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蘭寿とむコンサート Streak of Light(日本青年館 11/23 15:00) [観劇メモ]

酒井澄夫ちゃんらしい、オーソドックスな作り。子どもの頃読んだ妖しい童話の世界のような設定とか、いかにも宝塚なレビューとか。

でも全然退屈ではなかった。品があるし、場面場面にメリハリがあるし、なんといっても、生徒の使い方が適材適所だった。(だって三木ティのカノンは、いつもいつも同じ生徒が歌ってたもん!)(ここでカノンを持ちだすのもどうかと思うが、でもでも、カノンの退屈さは尋常じゃなかった)

よっちとあかりちゃんが踊ってて、らいらいとくみちゃんが歌ってる、とか。みーたんがセンターで笑顔ふりまいてバリバリ歌ってる、とか。きらりがイイ女枠で先頭にいるとか。るなちゃんが女役やったと思えば、ちょっとダサい男子をやってるとか。

よっちのオカマの振り付け師が大ウケだったけど、あれはダンスのテクニックがあるからだよね。「こうすれば、やりすぎで面白い振り付けになる」ということがわかってて、それが実現できる。テクニックがなきゃ、こうはいかない。しかも、それを受けて立つ蘭寿さんがさらにテクニックがあって、「さらにやりすぎて変な人」を実現できる。ただオカマだったり、ただ大げさな動作だったりでは、こうはいかないんですよ。技術に裏打ちされた笑い。これ大事。

蘭寿さんのネクタイプレイは絶品だったなあ…。ほんと、うっとり思い出すぐらいの素晴らしい場面だったなあ。人生に絶望した男が、ポスターと同じ? 光沢のあるグレーのスーツで、椅子とかネクタイと戯れて床ごろごろするんです。はぁぁぁ。

もちろん、ほかのダンスもどれも良かったよ。韓流風の、鏡を前にしたダンサーたちの場面も、蘭とむ得意の腰カクカクを堪能できた。

蘭ちゃんも、カツラとか凝ってて、頑張ってたなあ。

子役二人もかわいかったなあ。

どの子たちも、活躍していたよなあ…。

と、思いたいんですが。(以下、呪詛の念)
優波とRがどうしても許せないのであった。

「あれは兼末健次郎なんだ、可哀想な子なんだ」(注:兼末健次郎=金八先生第5シリーズのいじめっ子)と、何度も何度も思い込もうとした。でもダメなのだ。兼末はみんなに謝罪するけど、優波やRは謝罪してないから。心の中では謝罪しているのかもしれない。だから、謝罪の場も与えられず、いじめが悪いことだとも教えてもらえない、可哀想な子なのかもしれない。でも、それは我々には知らされないし、舞台上でもそんな謙虚な様子は感じられない。(人間性はやはり舞台に出ると思う)

そういう人たちが舞台上で、「仲間がいれば」「愛があれば」という歌詞を歌っていた。

寒気がした。彼らが言う「仲間」とは、誰か一人をいじめて連帯感を強めること、ということにほかならない。そんな宝塚は私は好きじゃない。蘭寿さんや澄夫ちゃんは、そんな意味で「仲間」という単語を使ってはいないということはわかる。頭ではわかる。だけど、組織が彼らに反省を促さない限り、宝塚の美徳は「誰か一人をいじめて連帯感を強めること」になってしまうんだよ。

その「仲間がいれば」の場面は、白い衣装でとてもきれいな場面だったのだそうだ。「うるうるした」「感動的だった」と帰り道に、複数の人がその場面をほめていた。…私には、その場面の記憶がほとんどない。

このまま行ったら、私は本当に宝塚を観れなくなるな、と思った。

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