人形の家(東京芸術劇場シアターウエスト 5/18 19:00) [観劇メモ(ヅカ以外)]
超有名なあの作品ですよ。
イプセン。(『海の夫人』の感想)
以下ネタバレしまくり。
1幕は、主人公ノラがハイテンションで、
一見浪費家かつ、家の中をガンガン仕切ってて充実してるぽく描かれていて、
思ってたのと違う話かも…
と思ったんだけど、
2幕はやっぱり思っていた通りの話だった。
浪費家なんじゃなくて、内緒の借金を返済してたんです。
なんと、女性は借金しちゃいけなかったんですって!
貯金だってしちゃいけないんですからね!
彼女は、夫の病気を治すために借金したの。
でもそれが夫に知れたら激怒されるし(なんでやねん)
世間に知られてもまずい。
悪いことに、借用書の保証人(父親)のサインを偽造もしている。
サイン偽造はともかく、
女性だけ借金が罪だなんて、一体なんという時代なんだ。
お金を貸した人が、わけあってそのことをばらすと脅してきて、
暴露した手紙を送ってきた。
しかし、なんと、郵便受けを彼女は開けられない。
夫が鍵を持っているからだ!
サイテーサイテーサイテー。
そんな世の中から、なんとかかんとか改善してきて、
100年経ってもまだまだmetooとかやってるけど、
それでもがんばってるよ、みんな。
と、ありとあらゆる女性活動家に敬意を表す。
この話が、100年経った今でも現代的なのは、
夫が妻を「愛している」と言い張るところ。
夫は妻を、ものすごくかわいがって、大事にして、
何かあったら命をかけて守るとか言ってるの。
典型的な暴力夫ではないわけ。
でもそのかわいがりかたは、愛ではなくて、人形扱いなんですよ。
と指摘するのが、普遍的なんだよなあ。
裏返せば、ノラも夫を、
自分の庇護者であり、支配者としてしか見て来なかった、ということだよね。
お互いに、一人の人間としては見ていない。
だから、ノラが最後に長セリフを言って、家を出るのは、
私はあなたを人間扱いできますよ、という
いわば、彼女にはじめて訪れた真の「愛」の目覚め、なわけだ。
いやー、鳥肌立つね。
もちろん、夫はそれを理解できないんだけど。
ノラが目覚めるのは、
借金のことを知って激怒する夫の姿にドン引きしたってのもあるけど、
あとひとつ、夫婦の長年の友人である医者が、病気で死にそうで、
二度と会えない、というエピソードが噛んでいる。
このときはじめてノラは、自分は本当はこの医者に惹かれていた
という感情に目覚めたんだろう。
と友人が言っていてなるほどと思った。
ノラの北乃きいが野性的で、良かったと思う。
ノラがキレて叫ぶ場面がけっこう重要だから。
(おそらく、日本初演の松井須磨子も、キレ場面がウケたのではないか、
とこれも友人の弁)
ただ、夫役の佐藤アツヒロが(『愛と青春の宝塚』の手塚治虫良かったよね~)、
いい人すぎて、いまいち圧力が少なかった。
ここがもっといかれた人だったら説得力あったかも。
お医者さんもちょっと棒だったし。
一方、金を貸して脅してくるオジサン(松田賢二)は、すごくいい声で迫力満点。
この人は、かつて自分を捨てた女がよりを戻してくることで、
急に精神が安定し、突然、脅しを取り下げるんだけど、
その女ってのがユウヒさん。
二人の組み合わせは素敵だったけど、
どういう意味のある役なのか、難しい。
ノラが家を出て行くのに対して、
この二人は新たに家族を作る。
それって、逆行じゃないのか。
もう一つの解決、だとは到底思えない。
結局ノラもまた、暴力的な男の元に戻ってきてしまうんじゃないか、
真の自立は難しい、
という意味なのではないかと感じた。
それだけこのオジサンが迫力あって、
(役者としては素敵だけど)
また一緒に家族を作りましょう、とは到底思えなかった。
だって絶対殴られそうだもん。
演出家の意図はどうだったんだろう。
いくら家の中のことを任されているからといって、
お金を自由にできない、通信の自由もないなんて、
今でもやりたい人はそうすればいいけど、
基本的人権の侵害だ。
そうはっきり思える時代に生きていて、本当に良かった。
でもそこにたどり着いたのは、こういう先人たちの目覚めがあったからこそ。
今だって、ちゃんと根付いているとは言えない。
日々、口に出して言っていかないといけないな、と思う。
(当たり前のことだけど、大事なことだからしつこく書いておく)
イプセン。(『海の夫人』の感想)
以下ネタバレしまくり。
1幕は、主人公ノラがハイテンションで、
一見浪費家かつ、家の中をガンガン仕切ってて充実してるぽく描かれていて、
思ってたのと違う話かも…
と思ったんだけど、
2幕はやっぱり思っていた通りの話だった。
浪費家なんじゃなくて、内緒の借金を返済してたんです。
なんと、女性は借金しちゃいけなかったんですって!
貯金だってしちゃいけないんですからね!
彼女は、夫の病気を治すために借金したの。
でもそれが夫に知れたら激怒されるし(なんでやねん)
世間に知られてもまずい。
悪いことに、借用書の保証人(父親)のサインを偽造もしている。
サイン偽造はともかく、
女性だけ借金が罪だなんて、一体なんという時代なんだ。
お金を貸した人が、わけあってそのことをばらすと脅してきて、
暴露した手紙を送ってきた。
しかし、なんと、郵便受けを彼女は開けられない。
夫が鍵を持っているからだ!
サイテーサイテーサイテー。
そんな世の中から、なんとかかんとか改善してきて、
100年経ってもまだまだmetooとかやってるけど、
それでもがんばってるよ、みんな。
と、ありとあらゆる女性活動家に敬意を表す。
この話が、100年経った今でも現代的なのは、
夫が妻を「愛している」と言い張るところ。
夫は妻を、ものすごくかわいがって、大事にして、
何かあったら命をかけて守るとか言ってるの。
典型的な暴力夫ではないわけ。
でもそのかわいがりかたは、愛ではなくて、人形扱いなんですよ。
と指摘するのが、普遍的なんだよなあ。
裏返せば、ノラも夫を、
自分の庇護者であり、支配者としてしか見て来なかった、ということだよね。
お互いに、一人の人間としては見ていない。
だから、ノラが最後に長セリフを言って、家を出るのは、
私はあなたを人間扱いできますよ、という
いわば、彼女にはじめて訪れた真の「愛」の目覚め、なわけだ。
いやー、鳥肌立つね。
もちろん、夫はそれを理解できないんだけど。
ノラが目覚めるのは、
借金のことを知って激怒する夫の姿にドン引きしたってのもあるけど、
あとひとつ、夫婦の長年の友人である医者が、病気で死にそうで、
二度と会えない、というエピソードが噛んでいる。
このときはじめてノラは、自分は本当はこの医者に惹かれていた
という感情に目覚めたんだろう。
と友人が言っていてなるほどと思った。
ノラの北乃きいが野性的で、良かったと思う。
ノラがキレて叫ぶ場面がけっこう重要だから。
(おそらく、日本初演の松井須磨子も、キレ場面がウケたのではないか、
とこれも友人の弁)
ただ、夫役の佐藤アツヒロが(『愛と青春の宝塚』の手塚治虫良かったよね~)、
いい人すぎて、いまいち圧力が少なかった。
ここがもっといかれた人だったら説得力あったかも。
お医者さんもちょっと棒だったし。
一方、金を貸して脅してくるオジサン(松田賢二)は、すごくいい声で迫力満点。
この人は、かつて自分を捨てた女がよりを戻してくることで、
急に精神が安定し、突然、脅しを取り下げるんだけど、
その女ってのがユウヒさん。
二人の組み合わせは素敵だったけど、
どういう意味のある役なのか、難しい。
ノラが家を出て行くのに対して、
この二人は新たに家族を作る。
それって、逆行じゃないのか。
もう一つの解決、だとは到底思えない。
結局ノラもまた、暴力的な男の元に戻ってきてしまうんじゃないか、
真の自立は難しい、
という意味なのではないかと感じた。
それだけこのオジサンが迫力あって、
(役者としては素敵だけど)
また一緒に家族を作りましょう、とは到底思えなかった。
だって絶対殴られそうだもん。
演出家の意図はどうだったんだろう。
いくら家の中のことを任されているからといって、
お金を自由にできない、通信の自由もないなんて、
今でもやりたい人はそうすればいいけど、
基本的人権の侵害だ。
そうはっきり思える時代に生きていて、本当に良かった。
でもそこにたどり着いたのは、こういう先人たちの目覚めがあったからこそ。
今だって、ちゃんと根付いているとは言えない。
日々、口に出して言っていかないといけないな、と思う。
(当たり前のことだけど、大事なことだからしつこく書いておく)
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