舞姫(日本青年館 3/14 15:00) [観劇メモ]
現地妻を捨てたひどい男、太田豊太郎。突き詰めればそうなんだけど。世の中にた〜くさんある「外国で恋をして、エキゾチックで、でも帰国せざるを得なくって、そんな僕って可哀想(←女の可哀想さは眼中にない)」文学のひとつに過ぎないんだけど。
でも、植田景子版の『舞姫』は、原作ほどむかつかなかった。太田豊太郎も大変だったのね、と思えるから。
原作には明記されていない様々な人物を創作して、明治初期の留学生の苦悩を描いているのがいい。日本人社会のつきあいの難しさ、高圧的な上官、仲間内でのいがみあい、蹴落としあい、かといって西洋人から軽蔑されはしないかと怯え、一方で日本ではエリートともてはやされ、プレッシャーがのしかかる。特に、私費留学生の画家が死ぬところは、涙をそそる。留学したことなくても、21世紀の現代でも、こういうコンプレックスとか、肩身の狭さとか、普遍的なものだよなあ。
そんなぎりぎりの状況で生まれる恋! 『星影の人』を観たとき思ったけど、情熱的な恋とは、ぎりぎりの状況を生きる二人にしか生まれないものだよね。エリスもまた、貧困の中であえいでいて、底辺にいるもの同士が惹かれ合うの。これぞ、タカラヅカだと思うなり。(ま、現実にはヒマがなければ恋愛は生まれないんだけども、それはおいておいて)
さて、ぎりぎりの状況でなぜ恋愛に燃えるか。それは恋愛が自由だから。抑圧されて、だけど自我に目覚めた近代人がなぜ「恋愛」を発明したか、それは恋愛が自由の象徴だったから。人の望むことを機械のように実現してきたエリートが、初めて自分の意志で生きようとする、恋のために。いいよね、そういうの。おっと、このあたりって私が卒論でやったことだ(^^;)。だけどさ…、やっぱり、豊太郎は故国に帰って出世するけど、エリスは精神を患ってしまうのよね。『或る女』とか『アンナ・カレーニナ』も、自由=恋愛を求めたけど、女が結局損をしてしまうんだよなあ。(で、植田景子版の『アンナ・カレーニナ』はどうなんですの?)
ま、そういう突っ込みを頭で感じつつも、おかしくなったエリスが扇でかなめがえしをしようとするところで、うぐぐっと泣きそうになり、帝国憲法の草案を作るってことでなんだか仕事に燃える好青年ってことになっちゃって(これも巧妙だよなあ)、ラストで豊太郎が後輩に助言をするところで、爽やか青春物語〜、みたいに締めくくられ、結果、後味は大変よろしかった。
ひょっとしたら、女性が演じているっていうこともあるかもしれない。男性が演じていたら、「けっ、これだから男は」って思ったかもしれないけど、タカラヅカだから。それに脚本家も女性だし。男のあくどさのようなものがみじんもなく、男の良いイデアだけが舞台上に像を結んだのかもしれない。
みわっちは手足の短さが、西洋にいる日本人ということで問題なく(笑)、演技はさすがで、私も「とよ」とか寄り添いたくなる美男子ぶり。得意のはずの歌が音程取りづらそうだったけど、難曲ばかりなのかな? みわ×まつはもっとゲイゲイしいかと期待(?)してたけど、そうでもなかったな。しばらく見ないうちに、ちあきがすごいことになってた。みつるのキスシーンがすごい上達してた。ふみかちゃん、包容力満点でステキ。あんなパパがほしい。しかし、裏の無い役でファンとしては(え!?ファンになったの!?)ややつまらん。ま、自分的には20日まで、みわっち&ふみかのタレ目祭りっす!
メモ)確認したいこと。それぞれの役のモデルって、誰かいるのかな? 憲法草案に関わったドイツ人法学者って誰? そもそも森鴎外は憲法草案には関与してないよね? 当時の官報に免官って載るんだっけ? つーか今も載るっけか?
::::::::本家はコチラです→a posteriori takarazuka:::::::
でも、植田景子版の『舞姫』は、原作ほどむかつかなかった。太田豊太郎も大変だったのね、と思えるから。
原作には明記されていない様々な人物を創作して、明治初期の留学生の苦悩を描いているのがいい。日本人社会のつきあいの難しさ、高圧的な上官、仲間内でのいがみあい、蹴落としあい、かといって西洋人から軽蔑されはしないかと怯え、一方で日本ではエリートともてはやされ、プレッシャーがのしかかる。特に、私費留学生の画家が死ぬところは、涙をそそる。留学したことなくても、21世紀の現代でも、こういうコンプレックスとか、肩身の狭さとか、普遍的なものだよなあ。
そんなぎりぎりの状況で生まれる恋! 『星影の人』を観たとき思ったけど、情熱的な恋とは、ぎりぎりの状況を生きる二人にしか生まれないものだよね。エリスもまた、貧困の中であえいでいて、底辺にいるもの同士が惹かれ合うの。これぞ、タカラヅカだと思うなり。(ま、現実にはヒマがなければ恋愛は生まれないんだけども、それはおいておいて)
さて、ぎりぎりの状況でなぜ恋愛に燃えるか。それは恋愛が自由だから。抑圧されて、だけど自我に目覚めた近代人がなぜ「恋愛」を発明したか、それは恋愛が自由の象徴だったから。人の望むことを機械のように実現してきたエリートが、初めて自分の意志で生きようとする、恋のために。いいよね、そういうの。おっと、このあたりって私が卒論でやったことだ(^^;)。だけどさ…、やっぱり、豊太郎は故国に帰って出世するけど、エリスは精神を患ってしまうのよね。『或る女』とか『アンナ・カレーニナ』も、自由=恋愛を求めたけど、女が結局損をしてしまうんだよなあ。(で、植田景子版の『アンナ・カレーニナ』はどうなんですの?)
ま、そういう突っ込みを頭で感じつつも、おかしくなったエリスが扇でかなめがえしをしようとするところで、うぐぐっと泣きそうになり、帝国憲法の草案を作るってことでなんだか仕事に燃える好青年ってことになっちゃって(これも巧妙だよなあ)、ラストで豊太郎が後輩に助言をするところで、爽やか青春物語〜、みたいに締めくくられ、結果、後味は大変よろしかった。
ひょっとしたら、女性が演じているっていうこともあるかもしれない。男性が演じていたら、「けっ、これだから男は」って思ったかもしれないけど、タカラヅカだから。それに脚本家も女性だし。男のあくどさのようなものがみじんもなく、男の良いイデアだけが舞台上に像を結んだのかもしれない。
みわっちは手足の短さが、西洋にいる日本人ということで問題なく(笑)、演技はさすがで、私も「とよ」とか寄り添いたくなる美男子ぶり。得意のはずの歌が音程取りづらそうだったけど、難曲ばかりなのかな? みわ×まつはもっとゲイゲイしいかと期待(?)してたけど、そうでもなかったな。しばらく見ないうちに、ちあきがすごいことになってた。みつるのキスシーンがすごい上達してた。ふみかちゃん、包容力満点でステキ。あんなパパがほしい。しかし、裏の無い役でファンとしては(え!?ファンになったの!?)ややつまらん。ま、自分的には20日まで、みわっち&ふみかのタレ目祭りっす!
メモ)確認したいこと。それぞれの役のモデルって、誰かいるのかな? 憲法草案に関わったドイツ人法学者って誰? そもそも森鴎外は憲法草案には関与してないよね? 当時の官報に免官って載るんだっけ? つーか今も載るっけか?
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余計なお世話的コメント。
私の中では、みわっちは歌ウマカテゴリーには入ってないのですが…(汗)
でも実際、難曲なのかもしれません。どうなんだろう?
お芝居が上手なのは同意です。説得力ある役作りをするなーといつも思う。
あ、だからひどい話のはずが何だか泣ける話になってるのかしら(笑)
>タレ目祭り
みわっちとふみかの共通点はそこだったのかー!?
そしてそれは、リカちゃんへとつながる、と…。
雪組のにもレ目ちゃんを見つけたら、竜眼さんに通報、いやオススメしまーす♪
by ウミボ (2008-03-17 00:46)
えっっ、歌ウマカテゴリーじゃないんだ……(笑)。声がよく出てるってだけ? たはー。ほんと、歌の上手い下手がわかりませーん。ダンサー好きで耳が肥えてないってことで。
舞姫の曲は、なんというか、伴奏(?)と違う動きしてるメロディーが多くてつられそうだな、と思いましたです。
うん、タレ目好きなの。みらんも入れてね。通報お待ちしてます!
by 竜眼 (2008-03-17 21:43)