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エリザベート(5/19 11:00ほか 宝塚大劇場) [観劇メモ]

エリザベートってほんとに面白い話だ。じつは論理的には矛盾だらけなのだけれども、素晴らしい楽曲と設定があるから、多少ストーリーが揺らいで傾いても、微妙なバランスで浮かんでいられる。だから、むしろ傾きがあるほうが陰影を作り出して、いろんなふうに解釈できる、いろんなキャスティングで楽しめる。

でも、今回のエリザベートは今まで生で観た中では一番好きかも。むちゃくちゃ好きかも。一番、納得できたからかも。(生で観たのは花、月、今回。映像で見たのは星、宙。初演雪を見ていないので、えらそうなことは言えないです、差し引いてください)私が思っていた矛盾が、一番少ないキャスティングのように思えるんだなあ。それとも、自分がウィーン版を観て勉強しちゃったからかも? あと、ちょっとずつ演出が変わって、ボディーランゲージが明確になってる(だよね?)から???

矛盾というのは。

トートはエリザベートを愛したのならすぐに手に入れてしまえばいいのに、なぜそうしないのか。死神なんだから、愛した=殺す、でしょう。ラストでは殺してるじゃん。カタルシスを得てるじゃん。なのにずっと「愛したから殺さない」で話を進めてる。おかしい。

エリザベートは「強く生きる」と宣言して頑張ってるのに、なぜ死神が見えるのか? そんなイっちゃってる人なら、何度も死を拒絶するのはおかしい。

さらに、そんな矛盾だらけの中で、なぜラストで、エリザベートはトートを受け入れる決断をしたのか。「夜のボート」でフランツに見切りをつけたということ? いやいや、ずっと前から見切りをつけてるでしょう。おかしい。

これらの矛盾は、もとのウィーン版では全く気にならなかった。民衆全体に死への憧れがあるから。そもそも、死がエリザベートを愛してるっていうのは単なるレトリックなんだもの。だけど、ヅカ版では単なるレトリックを主人公にまで昇格してしまった。トートを主人公にして、民衆全体に漂う死への憧れも排除した。だから「死が人を愛する、では人が死を愛するなんてことがあるだろうか?」ルキーニの台詞どおり、いつもここがひっかかっていたのだ。

でもね。今回のトートは粘着質だった。エリザベートを追いかけるのが楽しい、死においやりたいけど、おいやる過程が楽しいから、できれば死んでほしくない、ってトートだった。たとえて言うなら…、銭形警部?? ルパン3世を追いかけるのが楽しいから、できればつかまえたくないの。でも、どうせつかまえるなら、自分の手でつかまえるぞ、と恋焦がれているの。「死は逃げ場ではない!」っていう台詞も今まで納得いかなかったんだけど、今回は「自分の恋をそんな軽々しく叶えさせてくれないでくれー」って意味に聞こえて納得がいった。ミズトートのあの「n」や「m」の発音がそう思わせるのかしらん。愛と死のろ~nnnnnn~ど~。やmmmみのーnなnかからーmmmみmつmmめてーいーるー。糸引いてますぜ。

エリザベートがトートを受け入れる理由も、トートが逆切れしたからなんだ、と感じた。(そう、この話の主人公はあくまでもトートなのだ!)最終弁論でフランツに「あなたは恐れてる、彼女に愛を拒絶されるのを!」と挑発されて、何ぃぃぃ、と怒って、エリザベートを殺すことにしたんでないのかねえ? 意外に小者なトートだな(笑)。

そして。今回のシシィは「少女」だった。力強く生きていこうとしている「人間」ではなく、あくまでも「少女」だった。少女とは異界とつながっているもの。だけど、現世での欲望を貪欲に満たそうとするもの。まさにシシィだ。だったら、姑に口答えし、だけれども死神も見え、ダイエットで身体を壊し、だけど生き生きと木登りをするのも、納得がいく。少女の狂気で成り立ってる役なんだ。昇天の場面でのとなみの表情がなんともいい。「うっとり顔」を通り越してた。かつて、アサコがエリザベート役をやるときに、「スカーレットは男役がやってもいいけど、エリザベートは娘役にしかできない役だ」と言ってる人がいたけど、今ならなんとなくわかる(アサコがダメだというわけではなく)。ああ、お花様のエリザベートを生で観てみたかった。。。

なるほど、エリザベートは「少女の狂気」という点では、少女歌劇に最適な人物なのかもしれん。しかも、この世のものではない美しく妖しい中性的なトートは、まさに男役。姑にいじめられて行き場がない少女が、トートの魅力に気づき、おののきながらもその腕の中に自分をゆだねるあり方は、ヅカファンそのものではありませんか。小池がエリザベートを輸入したという功績だけで一生食べていけるのも、無理はないよ。

ルキーニがトートを崇める動作をしているのも好みだった。この二人が連携してなきゃ話は成り立たない。(花組版へのこの点の不満は→http://www009.upp.so-net.ne.jp/ft2/koutenteki-zukafun/essey/dekiteru.html)今回中村Bが演出に入ってないからか? でも一方で(これはウィーン版でもありうるけど)、全部がルキーニの夢、ともとれるのね。そのルキーニの魂が100年、つまり現代まで生き続けている。やっぱり、これは退廃した現代の物語なんだろうな、そもそも。

今回の私の解釈はこうだけど、次観たら変わるかもしれないし、また別のキャストだと変わるだろうし。やっぱり面白い話だ。エリザベート。

::::::::本家はコチラです→a posteriori takarazuka:::::::


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