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フォーエバー・ガーシュイン(宝塚バウホール 6/15 14:30) [観劇メモ]

平板で、表面的で、何がしたいのかよくわからない…。後に何も残らない…。不快ということはないんだけれども…。(コード・ヒーローみたいに「なんじゃこりゃあ!」のほうが、印象には残るかも…)

<テーマが無いから内面が描かれない>

ジョージ・ガーシュインとはどういう人だったのだろー。女性に人気、ポーカーフェイス、天才作曲家。キキちゃんがかっこいいから、モテるのも納得だし、天才なのもわかったけど、内面がさっぱりわからなかった。まあ、天秤座のチャラ男だから、悩んでないように見えるのは正解なんだけど、それにしても内面がわからなさすぎる。

★仕事の悩み?
唯一の挫折は、どうやらオペラが受けなかったことらしいのだが。そのことがどういうふうに彼を苦しめたのかがわからない。自分の音楽が理解されないこと? それとも借金を背負ったこと? マスコミに叩かれたこと? 全部? いきなりやさぐれた様子で出てきて、悩んでますと言われても…。

いや、まあ、「客席の後ろのほうに人がいないんだ!」という叫びは、誰もが「そ、その辛さはわかるよ!!」と冷え冷えしながら同意したと思うけど。(今の宝塚でその台詞はちょっとね…)

それとも、曲が書けなくなっちゃったことに悩んでたの? それはオペラの失敗のせいなのかな? それとも、ハリウッドと水が合わなかったってことなのかな? 才能の枯渇? 芸術家の宿命? 

「しょせんティン・パン・アレイ上がりだと差別される」という台詞もあったけど、それで苦労した場面がないからわからない。パンフによると野口幸作は、ティン・パン・アレイが今や面影すら無いことに衝撃を受け、それを描きたかったそうだが、ブロードウェイとハリウッドの違いや、時代の変化が、同じく説明台詞しかないから、実感として伝わってこない。曲ができなくなったのは、安易に有名人を叩くマスコミのせいでもあるのか。だったら新聞記者がもっと何かを象徴してたり、ガーシュインが死んだ後に何かコメントするはずなのに、それがないからわからない。叩いていたくせに、死んだらあっさり追悼しちゃう大衆の愚かさにもポカーン。

ひょっとしてテーマは、夢を取るか生活の安定を取るか、なのか。生活に追われたから曲が書けなくなった? いやいや、生活に追われる場面はなかったぞ。それに、夢と生活で大きく悩んでいたのはヒロインであるケイ。彼女が主人公になりそう。でもそこは結局、描かれてない。

★恋の悩み?
恋愛方面も、よくわからなかった。一瞬出会って、名前も聞かずに別れて、再会したときには相手の女性は銀行家夫人、ハイソな子持ち。でも音楽活動を手伝ってもらってラブ、らしいのだが。

そもそも二人の関係ってどうだったの。チューまでして、薔薇贈りあって。つきあってるんなら、子持ちのケイは悩むはず。でも悩んでない。家まであからさまに送らせないはず。でも送ってる。変。じゃあ、深い仲じゃないってこと? チューしておいて? 自分をおさえてるの? だったらそこで悩むはず。うーん、わからない。

一幕の最後で、銀行家が妻の不倫を新聞報道で知ってガガーン! 「終わりの始まり!」とか言ってるけど、不倫が夫にばれたぐらいで、作曲家人生の終わりの始まりってこたぁないだろう。よほど嫌がらせされて仕事がなくなるのならともかく。

ケイが、夫に「やつとの仕事をやめろ」と言われて、あっさりあきらめるのもわからん。理想的な妻を演じなければいけないという価値観? だとしたら女性の自立というテーマがもっと前にでてくるはず。そもそもどうして銀行家と結婚したんだ? 銀行家は、妻を愛しているから怒るの? それとも理想的な妻でないことに怒ってるの? 銀行家はどういう人なの? あきらがガシっと抱きしめるところが、なんかねっとりしてて(笑)、粘着質な人かなーとか思ったりしたけど、物語上はそうでもなかったし。なんでガーシュインの死後に離婚してるの? よほどのドラマがあったんだよね、夫婦間の。そこが知りたいのにー。

主人公すら内面が描かれないのだから、いわんやほかの登場人物もおしなべて…。生徒さんたちがもったいなさすぎる。

私は内面というものにとらわれすぎているのか? 近代的自我にこだわりすぎ? 大衆娯楽たるもの、記号だけで成り立っていいはず? 有名な人物がでてきて、定番の場面があって、死んで涙ー、みたいな。でも、そういう「ありがち」なドラマチックな演出も、ないのよね。。。

<良かった仕掛け>

唯一ウルっとしたのは、ラストに兄アイラがトランクの中の楽譜をもとにソングブックを作りたい、とケイに話す場面かな。これは、二人の演技が良かったんだけど。

そう、このトランクの仕掛けは良かった。冒頭でジョージが死んでいて、アイラはトランクの中の楽譜を見たいのだが、暗証番号が分からない→ケイが暗証番号を当てる、それはケイがジョージと出会った年月日だった、というところから時間が遡り、二人の出会いから話が始まる。しかも、出会いがトランクにまつわるものだったなんて、この作りは素敵(やっと褒めるところがあったぞ)。

<他の作曲家ミュージカル、カタログミュージカル>

作曲家の栄光と挫折を描いたミュージカルというと、『モーツァルト』、『Boy from Oz』が思い浮かびます。どちらも、最初成功して、挫折があって。若い時代から、死ぬまでを描いている。別に、重たいテーマはなくて、ただ一人の人の人生。だけど、どうして挫折したかが理解できなかったりはしない。自分とは違う天才の人生だけど、感情移入できた。感情に整合性があった。どうしてだろう。モーツァルトは大人になりきれなかった、ピーター・アレンはお調子者すぎた…同じか(笑)。そうか~、「本人が破天荒で自堕落すぎた」ってのは、宝塚じゃあ無理なのね、うーむ。

ふと気付いたんだけど、この二つってどちらもインナーチャイルド的な役があるね。アマデと、リトルピーター。子供時代が描かれている。子供のときに触れた音楽への愛が、最初にしっかり描かれてるってことだ。

この作品も、子どものときに兄アイラに買い与えられたピアノにアイラが興味を示さず、ジョージが音楽に目覚めた、という有名なエピソードを入れれば良かったんじゃないか? 少なくとも。そして、その時のナンバーはI Got Rhythm! うん、それがいい。

そうそう、カタログミュージカル(ある作曲家や歌手の音楽だけを使うミュージカル)かと思ってたんだけど、そうでもなくて、ガーシュインの作品は基本、劇中レビューで使うというのがまた残念(そうでないところも若干あったけど)。ジョージがケイを思う場面で、But Not For Meを使えばいいじゃないか。銀行家がケイを思う場面では、Embraceable Youを悲しげにアレンジして使えばいいじゃないか。ブツブツ。

<ショーとして?>

いっそ、ショーとして観るべき? けど、ショーとしても別に目新しいことはないのであった。。。。

原田諒のデビュー作も、一人の人の人生を追っていながら、内面はぜんぜん描かれてなかったけど、BGの入り方なんかが上手で、テクニシャンであることだけはわかった。でも、野口幸作はテクニシャンでもないんだなあ。レビュー場面がいっぱいあるけど、楽しいは楽しいけど「わあすごい!」「これがやりたかったんだね!」という場面はないの。ガーシュインに特化していながら、あの時代の雰囲気っていうものが伝わってくるわけでもなく。宝塚の典型的な場面の羅列という感じ。

二回目、注意して観ていたら、音楽が何気なくガーシュインを取り入れていたり(銀行家が妻を抱きしめながら歌うのはHow Long has this been goin' on?)、照明が工夫されていたりすることはわかった。でも、融合してないから、伝わらない。スタッフに優秀な人を集めても、統括する演出家にしっかりしたテーマやプランがないと、意味がないのだなあ。

フィナーレの曲のアレンジは面白かった。斬新。

一方、追悼コンサート最後の「誰も奪えぬこの想い」(They can't take that away from me)のアレンジは変だった。いや、人間が描かれてないのに「追悼」で盛り上げようとするから、白けたのかな。こういう場面でも感情を入れられるジェンヌさんたちってすごい、と頭が下がるのみであった。(ソルフェリーノの幕前での兵士たちの歌を思い出したよ)

<キャストについて>

芹香さんの、真ん中ぶりはすごかった。母性本能くすぐる感じもイイ。「僕を置いていくの?」だって!

たそのアイラがイメージそのもので。ご遺族にも見せられるアイラなんじゃないか。オタクでちょっと空気読めないけど、すごく優しいの。「一人にしてくれないか」って言われた後の表情とか、絶妙。アイラとジョージのツーショット写真がほしい!

仙名さんのヒロイン、けっこうヒロイン然としていてよかった。なんたって、声がいい。やや自立しすぎているかもしれないが。やや顎が長すぎるかもしれないが。チューのあとのうっとり顔はしっかり娘役芸ができてるし、いいじゃん、こういう人がトップとかになっていいと思う。歌ウマで、しっかりしていて、ヒロイン顔ではないかも、というのは和音美桜を思わせるから、東宝ミュージカルでヒロイン狙ったほうがいいのかもしれんが、私の好みはこういう大人っぽい娘役さんだなあ。

マイティは台詞が滑らか、清らか。とても聴きやすい。堂々としているし、将来が楽しみ。ユズカレー君は、歌うと「あちゃ~」で、タニをほうふつとさせた。(それだけ華があるってことよ。)

まりんさんとか、いちかさんとか、ふみかもだけど、らいらいも、なんだかなあな使われかた。あきらも二番手のはずなのに出番少なすぎ。きらりもいい役なのにせりふは一つか二つ。らいらいは有名な歌手の役なのに、歌ないし。和海しょう君もソロあったけど、もそっとかっこいい体裁にしてあげればいいのに。

らいらいのアーウィン・バーリンが売名行為に熱心だったとか、和海しょう君のアル・ジョルソンの黒塗りは黒人差別の芸だったとか、随所に豆知識がでてくる。そういうのって、オタク体質の私としては大好きなのに、ぜんぜん響いてこないんだなー。世界観があってこそ、細部を知りたいもの。世界が成立してなかったら、細部に仕掛けがあっても魅力的には見えないのだ。(っと話が元に戻ってしまった)

船のチケット切りの子、美花梨乃か。最初、ちっちゃいウメちゃんかと思った。いいねー、こういうところで面白い役者がぽっと発見されるのが、宝塚の楽しみの一つだよね。綺城ひか理はゆうひさんに似てる、飛龍つかさはまなはるに似てる。

蘭舞はますます顔が毒々しい。朝月は写真ではかわいいのに舞台だと「たくらんでる」顔だ。乙羽は美人ではないが毒気はない。。。。裁判記録を読んで感じた印象に左右されているのか? いやー、やっぱり舞台って人柄がでるんだと思うなあ。

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とも

まったく同じ意見でびっくりしました。
キラキラした役者さんが多かったので楽しみにしてたんですが…。
一緒に観た友達はショーが多かったから、別に…とのことでしたが
やっぱりバウには話に冒険、濃さ、深さを求めてしまう…。

タソさんの演技には本当に感動しました。
あの学年ですごすぎる!
同じシーンで涙ぐみました。
バウだからこそ、抑えた演技が光るんでしょうか?
by とも (2013-06-23 00:48) 

竜眼

ともさん、コメントありがとうございました、同じ意見の方がいて、うれしいです!!
スカステのバウに関する番組で、草野先生が「バウは冒険の場であるべき」と話してました。
なんとなくショー場面でごまかして、時系列に並べました。なんて、もったいなさすぎです。
それだけにタソの演技は光ってましたね。あの脚本であれだけ深められるなんて。本公演でもいろんな役が見たいです。
by 竜眼 (2013-07-06 18:52) 

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