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ニジンスキー(銀河劇場 4/6 19:00) [観劇メモ(ヅカ以外)]

ニジンスキーの妹、ニジンスカ(ヤンさん)を語り手として、現代?死後の世界?から、ニジンスキーが狂った1919年の3月頃をふりかえる。しかも、その1919年3月頃のロモラ(あすか)がまた、過去をふりかえるので、いろんな時制が交錯して、詩のような作りになっている。だから芝居でもミュージカルでもなくて、やっぱりあえて名付けるなら「ダンスアクト」なんだろう。

そのダンスがまた面白くて、時制に混乱しながら、幻惑されていく。いろんな人がニジンスキーを語る。兄をサポートし、その才能に憧れ、また哀れんでいた、最後まで狂わなかった、凡人の妹ニジンスカ。ニジンスキーを愛する妻、という役に憧れ、それに固執した愚かな妻ロモラ。性欲と支配欲でニジンスキーを縛りつけながらも、その才能を開花させた立役者ディアギレフ(岡っち)。ニジンスキーは、彼等の欲望の中で生きる人形。

ニジンスキー(東山義久)は、とにかくおし黙っている。踊っているときはものすごくマッチョで雄弁なのに、しゃべるときはほんの一言二言ボソボソ…っという感じ。「あなたの望むままに踊ります」というようなことを言っている。

ニジンスキーとニジンスカと、6歳で狂ってしまった長兄とが、幼い頃、ペトルーシュカごっこをしていたというエピソードも象徴的。「君は本当に人形のふりが上手だね」と(狂ったはずの)兄がささやく。ニジンスキーっていう人は、貧困の中で、他人の望みどおり踊ることでしか生きていけなかった人なのか? 我が家にもこの手のメンヘラがいるのでわかるけど、「他人の要求を100%受け入れなければいけない」と思い込んでいる人間は、そうでありながら、自分というものがしっかりあって、だからその葛藤で苦しむ。他人の要求なんて無視したっていいのに、そうできない。かといって自分を捨てるわけにもいかない。…狂って当然だわな。

でも最後、あの世で語るニジンスキーは、初めてイキイキと言葉をしゃべっている。不思議。人形のふりをすることが、苦痛ではなかったのかなあ。あれを「人形」だと思ってしまう、こちら側の見方がそもそも、間違っていたのかなあ。そんなふうにも思う。

そこに至る場面の演出がすごくて、客席側に光があてられて目があけられない感じ。そこにスモークがたかれて、見えない中でニジンスキーが踊っているの。光とスモークの中で、かろうじて影が動いているのがわかる。うーん、こんなん初めて見た。

ほかにも、長兄が狂う場面の、長い長い袖でぐるぐる巻きにされるのとか(新上裕也のダンス公演で見たかも)、ニジンスキーとロモラの共通点や、ニジンスキーと長兄の共通点を示すところで上手いこと鏡が出て来るのとか、演出が面白かった。舞城のどかを観たのは退団後初かなあ、あの、ややマッチョで、でも佇まいは娘役ってのが、いいんだよね。チュチュで踊るだけなんだけど、いろんなところでいろんな役割を意味深に演じていた。(斎藤恒芳の音楽に、チュチュのミホ先生に、あすか、とくると『マラケシュ』を思い出す〜)

うーん、でもやっぱり、暗くなる内容だよなあ。体調悪かったせいもあってか、その後どんよりしてしまった。

赤い長椅子や、机は、去年の宝塚版を思わせたけど、オギーは意識したんだろうか。「あんな「小学生でもわかるニジンスキーの伝記」より、これを観ろ!」みたいに(笑)。ロモラがより愚かで、ディアギレフがより高慢で、と宝塚で必須の愛がここにはなく、宝塚で排除される醜さが描かれている。だから、、、、うーん、やっぱりニジンスキーを宝塚で取り上げたのが、かなりイレギュラーだった、そう断言できる。

ロシア革命で、ロシアが滅んでゆく…みたいな話も織り込まれていたのも印象的だった。『カラマーゾフの兄弟』『復活』『ロシアンブルー』いろんな作品を思い出すなあ。

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ange

千秋楽の挨拶で、リーダーが「ニジンスキーというバレエダンサー・・・僕、バレエ踊れません」と言っておりました。4人のダンサーを紹介する前ぶりではありましたけれど。

まぁ、たいていのバレエダンサーに「ニジンスキー演ろう」と持ちかけたら、尻込みするでしょう。

キラ・ニジンスキーも認めたパトリック・デュポンの「薔薇の精」を思い出したり
ベジャールの「ニジンスキー 神の道化」を思い出したりしながらしか観られない演目でした。

何故こんな形での上演を?

と言ったら、やっぱりオギーのアイデンティティーの再確認しか考えられないよな。

と感じてしまうのは、劇場に足を運ぶ、という単純な行為に一々己のアイデンティティーを問い直さなければならない私の立ち位置のせいでしょうか。

ニジンスキーに「踊る」以外の何を求め得ましょうか?
というただそれだけのことを再確認するための時間でした。

再演が待ち望まれます。

(別件ではありがとうございます。
ただいま、連絡中です。)
by ange (2012-04-10 10:31) 

竜眼

angeさま、コメントありがとうございます〜
えっ、リーダーはバレエの素地がないんですか、驚き。
私も(「も」っていうのも変ですが)バレエの知識がなくて、
いろいろ知っていたら、もっと楽しめたのではないかと。
オギーのアイデンティティーの再確認、
それを観に行くことは、オギーのショーを好きだった
自分のアイデンティティーの再確認でもあるんだな、と、
コメントを読んで思いましたです。はぁ…。
by 竜眼 (2012-04-14 19:35) 

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