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遅れてきたスター春日野八千代 [ヅカってなんだ?的記事]

気になっていた新聞記事をやっと読みました。

有馬稲子様が9/4の日経朝刊「喪友記」(最終面)に、春日代八千代様について書いていました。

「宝塚と聞いて誰もがイメージする、男役と娘役の華麗な恋、まばゆい衣装や大階段、心ときめく音楽や踊り、そうしたことはすべて、春日野さんがいて、初めて舞台芸術として確立し、それを後輩たちが守り受けつぐことで、世界に誇るレビューに育てあげたのです。」

…ちがーーーうっっ!! byトート閣下

まあ、その場に居合わせていないのでわからんのですが。当時の『歌劇』を読んだだけですが。しかも、大スターで、超キュートな有馬稲子様に物申す形になってしまって恐縮なんですが。

昭和5年の『パリゼット』で白井鉄造のレビューが始まり、ロマンチックな、おフランス仕立てな、パステルカラーの、おおがかりな舞台装置の、淡いラブストーリーの、という、今でいう宝塚らしい要素がどんどん登場して、数年の間に確立されていきます。

まずスターになったのは、エッチン&タッチン(橘薫&三浦時子)という、今からしたら「男装の麗人」扱いの、ジャズ歌手のコンビ。それから、大空ひろみという、子役的なスター。「うちのパパ」という曲で人気が出ました。今の系譜につながらないから、あまり触れられないですが、みなさん大スターです。

小夜福子も人気です。小夜はいわゆるフェアリー系のスターさんで、この頃すでに何度も主役を演じています。また、昭和7年1月の『サルタンバンク』で、よっちゃんの同期である葦原邦子が主役を演じ、大人気となります。葦原邦子は歌が上手く、男らしいタイプです。大体、フェアリー系の小夜、アニキ系の葦原が並び称される感じ。

一方、この頃のよっちゃんは、「月組の中堅」(『歌劇』昭和7年11月号)。昭和8年初めに、天津乙女が休演し、小夜福子が天津乙女のおはこである鏡獅子の代役をつとめますが、小夜の代役がよっちゃんでした。そういう位置付けです。よっちゃんは昭和8年5月に『ジャンヌの扇』で初めて主演しますが、これは中劇場(今でいうバウホール?)ですから、葦原にはかなり遅れています。

だから、夢夢しい宝塚が出来始めた頃、よっちゃんの前にも、大スターはいたんだよおおおお。

だって、葦原邦子と同期なんですよ、よっちゃん。なのに、葦原邦子のほうが先にスターになった。この違いは、なんなんだろう。(男役をやったのが遅かったせいもあるんだろうけど…)

ふと思った。マイクの有無なんじゃないか!!?

葦原邦子は歌ウマさんで、声量があったそうです。マイクが導入された昭和9年より前でも、バリバリに歌っていたことでしょう。エッチンタッチンも大空ひろみも、歌で人気が出た。でも、よっちゃんは全く歌ウマさんではない。「劇団はスターにしたいのかもしれないが、あの歌のうたいようでは心細い。」(昭和8年3月号)なんて書かれてます。マイクが入ってからのほうが、ずっとそれらしくなったことでしょう。

ではなぜスターになったか。「色気」だよ「色気」。きっとそうだ。「油壺から抜け出たような色気」「眼に色気がある」なんて書かれてました。「色気」というタームが出てきたのは、よっちゃんが初めてかもしれないですよ。

だから、よっちゃんの功績は、「男役と娘役の華麗な恋、まばゆい衣装や大階段、心ときめく音楽や踊り」の確立ではなく、「男役の色気」の確立だと思うんです。我々がきゃあきゃあ言ってる「ターコさんのあの床ごろごろが!」「マリコさん包容力ハンパない!」「蘭寿さん腰の動きがヤバイ!」とかの確立だと思うんです。(例に私の趣味入ってますが、お好きなスター名とお好きな形容詞を入れてください)

だとしたら、やっぱりよっちゃんはすごい、我々はいくら感謝してもし足りない。それに間違いはない。

って話なのでした、はい。

(注:『歌劇』の引用は主旨です。)

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