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愛と革命の詩 / Mr. Swing!(宝塚大劇場 9/7 11:00) [観劇メモ]

きれいだけど、それだけかなー。と途中までは観てました。

白天使と黒天使は善と悪らしいのだが、それがあまり効果的ではなくて、上っ面に思えてしまう。

というのも、主役二人が高潔すぎて。。。彼らは基本「白」。だからそれほどは葛藤がないのだな。もちろん、なんで死ななくちゃならないんだ、とか、急に貧しくなって大変だ、とか苦労はあるんだけど、我々凡人には「もともと高潔だから、別世界の人よね」的に映らなくもない。

そもそも、詩で社会を変革するという文化が日本には無いよね? 詩人=隠遁者、もしくは軟弱者。だから、シェニエさんの活動がイメージしにくい。そのうえ、シェニエさんが書いたという詩が、あまりにもふつーすぎて響いてこない。景子タン、こういうところこそ、脚本家の詩心が試されるところじゃんよ!

そんなわけで、きれいだけど、ちょっとひとごと、的な目で観ていたんですが。

裁判の場面で一気にもっていかれた。その後の、みつるの場面で完全につかまれた。

ここには凡人の葛藤がある!

裁判ではもちろん、ふみか議長をメインに観るわけですが、この方、「死刑」とあっさり(もしくは上から目線で)言い渡すことがほとんどなのに、シェニエさんには、もんのすごーーーく苦悩して、天を仰いだりしてから死刑を言い渡してるんですわ。ああ、議長が葛藤している、と気づいた瞬間、その場にいる凡人たちの葛藤がだだーっと理解できた。

一花&ふじP夫妻の苦悩たるや、すごいだろう。お嬢様を売ることになってしまったんだから。みりおは典型的に、善と悪で揺れている役(白黒天使はみりおの分身だと考えれば理解はできる)(みりおとみーたんの役が似ていると言う人がいるが、みーたんは黒の象徴だから全然違うと思う)。そして、みつる! 生きるために、あるときは貴族に媚び、あるときは革命政府に媚びてきた、シェニエの弟が、牢獄で死を覚悟した高潔な兄に抱きしめられるときの表情!! ぐわー。

そういうわけで、このクライマックスは素晴らしいと思いました。

きれいなだけに見えてしまうのは、主役の設定以外にも原因はあって、例えば音楽がそれほど勢いがないこともあるかなあ。主題歌はすてきだけど、全体的にミュージカルっぽくはない曲をミュージカルっぽくしている感じ。吉田優子先生にはナツメロ風のほうがいいのかなあ。でも裁判の場面はすごくよかったYO。

あとは細かな感想。
・冒頭の白天使と黒天使の振り付けが面白い。最初重なってるとき、どこが区切れ目かわからない(猫がだんごになって寝てるときみたいに)。
・ふじPみたいな夫がほしい。
・蘭ちゃんの貧乏になってからのグレーの服がすてきだった。
・きらりはいつまでたっても初々しいね~。じゅりあは権力のある女がぴったりだね~。
・がりん! 30秒ぐらい、誰だかわからなかった。紫ともさんみたいな、この美女はいったいだれだろう…、組替えってあったっけ、と本気で考えちゃった。マジかわいい。転向したほうがいいよ。台詞は一個しかなかったから、女声がどうかはわからないけど、もっと観たい。ファンの人はいやかなあ。。。
・蘭とむが、最後階段をのぼるときに、蘭ちゃんの手を握ると、腕にぐっと筋がたつのが好きー。そもそも腕まくりが好きー。

96期の朝月は、確かにミュージカルっぽい声ではある。変顔も、つらい状況からジャコバン党に心酔してしまう、かなりいかれた少女という雰囲気には合っているのかもしれない。乙羽は、踊ってるときはかわいくなったが、しゃべるとまだいまいちかな。私は、優波以外はまだ耐えられます。優波は視界に入れることすらできませんでした。ほんと無理。なので、あきらとキキも視界にあまり入れられず、残念でした。

景子タンは劇団に強いられているのではないかな。96期を使うように指示されていて、それを断ったらクビになる。もしくは、それを賢く察知して立ち回っている。そんな、みつるの役のような状況。なんちゃって。

話戻して。

ショーは稲葉にしては、舞台上がスカスカじゃない! コンセプトもはっきりしてる!(20から30年代のコットンクラブみたいなイメージでしょ?)

冒頭の黒スーツに赤い帽子がすてき! デュエットダンスの振りが新鮮! …どっちもヤンさん振り付けなんだね。野球の場面も全然寒くない、どころかむしろ楽しい。
 
総じて、知ってる知ってるって曲が多いのと、同じ場面でも人の出し入れとか、曲の変化とかがすばやいから、わりと退屈しない。

みーたんサヨナラ場面は泣けるし、特に、銀橋渡りが終わりそうなところで、みつるが出てきて「ひきとめるなよ」みたいな掛け合いとか(レベルがどうのではなく、芸能の種類として)、いまや宝塚のショーでなきゃ観られない種類のものなんじゃないか。

というわけで、ショーは初心者の人を連れて行ってもいいかな、と思っております。
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コメント 2

えりか

初めて書きませていただきます。凡人の葛藤があるという箇所に同感して 突然の書き込みをさせていただきました。
「愛と革命の詩」は、劇場では最後の場面で多くの方が泣いておられ、私とは違うストーリーをこのお話から読み取っていらっしゃるのだと思いますが、愛と革命の詩は色々な箇所で、さらに全体を通してみてもストーリーが破綻しているように思えますよね。
 私は蘭寿さんファンなので、蘭寿さん目線なのですが、今回の役は、シェニエ本人は、周囲の人が自分自身を映して自分の在り方を考えるための歪みのない「鏡」のような存在で シェニエ本人は動きようもない役だと思っています。
 竜眼のおっしゃるように、凡人たちの葛藤が伝わってくるためには、芝居の中心にいるシェニエの高潔さ、理想の高さが鏡となって、各登場人物が自分自身を映してみて、自分のもろさ、弱さ、みにくさ、つらさに気づくということないでしょうか?そ
うとでも考えないと主役って何?となってしまいますものね。
 象徴的なのは 牢獄でシェニエの弟(華形ひかる)と抱き合う場面で、シェニエ(蘭寿)が背中をみせて シェニエの弟(華形)の表情をお客様に見せている、つまり葛藤している側を見せているんですものね。
 さらに、シェニエ自身が死刑宣告をされた後の場面は 周囲は色々と動いていますが、シェニエ自身は言わず何もしないで(表情は変化していますが)1,2分以上中心にたち続けています。そういった中で耐えているというか?存在感を持ち続けられる蘭寿さんには敬意を表したいです。
 蘭寿ファンとしては、シェニエとして生きた蘭寿さんの懐の深さ、蘭寿さんの精神性の高さが舞台から伝わってくることに満足して、納得することにしました・・・
蘭寿ファンのぼやきでした。
by えりか (2013-09-23 13:09) 

竜眼

えりか様、はじめまして、コメントありがとうございました!
弟の表情が客席に向いていることが、シェニエが鏡であることの象徴だとは、慧眼です。死刑宣告のあとはそんなに動いていないんですか。いやはや。。。
こんなしどころのない役でも、蘭寿さんは輝いていますよね。こんなトップさんで良かったなあ、とつくづく思っています。でも、もっと動きのある役を観たい、とも思ったり。ファンの方なら、なおさらそうですよね。
懐の深さ、精神性の高さを、東京公演でもありがたく観させていただきます。
by 竜眼 (2013-09-28 23:36) 

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