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近況いろいろ [ヅカ的近況]

また風邪ひいて寝てました…免疫力が落ちている…

<人事>

藤咲えりに続いて、白華れみも。。。いい感じに「女役!」になってくると、こうして辞めてしまうなんて、本当にもったいない。すずみんだって、別格として貴重だぞ。若けりゃいい、とかそういう風潮が私は嫌いだ!!

じつは、南風里名ちゃんの顔が好きだった。なぜもっと使われなかったんだろうか。美人さんなのに。

月組のロミジュリは観なくてもいっか、と思っていたけど、マギーのベンボーリオとみやるりのマキューシオなら観たいな。。。愛と死だけが、なんか合わない配役だと思うんだけど(たまきちはもっと健康的なイメージ)。しっかし、上級生が減ってしまったなあ、月組。

だいぶ時間経っちゃったけど、じんじんも辞めるんだよね。寿以外だったら許さん。とずっと思っている。

<復活/カノン いまさら思い出し>
銀橋3人渡りでの壮さんの「イタズラしちゃうぞ、へへん」て顔が好きだった。トップの器だと思うがなー。

黄色い月の場面で、きれいな踊り方の人がいるな、と思うと、いつもべーちゃんなのだった。

煌雅あさひさんて何者だったんだろう。なんであんなに美しい言葉を、書き言葉ではなく話し言葉で、紡ぎだすことができるんだろう。退団挨拶に度肝を抜かれたままです。

<春日野八千代の『復活』について>
1962年の歌劇を読んでみた。

なななななんと! よっちゃんはネフリュードフとカルチンキンの二役をやっていたのだ!!!

しかも、ネフリュードフはいつもの白い役で、型にはまってつまらない、悪役カルチンキンのほうがイキイキしてて楽しそうだった、とか言われてる。

そうなんだよ、春日野八千代は現人神みたいになってるけど、じつは相当お茶目な人だって、いつだったかのイベントで判明したじゃん。トドさんだって「理事様」とか呼ばれてるけど、じつは6つも下のコムちゃんに「イシちゃん」呼びされるぐらい、親しみやすい人なんじゃん。

「誰かを崇めたい」という欲望が、いろんなことを見えなくさせてるなー、と思う。
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ニジンスキー(銀河劇場 4/6 19:00) [観劇メモ(ヅカ以外)]

ニジンスキーの妹、ニジンスカ(ヤンさん)を語り手として、現代?死後の世界?から、ニジンスキーが狂った1919年の3月頃をふりかえる。しかも、その1919年3月頃のロモラ(あすか)がまた、過去をふりかえるので、いろんな時制が交錯して、詩のような作りになっている。だから芝居でもミュージカルでもなくて、やっぱりあえて名付けるなら「ダンスアクト」なんだろう。

そのダンスがまた面白くて、時制に混乱しながら、幻惑されていく。いろんな人がニジンスキーを語る。兄をサポートし、その才能に憧れ、また哀れんでいた、最後まで狂わなかった、凡人の妹ニジンスカ。ニジンスキーを愛する妻、という役に憧れ、それに固執した愚かな妻ロモラ。性欲と支配欲でニジンスキーを縛りつけながらも、その才能を開花させた立役者ディアギレフ(岡っち)。ニジンスキーは、彼等の欲望の中で生きる人形。

ニジンスキー(東山義久)は、とにかくおし黙っている。踊っているときはものすごくマッチョで雄弁なのに、しゃべるときはほんの一言二言ボソボソ…っという感じ。「あなたの望むままに踊ります」というようなことを言っている。

ニジンスキーとニジンスカと、6歳で狂ってしまった長兄とが、幼い頃、ペトルーシュカごっこをしていたというエピソードも象徴的。「君は本当に人形のふりが上手だね」と(狂ったはずの)兄がささやく。ニジンスキーっていう人は、貧困の中で、他人の望みどおり踊ることでしか生きていけなかった人なのか? 我が家にもこの手のメンヘラがいるのでわかるけど、「他人の要求を100%受け入れなければいけない」と思い込んでいる人間は、そうでありながら、自分というものがしっかりあって、だからその葛藤で苦しむ。他人の要求なんて無視したっていいのに、そうできない。かといって自分を捨てるわけにもいかない。…狂って当然だわな。

でも最後、あの世で語るニジンスキーは、初めてイキイキと言葉をしゃべっている。不思議。人形のふりをすることが、苦痛ではなかったのかなあ。あれを「人形」だと思ってしまう、こちら側の見方がそもそも、間違っていたのかなあ。そんなふうにも思う。

そこに至る場面の演出がすごくて、客席側に光があてられて目があけられない感じ。そこにスモークがたかれて、見えない中でニジンスキーが踊っているの。光とスモークの中で、かろうじて影が動いているのがわかる。うーん、こんなん初めて見た。

ほかにも、長兄が狂う場面の、長い長い袖でぐるぐる巻きにされるのとか(新上裕也のダンス公演で見たかも)、ニジンスキーとロモラの共通点や、ニジンスキーと長兄の共通点を示すところで上手いこと鏡が出て来るのとか、演出が面白かった。舞城のどかを観たのは退団後初かなあ、あの、ややマッチョで、でも佇まいは娘役ってのが、いいんだよね。チュチュで踊るだけなんだけど、いろんなところでいろんな役割を意味深に演じていた。(斎藤恒芳の音楽に、チュチュのミホ先生に、あすか、とくると『マラケシュ』を思い出す〜)

うーん、でもやっぱり、暗くなる内容だよなあ。体調悪かったせいもあってか、その後どんよりしてしまった。

赤い長椅子や、机は、去年の宝塚版を思わせたけど、オギーは意識したんだろうか。「あんな「小学生でもわかるニジンスキーの伝記」より、これを観ろ!」みたいに(笑)。ロモラがより愚かで、ディアギレフがより高慢で、と宝塚で必須の愛がここにはなく、宝塚で排除される醜さが描かれている。だから、、、、うーん、やっぱりニジンスキーを宝塚で取り上げたのが、かなりイレギュラーだった、そう断言できる。

ロシア革命で、ロシアが滅んでゆく…みたいな話も織り込まれていたのも印象的だった。『カラマーゾフの兄弟』『復活』『ロシアンブルー』いろんな作品を思い出すなあ。

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