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炎の人(銀河劇場 11/12 17:30) [観劇メモ(ヅカ以外)]

ゴッホの生涯を描いた、1951年の戯曲。

市村正親は、こういうイカれた人をやると最高だね。善人で純粋。清貧。困っている人を見捨てておけなくて、神とは何かを真剣に考える。だけど、ものすごーく迷惑。躁鬱というか、センチメンタルで激しやすくて、周りを巻き込んで疲れさせる。根が純粋だけに憎めないけど、ずっと一緒にいるのは誰もがいやがる。市村か、ゴッホか、というぐらい。同じ天才でも、キーンとはまた違って、貧乏くさくておどおどしてる感じがすごかった。

ゴッホが尊敬しつつ卑屈になってしまって上手くいかなった、最愛の人ゴーギャンは益岡徹。生で観るの初めてだ。大きい人なんだね。これももうイメージ通りのゴーギャンで。ロートレックもイメージ通りだし、ベルト・モリゾもなるほどという感じ(なんと、我らが渚あき! ちょっと神経質っぽくて良かった)。テオの今井朋彦も肖像写真から抜け出たようなイメージで。それにしてもこの人、ほんと滑舌いいよね〜、いつもほれぼれする。

ロートレックとか、ベルト・モリゾとか、シニャックとか、有名な画家がちょくちょく出てきたり、ゴッホの絵に登場するタンギーおじさんや郵便配達夫が出て来たり、絵の題材が登場したりと、とても親切なつくり。

だから、ちょっとしたバランスで、ゴッホ=有名、天才って大変ね、みたいな軽いノリに転んでしまいそうな気もしないでもなかった。あまりにもゴッホは礼賛されすぎているでしょう。(そのきっかけがこの戯曲なのかもしれない(未調査))そればかりでいいのか、という気持ちもよぎる。

もちろん、脚本も演者もすごい。軽薄な舞台では全然ない。膨大な台詞がやりとりされて、神とは…、天才とは…と考えさせられる。

でも、正直、同じ天才でも、ゴーギャンは尊大すぎて日本人受けしないじゃん。ロートレックみたいな遊び人もダメだろう。ゴッホだから、いいんだろうな、とか。純粋で、働き者で(絵を描くだけだけど)。こういうの、好きだよなあ、みんな。

と思いながら観ていたら、最後があまりにももったいなかった。最後に、ゴッホへの賛美のような詩を朗読するんだもん。日本に与えた影響とかを言い出して、白樺派の誰かの詩なのか? と思ったら、元の戯曲にあるんやね(青空文庫に戯曲が掲載されてた)。うーん。ゴッホ=天才、誰もが賛美した、というのが常識になりすぎている今、それを言ったら、あまりにも興ざめではなかろうか。

むしろ、ゴッホが特別な人なのではなく、あのような狂気が誰の心にもある、という文脈で観たかった。

装置がとても良かった。お話は、いくつかのエピソードをつないでいるんだけど、盆を回して場面転換する。同じ壁が、違う場面で裏から見てもちゃんと機能していた。舞台全体を囲むのは、木の額縁なのかな? 使われている色が、ゴッホの絵に出て来る色で、それっぽいタッチになってるの。特に最後のアルルの場面は、部屋の壁や床が黄色と青に塗り分けられていてゴッホの部屋が黄色、ゴーギャン側が青になっていて面白かった。最初の宣教師時代の場面で使われていた十字架が最後に効果的に使われていたり。

ほかの出演者では、やはり銀粉蝶が絶妙。タンギーおじさんも穏やかで素敵だった。娼婦役の富田靖子が、舞台用の発声を身につけたばかりですという感じで、いまいちだったのが残念。
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マダム・ヤン

こんにちは。

内容にはまるで関係ないのですが・・・
竜眼さん、神出鬼没!!!
マンドラン並み?(←by「バッカスと呼ばれた男」・・古すぎ?笑)

by マダム・ヤン (2011-11-14 11:23) 

竜眼

バッカスと呼ばれた男! 
まだ初心者だった私は映像で見ただけなんですが、
トウコさんに並び称されるなんて、名誉です^^
秋田に行ったかと思えば、ゴッホとともにアルル地方へ、
そしてきのうは泉鏡花とともに姫路城。
いい加減家事をしないと、です^^;
by 竜眼 (2011-11-19 16:34) 

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