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劇団四季 壁抜け男(自由劇場 9/26 18:30) [観劇メモ(ヅカ以外)]

『シェルブールの雨傘』や『ロシュフォールの恋人たち』を作ったミシェル・ルグランの作曲だということで、観にいきました。結局、楽曲はそんなにはよくなかったけど…

戦後すぐのパリが舞台のおしゃれなお話、と思いきや、かなりシンプルで抽象的。どうやらこれは寓話らしい。主人公は平凡な公務員、暴力夫に囚われている若い人妻に恋をする。壁を抜ける能力を得た彼は、上司にいたずらをしたり、果ては人妻に注目されようとして、わざと逮捕される。どうやら壁は拘束を表しているらしい。自由になりたい、自由になって恋をしたい、自己実現したい。

★ネタバレ注意報発令★

心情を描くような作品ではないから、感情移入する余地は一切ない。でも、じつは結構深いかも? 特にラストはいかようにも解釈できそうだ。恋が実ってどうなるかというと、なんと彼は壁に囚われてしまうのだ。そして彼女も。。。「ハッピーエンドじゃないじゃん!」と後ろの人が怒ってたけど、いや、これはこれでハッピーエンドなのでは? 恋という自由を謳歌したら、そののちはまた閉塞感のある日常、っていう、さ(ほかの解釈もあると思う)。だから、主題歌の「人生は最高」って歌詞には違和感がある。もっとシュールでシニカルで、意味ありげな内容なのでは? 原詩はどうなんだろう?

★ネタバレ注意報終了★

また、自由と反逆という主題が繰り返し出てくるのも良かった。戦後すぐという設定でもあるから、反ナチズムは基本。いいな~フランス人。フランスのミュージカルって、映画以外は初めてかもしれないです。恋は○、結婚は×がデフォルトなのも、おフランスならではか?(笑)

主演は「違いのわかる男」石丸幹二。初めて観ましたがこの人はいいですねぇ。上品でいい声で、さすが看板役者。それになんたって、あの気持ち悪い四季独特の母音の発声じゃない!(笑) ひょっとして、あの母音は通過点にすぎないのか!? 本当にうまくなったら、あの母音の発声は必要なくなるのか!? 

壁抜けの手法は「あ、今あそこをくぐってるんだな」とバレバレだけど、毎回違う手法なので感心した。この部分こそ、フレンチな香りがするおしゃれな演出かも。

気になったのはセクハラ視点ですね。。。老いた娼婦の描かれ方が耐えられない。ガハハハと性や男を笑いとばす反体制の象徴であるはずなのに、好感が持てないのはなぜだろう。女性の視点で描かれていないせいかな。男性から見た典型的なオバチャン娼婦でしかない。老いた女性を笑う、性的に放埓な女性を笑う、そういう男性の視点で描かれている。いくら寓話だからって、こりゃないでしょう。衣装もダサイし、役者(丹靖子)も声が単調すぎる。恋する女性の描き方もアケスケすぎて耐えられない。性的表現が直截的すぎる。「イザベルの肌が僕を求めているんだ」って、「イザベルが僕を求めているんだ」って言えばいいのでは? やること同じでも、表現方法が大事なんですよ。あぁ、こういうことを思ってしまうのも、ヅカに馴れ過ぎたせいなのだろうか(参照→ セクハラ社会のアジール―タカラヅカ)。ヒロイン(坂本里咲)がガタイ良すぎて足も太いのも、ヅカファン的には「???」と思ってしまったが、まぁ、これは贅沢の言いすぎですね。

ちょっとしたフィナーレがついているのはうれしかった。建物の中から、番手が下の人から順に持ち歌を歌いながら出てくる。おっ、こりゃヅカっぽいぞ。じゃなくて、レビューっぽいのか? そういえば、ヅカのフィナーレのあの形式って、白井鐡造がフランスからレビューを持ち帰ったときから、あのスタイルなのかな??? (また宿題が…)

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