SSブログ

円生と志ん生(紀伊国屋サザンシアター 9/20 19:00) [観劇メモ(ヅカ以外)]

昭和を代表する落語家、円生と志ん生。
終戦時に満州の大連にいて、600日帰れなかったのだそうです。
その間の出来事を、井上ひさしが想像したのがこのお芝居。


なんとまあ、わたくし、
観劇10日前に、大連に旅行に行ってたんですよ!

友達に誘われて観劇することにしてて、どんな芝居かよくわからず、
でも、旅行の予習をしてたら、
あれ? 関係あんじゃん、と。

なので、大連への飛行機の中で、戯曲も読みました。
もう一つの大連もの『連鎖街の人々』も読みました。

その頭で、大連の街に行って、
舞台に登場する様々な場所に行ってきた!

ここまで予習バッチリな観劇もはじめてです。


話の筋を知っているから、つまらないかな?

と思いきや。

もうねー、
戯曲だけでも面白くて笑ったけど、
その登場人物たちが動いてしゃべってるのを見たら、

愛おしくて、愛おしくて、たまりません。

なまの人間って、本当に愛らしい。

円生と志ん生が、多分、実物に見た目も似てるし、
しゃべり方もかなり似せてるんだと思う。
ああ、本当にこういう人たちがいて、こういう苦労をして、
それで戦後、大成したのねえ、
と思い入れて、切ない。切なすぎて苦しい。

井上ひさしの芝居は、テンポが昔風というイメージがあったけど、
これに関しては全然そんなことはなかったです。

円生と志ん生以外は、女性が4人で、
場面も次々変わり、女性たちはそれぞれ違う役をやります。

それが、当時の大連の苦労を象徴している人たち。

・軍人のおめかけさん
(宝石だけを頼りに生き延びようとしている)

・遊郭の女郎とおかみさん
(一般婦女子の防波堤として、ロシア人の相手をしている)

・満蒙開拓団の女性たちの幽霊
(満州の奥地から大連まで来たけれども封鎖されていて入れず、
殺され、中国の人に託した子どものことが心配で化けて出る)

・女学生とその先生
(中国共産党の指導で組合ができて、密告めいたことが起きている)

・修道女
(路上生活者への炊き出しのために、帰国しないでいる)

それぞれの場面を経て、
最後は、昭和22年1月の引き揚げ舟で、志ん生が先に帰る、
というところまでの1年半を描きます。

『連鎖街の人々』は、逆に、終戦直後の2日ぐらいだけ、
数人の人が、ずっと同じ場所でドタバタするのを描いているので、
対照的。


でもどちらも、
芸に生きる人が、苦境にあっても芸を捨てない、
いや、むしろ芸が磨かれちゃう、
その健気さをテーマにしているんです。

廃屋で残飯を食べながらも、
落語の稽古みたいなのをしちゃう、1幕最後、
しかもここには、幽霊のお母さんたちも登場するので、
それぞれの健気さに、泣かずにはいられません。

それに比して、2幕はクライマックスっぽくはないので、ちょっと拍子抜けかな。
でもそれが、落語らしいのかも。


円生は要領がよく、すらっとしていて、人情噺が得意。
(大森博史さん。自由劇場の人だそう)
志ん生は破天荒で、貧乏も平気、ばくちが大好き。テンポのいい落とし噺が得意。
(なんとラサール石井。ヘッズアップ以来、ラサール石井の株は上がりっぱなし)
対照的な組み合わせも面白い。

二幕では、二人の服装がボロとスーツでどんどんかけ離れていって。
でもその差を簡単に超えてしまう、
落語という素晴らしい世界!
そして同じように健気な女性たち!

4人の女性は、ゆうひさんが、どの場面もわりと年上の役。
おばあさん声がいいね~。びしっと落ち着く。
太田緑ロランスさん、海の夫人で見た人。
修道女の場面はこの人のテンションで入りこみやすかった。
池谷のぶえさんは、それぞれの役が別人にしか見えない。すごすぎる。
あとお一方は…前田亜季さん、どっかで見たことある。
学級委員的な修道女が良かったね。


ちなみに、私の父は大連生まれなのです。
昭和22年3月の引き揚げ舟で帰ってきたそうで、
(作中だと、円生と一緒ということですね)
当時12歳だったので、
こういう苦労はあまりよくわかっていなかっただろうけど。
でも、昭和20年8月9日にソ連が参戦した途端、
近所の中国の子どもたちとの上下関係が一変した、
子どもでもそうだった、と言ってました。

パリを模した素敵な街並み、
満鉄の傘の下でのモダンで豊かな暮らし。
ある日を境に急に世界が変わって、
今まで下に見ていた中国人に助けられる日々、、

そして現代の大連は、
ものすごく発展していました。
歴史的建造物の後ろには、高層ビルがにょきにょき。
路面電車と並んで、外車がびゅんびゅん走っていました。

古い建物を、中国の人なりのやり方で
保存していたり、壊しちゃったり。
(特に連鎖街は、ほぼバラックと化しているので、
今のうちに見ておいたほうがいい)

都市が、使われる人によっていろいろに姿を変えて、
地層の奥にいろいろな記憶をたくわえていくことを、
しみじみと感じました。

路面電車は日本統治下のときの車体そのままです。
表面はリフォームしてあるけど、そのリフォームもとってもかわいい!
円生や志ん生、あの女性たちも、これに乗ってたんだろうなあ。

人は、みんな親切でした。
もちろん、日本のような「サービス」とは違って不便もあるけど、
日本人だから、とかいうことは一切無いです。
泊まったホテルのガイドさんが、
(満鉄が作ったヤマトホテル。
今は大連賓館として昔の建物をそのまま使っているので、
展示室があって、ガイドさんがいるのです)
「ウソ(←多分満州国のこと)はいけないけど、
日本は技術を残してくれたから感謝している」
と言っていたのが印象的でした。

落語は、あとに残るインフラ的な技術じゃないけど、
でも、言ってることは同じだと思う。

(ウソの政治は良くないからそれに反対することはもちろんだけど)
各人は、それぞれの場で、
国とか人種とかのこだわりなく、
何かに精進して、
インフラのように後世の人の役に立つものなり、
悲しい気持ちを笑い飛ばして元気になれる落語なり、
少しでも、「いいこと」をしたいものだなあ、
と強く感じました。




nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:演劇

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。