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クラシック音楽に熱中しない理由 [ヅカってなんだ?的記事]

すみません、わたくし7月1日づけで組替えしまして、あ、違った、異動、そう人事異動です、それであんまり余裕がなくて、こちらをさぼってました。新しい組に馴染めるかしら、などとプレッシャーを感じて猫をかぶりつつも、今までTCAなどでご一緒した人がたくさんいて、ちょっと安心したりして。結局は細かなしきたりは違っても、やっぱりタカラヅカはひとつなのね~、なんて思ったりする今日このごろです。ん? また間違ってますね…。

そんな中、なぜか叔母につきあって、何十年かぶりにクラシックのコンサートに行ってきたのよ。クラシックって、男性客多いのね~。舞台の向こう側にも客席があるホールだったので、数えました、私。男性率は4割でした。多いっつっても半分は超えてなかったけど、でもヅカなんか1割いかないじゃん。ヅカ以外の演劇だって映画だって、圧倒的に女性が多いでしょ。それに比べりゃあ、むちゃくちゃ多いって。

しかし、クラシックってどうして1公演しかないのかね。(外国から有名な人が来たりしたら数日はやるらしいけど)レパートリーの中から、一ヶ月に一回だけ、みたいな感じでやってるよね。それってやっぱり、何公演もやっても、チケットが売れないから……???

うちの父親は、酔っ払うとクラシックをかけてスピーカーに向かって指揮をしちゃうような人なんですが(あ、『結婚できない男』の阿部寛みたいなハンサムじゃないよ! ただの酔っ払いよ)、それだけ音楽に陶酔しても、劇場に何度も足を運ぼうとは、思わないみたいよねええ。

どうして私たちヅカファンは何度も劇場に足を運ぶんですかねえ。クラシックだって、録音よりナマがいいのは当たり前だし、その日その時だけのプレイなのにね。

でも、これがもし、『のだめカンタービレ』の千秋先輩(ていうか玉木宏)の指揮なら何回も行くかもしれん。のだめのおかげでクラシックのチケットがわりと売れてるらしいが、逆に言えば、のだめという「物語」がなくちゃ売れないってことだ。「物語」が人を熱くさせる。「物語」には、当然「ひと」がいる。千秋先輩、のだめ、ますみちゃん…、それぞれの魅力的な「ひと」がいる。

「ひと」を観に行ってるんだ、私。「ひと」と、それが織り成す「物語」を愛しているんだ。それがなくちゃ、わざわざ劇場まで行って、ちょっとずつ違うバージョンのプレイを見届けようとしたりはしない。楽曲を愛しているだけなら、音楽そのものを愛しているだけなら、CDに向かって指揮をしてりゃぁいい。自分で演奏してればいい。でも、劇場に何度も通うには、愛すべき「ひと」が必要なんだわよ。だから、西本智実さんがカッコイイとか、そういう動機なら通うかもしれないな、うん。

で、叔母に「ねー、楽団員さんで注目の人は誰? ファンクラブとかないの?」などと聞いてしまい、疑問符をいっぱい飛ばされてしまった。。。「オケ全体を支援するシステムならあるよ、入る?」…すみません、そういう意味じゃないんですう。

::::::::本家はコチラです→a posteriori takarazuka:::::::


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