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はじめて愛した(日本青年館 11/6 15:00) [観劇メモ]

ちょうど一つ前の記事のようなことを考えていたので。ハリーもやっぱり同じようなこと考えてたのね! などとアホに喜んでしまった(ハリー信者の妄想です)。「家庭」や「愛」の名の元に行われる逃れられない精神的暴力。そこから逃れるには、どうしたらいいのだろうか。

婚約者のドメバイから逃れられずに絶望して自殺しようとする女。偶然に犯行を目撃されたから、その女を殺さなければいけない殺し屋。殺す、殺される関係なのに、なぜか殺せず、しまいには婚約者から守ってあげてしまい、さらに二人がともに追われるようになり、次第に心を通わせていく過程が、繊細でとてもよかった。なんだか今もしみじみしている。

殺し屋とは言っても、正義感の持ち主。依頼されて殺すのはおそらく、東西冷戦の相手方のおえらいさん。まあ、いけないことではありますが。フランスの反ナチ運動で狙撃兵として生きてきて、大戦後生き甲斐を亡くした男が、ドメバイに苦しむ女性を救うことで、自分の生き方を考え直す。。。。ハリーによくあるパターンで、その心の動きもまたしみじみする。

キムがすっかりほっそりかっこよくなって、殺し屋という一瞬の凶暴性を秘めた役柄も合っていて、素敵だった。ほかの人が話しているのを、じっとすみのほうで目だけぎょろっとさせて聞いている図とか、ゾクゾクする。その調子でチューしようとするのが、きゃーって感じ。

あゆっちがとても良かった。婚約者に怒鳴るところの声など、出色。ラストあたりで泣き崩れたり、「ひどいよ」とすがるところも、上手かった。むっつりした表情ばかりで、可愛い笑顔が少ないのは残念だったけど、それだけにラブシーンぽいところで笑顔になるのがキュンとする。もうトップでええやん(って、オネーギンでみみにも言ったけど)。

この二人の「鼻の穴」シーンはよかったなあ。ハリーはああやって女の子を口説いてきたんでしょうか?w

チギの空回り刑事もなかなか笑えた。水の後ろで頑張ってきただけあって、ダンスがいいよねー。この人、美貌もあるし、87期以下の中ではかなり期待できると思うんだけど、声がもったいないんだよなあ。

寅さん(我が家では、彩風咲奈をそう呼んでいる)はなー、わがままボンボンという設定だからまだいいけど、まだまだ3番手には弱いですなあ。

夢華あみは研1としては及第点かもしれないが、二番手娘役としては下手すぎる。器用なんだろうけど、おでこのあたりで口先を動かしてしゃべったり歌ったりしている感じで、「間」というものがまったくない。ガタイも良すぎるし。本人もこの出来でこのポジションはつらいだろうし、客席もつらい。どうしてもっとちゃんと育てないのか。家父長制で気に入られてしまったから、取り消せないんだろうが…。

あとはねー。きゃびいがすごい。一番笑い取ってた。コマが出て来ると、マヤさんかと思う。マヤさんに続いてハリーのミューズとなれ。って、凛きらもかなり面白かった。この人、路線スターだと思うと「うーん」だけど、こういう役だと芝居上手いし、今後がすごく楽しみに思える。ほたてくんもなかなか声が男役として自然でよかった。

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「家庭的」であることの罪 [音楽学校裁判]

私は家族制度というものに喧嘩売ってるような人間ですが、そんな私でも「家族」と思う人たちがいました。それが、タカラヅカです。一三がお父さんと呼ばれていたように、家庭的であることがタカラヅカの特色の一つで、その心地いい一体感を私は愛していました。

なのに、私はその家族の一員ではなかった。裁判の過程で、ファンは家族の一員でもなんでもないとつきつけられた。それがショックだった。

でも、裁判記録を読んでいくうちに、そもそも、その「家族」というありかたが問題なのかもしれない、私が愛してきた「家庭的」な雰囲気こそが、問題の根っこにあるのかもしれない。と思うようになってきたのだ。悲しいことに。

なぜなら、音楽学校側の言うことにつきまとう不思議な感覚は、ひょっとしたら、ドメスティックバイオレンス法ができる前の、児童虐待という考え方ができる前の、「家庭に警察は入ってこないでください」的な考え方に近いのではないかと感じたから。

ドメスティックバイオレンスという概念ができる前、児童虐待という考え方ができる前、「女房は俺の持ち物なんだから殴ってどこが悪い」と言うようなオヤジがたくさんいたやに聞いております。「子どもは私の持ち物なんだから殴ってどこが悪い」と言うような親がたくさんいたやに聞いております。

いやいや、持ち物じゃないから。一人一人、人権があるから。

でも。

「音楽学校は、宝塚歌劇団ひいては申立外阪急電鉄とは別の組織ではあるが、営利企業である、申立外阪急電鉄の特殊な従業員養成期間ということになる。したがって、音楽学校は、学校法人として社会的私的かつ営利的なものというほかない。また、抗告人と被抗告人とのあいだの在学関係の法的性質は、私企業の特殊な従業員養成期間としての音楽学校の性格にかんがみれば、単純な私法上の取引契約と同視できるような個人間の在学契約といえる。」(2009.4.15 保全抗告申立書)

つまり「私的な関係だから首にしてもいいんです!」ってこと。

えーっと、雇い主と雇われ人であっても、無実の罪で退職させることはおかしいと思うのですがー。

「学校にとって大切なのは、(原告)さんの行為、行状が生徒として好ましくない行状をしたかどうかであって、被害者のコンビニが被害届けを出すかどうかという問題ではないと考えています」(2010.3.10 今西副校長陳述書)

いや、だからその行状は万引きしたかどうかという事実が肝心なのではないのかね? コンビニが事実は無いって言ってるのに? ひょっとして、少しでも疑いをかけられたら、それが悪い行状ってこと?

『マグダレンの祈り』という映画を思いだす。厳格なカトリックの精神に支配されたアイルランドで、実在した修道院の話。いとこに乱暴された主人公、なぜかいとこは一切罪に問われず、主人公は穢れた女ということで修道院に入れられ、刑務所よりひどい非人間的な扱いを受ける。家族、親戚は穢れた存在がいなくなって、安泰だ。自分たちはカトリックに背いていないという体裁をつくろえるから。でもその裏には、無実の人間が苦しんでいる。これらを、神の愛の名のもとに教会が率先して行っているというのが、また怖い。

私はつい、「一三の教えが受け継がれていない」などと言ってしまうけど、それもよくないのかもしれない、と思う。一三を神格化すればするほど、その子孫である小林家の家父長制を強化してしまう。一三の教えが全く受け継がれていないとしても。神をたたえればたたえるほど、教会や修道院の力を強化してしまう。神の本当の愛が全く実践されていないとしても。「清く正しく美しく」「家庭的な雰囲気」…素晴らしい教えなのに、間違った使われ方をすると、糾弾しにくい障壁にもなり、悪しきことの温床にもなってしまう。

昔はもっともっと家庭的だったはずだけど、実際のところどうだったのだろう。同じように排除された人がたくさんいたんだろうか。少しは良識のある人が上層部にいたんだろうか。わからない。知りたくない気もする。でも、少なくとも、それを表沙汰にしたらブランドが傷つくという頭ぐらいはあっただろうな。。。

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別れを惜しむ時間の長さなど [ヅカ的近況]

とりあえず、大野拓史の新作決定、めでたい! ほっくんバウ東上、めでたい! 

ユウヒのヴァレンチノ、楽しみ! …でも本当は、新作が望ましいんだけど。

今さらですが。まとびさん退団の予想はついていたけど、今後の演目がすべて決まっていることにがっくり来た。えーー、『花のいそぎ』みたいな、でも新作、もう一回、観たかったなあ、と。『メランコリック・ジゴロ』も好きだけど、退団ってわかってから考える時間がほしかったなあ、と。

私がヅカファンになったときは、退団発表のあとに、最後にこういうのが観たい! って想像する時間があったように思う。退団公演は決まってても、その前にもう一個ドラマシティ公演とかで演目未定のがあって、あーこれがサヨナラコンサート的なものなのねーって予想がついてて、そこでやってほしい場面とかをあれこれ想像してたような気がするんだけど。。。。

リカちゃんのLR、ワタルのAcross、コムちゃんのアルバトロス…サエコの熱帯夜話もそうだったっけ? 一作トップは例外的だけれども…

年間10回公演のせいだわよ。いや、大劇場公演と東京公演の間が詰まったのもあるのか???

なんだか、スケジュールがタイトすぎるよね。ディナーショーをやるには、ものすごく無茶な日程を組まなくちゃいけない。体壊しそう。私がヅカファンになった頃だって、OGは「最近はスケジュールがハードでみんな疲れてる」って言ってたのに(@スカステ)。

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