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罪悪感とリュータンさん [近況]

15日(火)から出勤しています。14日(月)は駅がすごい混雑で電車に乗れませんでした。

こんな理由で家にいるというのも、空しくてねえ…。普段ならうれしいお休みなのにねえ…。

そのうえ、出勤できたとしても、自分の仕事が人命救助に直接は役立たないということで頭がぐらぐらしてしまう。めぐりめぐって将来の人命救助にはちょびーっと役立つかもしれないけど、今すぐのことには全然無力。私ら、公僕なのに。私らの仕事の意味って何!?  

電気を使えば、無頓着に電気を使っていた自分に暗くなり。停電の区域にならずに、ほっとしている自分をまた責め。花組の東京公演はやるのかな、とか気にしている自分を後ろめたく思い。帰宅難民になったぐらいで疲れている自分の体力の無さに絶望的になり。

また地面揺れてるし。被ばくも怖いし。東電のHP見ても停電区域や時間帯が当初はよくわからないことにイライラしたし。明日電車が動いているかわからないけどとりあえず早く寝て、朝なんの確証もなくても起きて。出勤しても、停電するから早く帰れと言われて、すごい混雑の電車に乗り。被災地や原発では生死をかけているというのに、こんなことでおろおろして、何の役にも立てないなんて。

はっっ、私、今、『愛と青春の宝塚』の影山先生? 「少女歌劇の引率なんてまるで女衒」と言われて落ち込んでいる、影山先生みたいじゃね〜?? (私には影山先生みたいな才能も役割もない、ということはさておいて。)

いやーん、リュータンさん、励ましに来て〜!!! 

宝塚歌劇団に愛想をつかしていても、宝塚歌劇のスピリットの具現であるようなリュータンさんを思うと、涙が出そうになる。あの明るさは「希望」そのもの。ベニが言うとおり、太陽だよなあ〜。

罪悪感ってのは、きっと誰しも持ってしまうのかもしれません。被災地で大変な思いをしている人でさえ、自分は死ななかったということで罪悪感を持ったりするそうです。

私はつい、罪悪感やストレスを抱えきれなくて、緑豆に「あんたは深刻さが足りない」などと怒ってしまったり。マンションの貼り紙「停電時はインターホンが使えないので、不審者の入場がないように」に「自分の身を守ることしか考えてねーよ、こいつはよ! ほかに言うことねーのかよ!」と毒づいたり。

いかんいかん。こういうのが極端になると、関東大震災の流言蜚語のように暴力につながるんだろうな。混んだ電車で「どいてよ! 降りれないじゃない!」と怒鳴っているおばさまがいました。「あけてください」って言えばええやん。ああならないようにしなければ。

とりあえず、出勤できただけで気分は落ち着きました。目の前にとりあえずやることがある、義務を果たしている気になれるだけでも、ありがたい。仕事でなくても、家事でも読書でも、何かをしてたほうがいいと思う。テレビもあまり見すぎないように心がけます。とにかく罪悪感を自覚して、気持ちをやわらげないと、寄付や節電を着々と行うこともままならん。

現役生徒さんたちも、舞台に立つという義務を果たして懸命に笑顔を見せてくれているんだと思う。それがリュータンさんが具現した「希望」につながる。きのう雪組生3人の顔を見て、本当に元気づけられた。永井愛がきのう、『シングルマザーズ』の舞台挨拶で「演劇は平和なときにだけやるものではなく、大変なときにも人々の心に寄り添うものでありたい」と言ったそうです(『愛と青春の宝塚』の大石静と二兎社をやってるだけあって、まるで影山先生へのメッセージみたいだね)。涙が出ます。それぞれの場所でできることをしたいものです。

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