごく悪賢くて、でも滔々としゃべられるとなんかだまされそうで、いいなあ。東山さんて踊りだけじゃなく、声も渋くて素敵なのね。石川梨華はあまりにもアイドル歌唱で引いたが、この世界とは異質の存在だということがわかったら納得。ハムの人の顔、好きなんです。ハムの人といい、石井さん、マルシア…濃い、濃いなあああ。キャストだけでもう、マランドロの世界だなあ。カリンチョさん(杜けあき)は売春宿のお母ちゃん。ちょっと持ち味が篤実すぎるけど、悪い人設定だから中和されていいのかな。濃いメイクがかっこよかった。アンサンブルに岡本茜(神月茜)がいて、きれかった。

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