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退団/在団は神の差配 [ヅカってなんだ?的記事]

五十鈴ひかり辞めちゃうのか。スカステの「なみだのでる歌」で同期の沢希理寿と歌ってたの、ユニット組めるぐらい、めちゃくちゃ上手かったのにね。「これは本当にタカラヅカの番組か?」って疑った(笑)。昔から歌では使われてきたけど、同期どうしで歌うまさんって、大変なのかしら。

って発想が、短絡的やねん。>自分

トウコ(安蘭けい)のサヨナラ番組で、かなり本音が話されてた。辞めようと思ってねったん(夢輝のあ)に相談しようとしたら、先にねったんに「辞める」って言われちゃって、辞めるの辞めた話(これはどっかですでに公開されてた話だと思うけど)。『バビロン』の肩ポンで次自分がトップだと思ってたのに違ってた話。ファンも「えー、あれで次トウコがトップじゃないんだ」って驚いたけど、本人も驚いてたんだね。

緑豆が「ジェンヌが退団する理由を、ついつい「いじめられたのかな」とか「見切りをつけたのかな」って短絡的に考えちゃうけど、そんな簡単な話じゃないんだねー」などと感想をもらす。たとえ寿退団であっても、やりたいことがある退団であっても、ましてやそれ以外の退団となれば、いろんなことが重なりあって、一言で「こうこうこうだから辞めるんです」とは言えないものなんだろうなあ。

それをジェンヌは「退団の神様が天から降ってくる」とか「天使がささやいた」とか言うのかもしれん。

神様だの天使だのの表現を、私は今まで「建前上言いにくいことを、きれいに表現する技法」と思ってたけど、そうじゃないんだ。本当に、神様が、天使がいるとしか思えないような、複雑で入り組んだ事柄で、すべてが重なりあうように符号したとき、退団の鐘がなるのだろう。もしくは、退団の鐘が鳴らされないのだろう。だって、そうでなきゃ、トウコが何度も辞めようと思ったのに最終的にトップになって辞めていく、そのいろいろの積み重ねは説明できない。トウコに限らず、どのジェンヌだって同じ。それは、外から見ている私たちファンにはもちろんわからない。最終的に「寿退団でした」とか「体調が悪かったからです」とか括られる理由であっても、その裏にあるさまざまな偶然を、逡巡を、神の差配としかいいようがない何かを、私たちはないがしろにしてはいけない。

今なぜか我が家では、麻尋しゅん絶賛祭り開催中。今まで「星組なのに、全然男役らしくない」とけちょんけちょんだったのに。『シークレット・ハンター』の新人公演をてきとーにつけていたら、家事をしながら耳だけ傾けていたら、「誰、このかっこいい男役歌唱は!? えっ、麻尋しゅん!?」…画面を見ないってのがポイントなんですが(笑)。歌はしっかり男役になっていたんだね。本公演だとここまで歌いこむほどの出番はないものね。うーん、もったいない。新人公演主役をやった人は、それだけ投資したってことなんだから、配当金を我々が受け取れるまで在団してほしいよ。

簡単に総括してしまえば、可愛らしすぎたということで終わってしまうのかもしれない。でも、ショーブランはニュースでちらっと見ただけでもかっこよかったし、男役らしさもあったんだ。和涼華も、簡単に総括してしまえば、成長期にタカハナ政権下にいて、もったいなかったということで終わってしまうのかもしれない。でも、リカルドでは演技に開眼したように見えたし、サヨナラ番組で目に涙をためてファンの人への感謝を語る姿には、それこそ神が差配したとしか思えない何かが感じられる。

我々ファンは、神の差配を慮るだけなのだ。

::::::::本家はコチラです→a posteriori takarazuka:::::::



(注:もちろん、一作トップとかの横暴に対しては、抗議しなきゃいけないけどね…)

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