FLYING SAPA -フライング サパ-(日生劇場 9/13 16:00) [観劇メモ]
4月に中止になった公演、観れて良かった。
昼と夜の時間が惑星の軌道で極端に違う…って、萩尾望都っぽい。
管理された社会と原始的な土地…って、イキウメの『太陽』っぽい。
宝塚でSFって珍しい? そもそもあったっけか?
ただ、様式は聞いてたよりもずっと宝塚ぽく感じた。
番手とか、役付きが宝塚ルール。
画面が暗くて、主人公が(記憶がないので)自分探ししてるのが、
正塚芝居に似てると思う人もいるだろう。
でも、テーマは全然宝塚らしくなかった! これはすごい画期的!
冒頭、ヘイト発言をする人を罰して、でも記憶を書き換えちゃう、というエピソードがあり、
あ、そういう、今の社会で起きてることに対して、何か言いたいんだな、とわかる。
ビッグデータを収集してるとか、すごく現代を意識してる。
平和で穏やかでみんな一見幸せだけど、
そうやって管理されてて、記憶まで消されて、見せかけの幸せ。
強いて言うなら、ソ連とかの共産主義革命で全体主義になってしまった国。
独裁者は誰かな、ソ連ならスターリン、と思ったら
ゆうちゃんさんの声で、笑った(『ロシアン・ブルー』を見てね)。
そうなった原因がだんだんわかってくるわけだけど、
過程で「暴力」が真のテーマだとわかる。
暴力を起こさないためにすごい装置を発明して「みんなが幸せに暮らせる国」を作ったけど、
でもそれは暴力なしでは実現しなかった。
というか、そういう国家体制そのものが暴力だってことなのよ。
それは、今の日本が進もうとしてる姿なんだよ、とあからさまに言っている。
(読んでないけど、ネット情報によるとプログラムで、
今の日本は静かなディストピアが法制化されている、と書いてあるそうだ。私も同感)
ををを、うえくみ、攻めてる~。
宝塚で「暴力」をテーマにしたことってあったか?
ないよ、絶対ないよ。そういうの避けるでしょ、夢の世界だよ。
二番手娘役が投降してきた敵を撃ったのが、衝撃だった。
そんなん、宝塚で見たことない。
表現も新しかった。
二番手娘役(主人公の元カノだが主人公は記憶がない)とほにゃららして、
「お前は俺の体を知りすぎてる」って…、そんな台詞宝塚ではじめて聞いた(笑)。
ヒロインが、娼婦のように振る舞い、
やがて明るみになる過去では、少女時代にレイプされていたことがわかる。
暴力をテーマにするなら、それは避けて通れないことだ。
でも宝塚ではトップ娘役にそれはやったことないのでは。
全体主義は暴力である、
カビくさくても民主主義しかない。
その結論に至るのは当然だよね。
でもそれをどうやって実現するのか、
そこは ほとんど描かれないのだ(笑)。
だって難しすぎるもんね…。
ただ、ラブシーンで「気持ちがびびっと伝わればいいのに」
「全然伝わらない(笑)」ってやりとりがあって、
ああ、それが大事なんだろうな、と。
独裁者は、好きだからわかってほしい、と言っていた。
好きだからこそ、相手とはわかりあえないって前提が、大事なんだよね。
って、スターさんにうっとりしてひれ伏して、劇場の一体感を楽しむ宝塚で、
連帯責任という暴力が美徳で伝統とされてきた宝塚で。
これ、理解されてるのかなあ?? されているといいな。
昼と夜の時間が惑星の軌道で極端に違う…って、萩尾望都っぽい。
管理された社会と原始的な土地…って、イキウメの『太陽』っぽい。
宝塚でSFって珍しい? そもそもあったっけか?
ただ、様式は聞いてたよりもずっと宝塚ぽく感じた。
番手とか、役付きが宝塚ルール。
画面が暗くて、主人公が(記憶がないので)自分探ししてるのが、
正塚芝居に似てると思う人もいるだろう。
でも、テーマは全然宝塚らしくなかった! これはすごい画期的!
冒頭、ヘイト発言をする人を罰して、でも記憶を書き換えちゃう、というエピソードがあり、
あ、そういう、今の社会で起きてることに対して、何か言いたいんだな、とわかる。
ビッグデータを収集してるとか、すごく現代を意識してる。
平和で穏やかでみんな一見幸せだけど、
そうやって管理されてて、記憶まで消されて、見せかけの幸せ。
強いて言うなら、ソ連とかの共産主義革命で全体主義になってしまった国。
独裁者は誰かな、ソ連ならスターリン、と思ったら
ゆうちゃんさんの声で、笑った(『ロシアン・ブルー』を見てね)。
そうなった原因がだんだんわかってくるわけだけど、
過程で「暴力」が真のテーマだとわかる。
暴力を起こさないためにすごい装置を発明して「みんなが幸せに暮らせる国」を作ったけど、
でもそれは暴力なしでは実現しなかった。
というか、そういう国家体制そのものが暴力だってことなのよ。
それは、今の日本が進もうとしてる姿なんだよ、とあからさまに言っている。
(読んでないけど、ネット情報によるとプログラムで、
今の日本は静かなディストピアが法制化されている、と書いてあるそうだ。私も同感)
ををを、うえくみ、攻めてる~。
宝塚で「暴力」をテーマにしたことってあったか?
ないよ、絶対ないよ。そういうの避けるでしょ、夢の世界だよ。
二番手娘役が投降してきた敵を撃ったのが、衝撃だった。
そんなん、宝塚で見たことない。
表現も新しかった。
二番手娘役(主人公の元カノだが主人公は記憶がない)とほにゃららして、
「お前は俺の体を知りすぎてる」って…、そんな台詞宝塚ではじめて聞いた(笑)。
ヒロインが、娼婦のように振る舞い、
やがて明るみになる過去では、少女時代にレイプされていたことがわかる。
暴力をテーマにするなら、それは避けて通れないことだ。
でも宝塚ではトップ娘役にそれはやったことないのでは。
全体主義は暴力である、
カビくさくても民主主義しかない。
その結論に至るのは当然だよね。
でもそれをどうやって実現するのか、
そこは ほとんど描かれないのだ(笑)。
だって難しすぎるもんね…。
ただ、ラブシーンで「気持ちがびびっと伝わればいいのに」
「全然伝わらない(笑)」ってやりとりがあって、
ああ、それが大事なんだろうな、と。
独裁者は、好きだからわかってほしい、と言っていた。
好きだからこそ、相手とはわかりあえないって前提が、大事なんだよね。
って、スターさんにうっとりしてひれ伏して、劇場の一体感を楽しむ宝塚で、
連帯責任という暴力が美徳で伝統とされてきた宝塚で。
これ、理解されてるのかなあ?? されているといいな。
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