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「個人」より「場」 [ヅカってなんだ?的記事]

コラムニスト小田嶋隆のツイートによると、彼は、
「マスコミから仕事をもらっているのに、
マスコミを批判するなんて、おかしい」
と言われるそうだ。

文筆家がマスコミという大きな大きな仕組みに属することは
そうそう変えられない。
一方で、大きな大きな仕組みに何も問題がないなんて有り得ない。
だから、マスコミから仕事をもらいつつ、批判する、
なんて当たり前のことじゃないか。

これを敷衍していったら、
日本に住んでいるのに、
日本の○○を批判してはいけない、
になってしまう。


あ、、、
そういう考えって、、、
と思い当った。


東小雪さんが、何年か前、新聞記事になったときに、
ネットで、
「宝塚出身でそのことをウリにしているのに、
宝塚を批判するのはおかしい」
と叩かれていた。
(これとか→https://togetter.com/li/930919

例のいじめ裁判のときもそうで、
自分が所属している(いた)組織を批判すること自体がおかしい、
という考え方をする人がけっこういた。

虐待されている子どもに向かって、
「産んでくれた親に感謝しろ」って言ってるみたいだと思った。



所属している組織(場)が、
(表面的には)なにごともなく続いていくことが大事で、
その組織が、本来どうあるべきか、
建前として、理想として、社会はどうあるべきか、
ということは考えない。

「空気を読む」という言葉がまさに言い当てているように、
「場の空気」、実体のない「世間様」に従うことが何より大事。

音楽学校は、司法判断よりも宝塚のほうがえらい、って言いきっていた。



私はずっと、いじめ裁判について、
「善悪の区別もついてないなんて、おかしい」
http://pt-omoitsuki.blog.so-net.ne.jp/archive/c2301186891-3
と怒ってきたけど、
場の空気を優先する人にとっては、
場の空気を壊すことこそが悪なんだ、
そうか、
そうなんだ。



森友学園、加計学園の問題で、
役人が、政権の不利になる公文書をマスコミに提供することを、
批判する人たちもいる。

日本に住んでいるんだから、
日本の政権を批判するな。
(住んでいることと、政権とは、全然イコールではないのに)

役所に勤めているんだから、
役所の不利になることはするな。
(役所という組織と、勤めている個人は、別物なのに)


批判する人たちが従っているのは、
「場が壊れることはしてはいけない」という考え方。
「場」とそこにいる人間はイコール。

内部告発者が従っているのは、
「本来、社会はどうあるべきか」という考え方。
「場」とか「家族」とかよりもっと大きなところに基準があって、
それとは別に「組織」があって、さらに別に「個人」がある。



私は、宝塚を好きになったとき、
「夢」をしきりに謳っているから、
「夢」=「みんなが幸せになれる」
→一人一人が「個人」として幸せになれることだと思っていたの。

でも、ちょっと考えれば、
団体責任とか、年功序列とか、
個人尊重じゃないことはすぐわかる。


「夢」=「みんなが幸せになれる」
→誰かが犠牲になっても、場の空気を壊さない、
つまり、場としての「みんな」が幸せになる、

だったんですね~~。



宝塚の人や芸が好きすぎて、
仕組みの本質から目を背けていたんだなあ。。。


最近の社会のあり方を見ていると、
7年前のいじめ裁判で問題だと感じたことが、
社会全体からじわじわとにじみ出ているように思う、
今日この頃です。


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