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TUXEDO JAZZ(タキシード ジャズ)(東京宝塚劇場 4/10 18:30) [観劇メモ]

自分にとってのショーの良し悪しって何なのか、やっとわかった。途切れなくて緩急があることなんだ。『ファンシーダンス』は場面ごとは面白かったけど、全体としては高い評価にはならない。それは、場面場面が途切れていて、全体に流れがなく緩急が全然ついてないからなんだ。

「あえて普通のショーを作る」とオギーが明言してたから、さて、どんなもんになるかと楽しみにしていた。ビョーキのオギーがビョーキ色を消し去って作る、と。そしたら一体何が残るんだ、と。そしたら、ビョーキ色を見せないことで、結果、オギーの基礎体力、いや、違うか、基礎学力? 基礎作家力? が見えた。

場面場面が必ずつながってるのは、今までのショーでも指摘されてたけど、これってすごく大事なことなんだなあ。いちいち暗転されると、しらけるのだ。でも、全部が緩慢につながってるわけじゃない。急ぐところ、ゆっくりなところ、盛り上がるところ、静かなところ、明るいところ、暗いところ、絶妙に配置されてる。階段状のセットでシビさんとオサが、「でゅわ~、でゅわでゅわ~」と掛け合って歌う、なんて豪華なんだろう、こんな豪華なデュエット(?)がかつてあっただろうか? ああ、もう、うっとり~、と歌に酔っている間に、装置が動き、組長がのぼり、ああ、なんだか始まるのね、わくわく、と盛り上がってきたところで、がっつーんとキンキラキンの、中詰めだあ!! こういう一連の流れ、盛り上がりが心地いいの。一方で、後半でいろんな人がごちゃごちゃーっといて、オサが歌い狂って、それが突然、ふっと消える、このタイミング。もう生理的なものだな、こりゃ。生理的な心地よさを作り出すって至難の技だよね。やっぱりオギーはすごいよ。

そして、今まで知らなかった下級生まで出番があるから、見るところが多い。さらに、いろんなところでいろんな人が、いろんな演技をしているから、見るところが多い。必然的に、「盛りだくさんだぁ!」という気になる。

やっぱり、同世代だからなのかなあ。同じような音楽、同じような映像を見てきて、感覚が似ているのかもしれない。年配の人からすれば、がちゃがちゃとうるさく品がなく見えるだろう。特に、昔ならではの、スターさんがババーンと構えて「どうだー」っと歌って、観客わぁっと拍手して、という歌謡ショー的ノリとは、違う方向を向いているのは確かだ。オギーの「途切れなさ」をこのまま推し進めちゃうと、一体どうなっちゃうのかなあ、という懸念も、無くはない。

::::::::本家はコチラです→a posteriori takarazuka:::::::


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