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マイフェアレディを見ながらミーマイを思う、上流階級への複雑な思い [観劇メモ]

マイフェアレディがメイフェアレディの訛りだと知り、かの有名な作品を映画で見てみた。

言語学者ヒギンズ教授が、人々の言葉づかいから出身地どころか出身校まで当ててしまうのは面白いが、そこで「こんなの正しい英語じゃない!」と矯正しようとする考え方に、まずムカっ。

差別じゃん、それ。どんなしゃべり方だっていいじゃん。階級や出身地で差別して、独自の言葉を無くそうとするなんて、ひどい!!! 大体、言語学者なら、いろいろな言葉を保存しようとするものではないの??

…でも、私のこの感覚自体もまた、差別的なんだろうね。

だって、イライザは、「街頭の花売り娘じゃなくて、もっとちゃんとしたお店の店員になりたい、楽な生活がしたい」って、発音を矯正してもらいに自らやってくるんだもん。

寝るところ、食べるものに不自由しない生活がしたい、そのうえチョコレートが好きなだけ食べられるなら、幸せ。そういう願いを、「差別だ」と言って断ち切るのもまた、良くないことだ。

日本はあまり階級差がないから、ぴんと来ないよ。

そのうえ、発音の違い(「えい」を「あい」と発音する等。)で階級が表わされるっていうのも、ぴんと来ない。日本で笑われる言葉というと、「ずーずー弁」? でも、地方の言葉であって、同じ都市の下層階級の言葉ってわけじゃないからなあ。日本で、言葉で階級差を表すとなると、やっぱり語彙になってしまうよね。だからミーマイでも「ズージャ」と言ってみたり、「くたばっちまったのさ」とか砕けた語彙を使うようにしてる。…ミーマイの現地版は、どうなんだろう??(7/18追記:ロンドン版CDで、「えい」の発音を「あい」って言ってるのが聞き取れました。(例:take=たいく)特にランベスウォークにはそういう単語が多用されてる!)→労働者階級で「ジャズ」→「ズージャ」みたいに言葉をひっくり返すのは、イギリスでもよくあるらしい。へ〜。

ミーマイでは、貴族たちがかなり怠けた人間に描かれ(でももちろん憎めなくて、いい人たちなんだけどね)、下町の人たちも、品はないけどいい人たちで、むしろ貞操観念とか、分をわきまえたところは、よっぽど出来た人たちに思える。そんなビルとサリーが、上流階級に仲間入りするのは、下層階級による上流階級への、ある種の勝利なんじゃないの!?

マイフェアレディもそういう見方で見ることもできる。ヒギンズ教授がイライザを人間扱いしないあたり、ますますムカっとするんだけど、最終的には、ヒギンズ教授に自分を人間と認めさせ(たのかな? そう思わせるエンディング)、まんまと上流階級への復讐を果たした。っていうお話なわけ。

けど、当然、そんな一面的な話でもないわけで。

イライザのお父さんは、ヒギンズ教授の冗談から起きた出来事で、いきなりお金持ちになっちゃって、逆に行動の自由がなくなっちゃったと嘆く。ランベスウォークを全員で勢い良く歌い踊るとき、やっぱり下町っていいなー、とも思う。

上流階級への羨望と、下町の自負。そういうものが共存してる、、、、いや、この二つは別に背反するものではないんだな。同じことの裏返しなんだ、きっと。だからやっぱり、主人公はイライザであり、ビルであり、サリーなんだよね。

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