SSブログ

泥の感触 [ヅカ的近況]

いやはや。関西のオクサマ風に言うなら、「やんちゃ」しちゃいました、とでも言うのかな?

タカラヅカのことを、蓮の花に喩えていた人がいます。仏様が蓮の花に乗っているのと同じで、あの美しい花の下には、ものすごい泥があると。泥のような努力、泥のような暗部、でもその上に美しい花が咲くってことが、尊いのだと。

今まで私は、見慣れない美しい蓮の花に驚き、そこに集う花や虫や、池の様子に驚き、ただただそれを解明したいと思い、池のほとりに立っていました。花の下には大量の泥があると、頭で理解しているだけでした。時には池のしぶきが足元にかかったりしても、自分は池のほとりにいると思っていました。

でも、気が付いたら、自分の足はくるぶしぐらいまで泥につかっていたんですねえ。なんとなく冷たいなぁ、と思っていたけど、気が付かないようにしていたんですねえ。しかも、ぐちゃぐちゃにかきまわしてたんですねえ。指摘されてはじめて、あっ、私、池に入ってたじゃん、と愕き、そして次にはその泥の冷たさに慄き、ぐちゃぐちゃにしてしまった自分を恥じ。花に惹かれて足を前に出していたんだから、自業自得なんですけれども。

触ってみてはじめて知った泥の感触の、根底にあるものを今は知りたいです。なにせ「後天的」ですから、この見慣れない世界のことはなんでも新鮮です。ただ、遠くから花を見てその美しさを解明したいと思っていたミーハーな気分とは、ちょっと違う。くるぶしまでであんなに冷たいんだから、腰ぐらいまで浸かっちゃったらさぞ大変だろうな、と、恐れすら感じます。やっぱりタカラヅカって難しいなぁ、不可思議な世界だなぁ。

なーんて、大げさかな。いやぁ、つくづく自分、知ったかぶりしてました。池のほとりにいるだけで「心のふるさと教」を喧伝してたなんて、ちょっと池にはまったぐらいでこんなにビビるなんて、ほんとーにお恥ずかしい限りです。「どーしたの?」と心配してくださる皆様、「よくあることよー」と言ってくださる皆様、ありがとうございます。これから、ビビってひいちゃうかもしれないし、ますます興味津々になるかもしれないし、結局つかず離れずでいるかもしれないし。

いずれにしても、いつか「過去はすべて善である」(ワタル父発言)と思えるようになったら、この経験で感じた泥のエッセンスについて書きたいと思います。ここには観劇の感想は書いていこうと思っていますので、よろしくです。

::::::::本家はコチラです→a posteriori takarazuka:::::::


nice!(0) 
共通テーマ:演劇

nice! 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。