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『宝塚BOYS』に関する言説と、ヅカに対する偏見についていろいろ [ヅカってなんだ?的記事]

藤本真由さんの『宝塚BOYS』についての記事が気になる。→オフィシャルブログhttp://daisy.eplus2.jp/article/45542516.html

「「清く正しく美しく」とは何も、「清く正しく美しくない」ものを排除して成立する概念ではない。それは、「清く正しく美しくない」ものを超えてなお「清く正しく美しく」あろうとする精神、すなわち、一見「清く正しく美しくない」ように見えるものからも「清く正しく美しく」あるものを見出そうとする精神なのである。」

いいこと言うなあ!

で、『宝塚BOYS』が「「清く正しく美しくない」ものを排除して成立する概念」のほうを描いていたかどうか、は私にはわからないけれど、気になったのは次のところ。

「このあたりの取り違えこそ、世間一般の宝塚歌劇団に対するもっとも大きな誤解に他ならない。」

ほー。私はかつてヅカファンでなかった頃も、この二つが取り違えられているとは思っていなかったんだよねー。世間はタカラヅカのことを、一方で「お嬢様の集まり」=「清く正しく美しく」として褒め称え、一方で「変な集団」とさげすむ。この二つは糸で結ばれているけれども、全然別ものとして離れて存在して、まるで糸がぴーんと張った状態のように思ってた。でも、同じことの表裏一体なのかもしれない? とはじめて気がついた。

そしたら緑豆が「あたりまえじゃん! そんなの、世間だけじゃなくて、ヅカファンだってそうだよ」と言う。「男がヅカを観ることだってさ、ライトなファンになることは一応歓迎するくせに、ディープなファンになることは忌み嫌うじゃん。」え? なんの話? 「清く正しく美しいから、男女平等っぽくしてるけど、やっぱり清く正しく美しい世界だからこそ、男はファンクラブとかに入ってくるなって言う人多いじゃん。それは表裏一体なんだよ。」…日ごろのうらみつらみが噴出してますが…「ましてや、舞台に立つなんて絶対だめなんだよね…」ま、まるで、BOYSたちが乗り移ったかのようです、落ち着け落ち着け。

宝塚プレシャスの記事にも気になるところが。
http://bbkids.cocolog-nifty.com/takarazuka/2007/06/post_dc13.html

文中の「少女歌劇いいだしっぺの小林でさえ、心のどこかで「女性だけの宝塚では、おんな子どもの芸の域を抜け出せない」 という引け目があったのだろうか?」が気になって。少なくとも、創立時には引け目を感じるわけがない。そんな対象がほかには存在しないんだから。少女歌劇こそが最先端。だから、「引け目」とは言わないと思う。

でも、一三が少女歌劇を愛しながらも、物足りないと思っていたことは確かだ。男女混合のミュージカルをずっと夢見ていた。戦前も男性を加入させてた。で、戦争直前には、東宝で男女混合のミュージカルが実現していた。じゃあ、やっぱり戦後の男子加入の頃は一三は少女歌劇に「引け目」を感じていたんだろうか??? 

そういえば、女子どもの芸だって、いつから言われてたんだろう??(戦前にもあったと思う)  いつから「男を排除してる」って非難されてたんだろう?(戦前にもあったと思う) 「清く正しく美しく」が世間で使われるとき、どんなニュアンスだったの? 変遷はあるの? 結局のところ、私の興味の対象は、世間(過去の私)が(今の私が好きな)ヅカをどう思うか、なのだな。

::::::::本家はコチラです→a posteriori takarazuka:::::::


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